海住恒幸の松阪市議会通信 

議員活動を通して、自治体議会や自治体のあり方を考えるブログ

中部空港海上アクセスの運航ダイヤ(松阪ルート)

2006年08月22日 12時00分54秒 | 自治体
運航ダイヤ
  松阪発→セントレア    セントレア→松阪
1便  620  705     720  805
2便  820  905     920 1005
3便 1020 1105    1120 1205
4便 1320 1405    1420 1505
5便 1520 1605    1620 1705
6便 1820 1905    1920 2005
7便 2020 2105    2120 2205


空港は午前と夜に出発便も到着便も集中します。
アクセスのダイヤの編成にあたって、松阪から空港に旅客を運ぶルートは比較的簡単です。
半面、国際線や国内線で空港に到着した旅客をどうタイミングよく船に乗せることができるよう、ダイヤを組むのは難しい作業だと思います。
セントレアを午前7時20分に出る便は空っぽです。なぜなら、7時台の国内線の到着はゼロ。国際線の7時台の到着は7時半以降で、クアラルンプール(730)、バンコク(735)、ホーチミン(745)、バンコク(750)となっています。これらの旅客は8時台の到着便(香港、デンパサール、シンガポール、フランクフルト、ヘルシンキ)の旅客とともに、9時20分発の便を待つことになります。国内線の到着は8時45分の福岡からの便が最初で、以降、9時から9時10分にかけて仙台、新潟、福岡からの便があります。
これらを見ても、到着便はたくさんありますが、これらの時間帯は津ルートでも平均乗船率が1~20%台と厳しい。
国内線の到着の多い午後から夜にかけ、津では50%程度の利用率はありますが、松阪はどう出るでしょう。
最終が21時20分発ですが、国際線は20時以降、20時台にかけて到着便が集中します。人気路線の上海発(20時50分着),台北発(20時55分着)、香港発(21時5分着)の便の旅客は、間に合うのかどうかヒヤヒヤ。税関でひっかかったりしたらアウト。ソウル(21時20分)からの便は最初からあきらめた方がよさそうです。
津では当初、最終便を21時発としていたが、積み残し客続出で最終を22時まで増便しました。しかし、そのために空で船を津からセントレアまで運ばなければならないので燃料費、人件費が重くのしかかっています。

議会通信特別号2006(予告)

2006年08月20日 17時51分37秒 | 議会
——旧松阪市最後の2年間、そして、合併後、7か月間の在任特例期間を経て、現在の議会となって1年。議会に変化はありましたか。

 旧の松阪市と比べ、風通しは良くなった気がします。旧4町の議会文化が混ざったのか、旧松阪市議会を覆っていた重しのようなものがとれたというのが実感です。

——もう少し、具体的に。

 在任特例期間中の議員定数82のマンモス議会を経て、昨年7月24日の選挙で定数34の議会になりました。議員の在任特例には反対をしましたが、そのこととは別に、80人もいたマンモス議会は、良くも悪くも議会に体質上の変化をもたらした一面がように思います。
 どういうことかと言いますと、人数が多い分、いろいろなタイプの議員がいて、思いのままを自由に発言されていた。議会という所は、たんに「権威」とか「伝統」、「しきたり」に縛られるのではなく、もっと自由であっていい。旧松阪市議会(定数28)のときは、人とは違ったことをすると、他の議員からヤジられ、プレッシャーを感じたものです。
 合併していろんなタイプの人が集まり、異なったルールにあった議会の文化が集まると、それまで「こうあらねばならない」と無理やり、固定的な型に押し込めようとしていた旧松阪市議会の求心力(重力)が低下したので議場を覆っていた重たい空気が薄まったという印象です。

——そんな変化もあるものですか。

 議場の造りのことですけど、ヨーロッパのゴシック様式の教会の祭壇のような高い所に議長席があります。あと、ひな壇があって。すごく威圧的で権威主義的な造りでしょ。ところが、合併して80人の大所帯になったときは、市役所5階の大会議室に移りました。そこはフツウの会議室ですから、広い部屋にずらっと机と椅子だけが並んでいるだけです。窓のない密室から窓のたくさんある風通しのいい部屋に移ったわけで、妙な権威主義から開放されたような気がしました。中には、本会議の最中に携帯電話に電話が掛かり、そのまま通話をされている議員がいたのにはびっくりしましたけれど(笑い)。それはともかくも、わたしは、その伸びやかな雰囲気が好きで、議場というきわめて特殊で閉ざされた空間の中で議会を開かなくても、大勢の市民のいる体育館のようなところで議会を開いたっていいと思ったりしたものです。議会は、他人の発言中にヤジを飛ばしたり雑談をしたりしないなどの良識を保ったうえで、自由な雰囲気でやればいい。形式を大切にするあまり、議員個人の自由な発想や発言をさまたげてはいけないと思っています。
 いまはフツウの議場に戻ったわけですが、従来の議会の常識にとらわれない、発想で議会改革をしていく提案も、もしかしたら不可能ではなくなってきたのかもしれない。そんなことを思っています。

——議会改革と言いますと?

 議会は、形式を重んじるあまり、自由な議論はしにくい仕組み、構造になっています。議案の説明も、聞いている人がわかるように説明するというより儀礼的。用意してきた原稿をただ読むだけ。だらだらと長く、わかりにくい。傍聴に訪れた市民はまったくの置き去りです。この仕組みは何十年も変わることなく守られてきた。だれも手を付けずに来た。
 初当選した新人議員は「これが議会なんだ」と妙に納得し、改革への初々しい意欲というよりは、会派という組織の中での行動に慣れ、いまの議会の体制が当然あるべきものとして受け入れ、これを変えなければならないものとはなかなか思わなくなる。
 そのような議会では、議会は本当に議論を闘わせる場ではなく、「権威ある手続き」(議案の提案→形式的な審議→議決)を行う場にすぎない。その場に居合わせる者の“権威”を象徴するのが「議員バッジ」ではないでしょうか。そう思うから、わたしは議員バッジを付けずにいます。
 こうした議会の中では、発言することを重要なことと考えずに長い間、議員を続けてこられた人も多いと思います。あとは、賛否のとき、賛成の手を挙げることだけ。だから、本会議で一度も発言しないか、せいぜい4年に1回質問すれば、議員としての威厳を保てるという感覚です。
 これは松阪市議会のことを特定して言っているのではなく、新聞記者として、いまの最古参の議員並みに長い間、各地の議会を見てきた経験をもとにお話しているのです。
 いま自治体は地方分権や合併、財政難という激動期を迎え、また、市民のチェックも厳しくなりましたから、議員の中にも、議会もいままでのようにはいかなくなったという自覚は芽生えてはいるでしょう。現に、議会の一部ではあるにせよケーブルテレビの中継が始まるなど、改善は進んでいます。しかし、抜本的に議会の存在意義を問い直すような改革への行動はまだ起こせずにいるのが現状です。
 正直言って、市民は議会の現状の多くを知りません。もっと実態を知れば、そんな議会だったら要らないと思う市民が増えることでしょう。議員はいままで当たり前だと思っていた議会の制度や仕組み、構造をすべて市民の前にさらけ出し、市民と一から全部見直し、作り直さなければならない時期に来ています。それも議員だけで行うのではなくて、市民に情報公開し、市民参加で変えていくことが時代のすう勢となりつつあります。
 7月に前宮城県知事の浅野史郎さん(現在、慶應義塾大学教授)の講演を聴いたら、こんなことを話してみえました。住民が地方議会に関心を持たないのは、「最初から形があったから。住民が望む議会をつくらないといけない」と。
 これまでの議会は、議員は市民の代表という意識が強すぎて、市民の参加という発想はなかったのです。いまや自治体も随分変わり、政策を形成していく過程に市民が参加していく時代なのに、議会だけは何十年も変わっていないのは明らかにおかしい。ましてや市民が望む議会づくりを考える発想は生まれてこないでしょう。いままでの「議会の常識」は市民に受け入れてもらえるはずはなく、むしろ、市民には「非常識」とたらえられことは数多く存在するはずです。それほど、議会に対する認識のズレがあります。どういうことかと言うと、議会についての正確な情報が議員と市民の間で共有されていないということです。形式的かつ儀礼的な議会運営はもはや現在の市民的ニーズには合わず、市民との情報共有を図りながら、市民のための議会に変えていくことがいま課せられていることだと思います。
 市民の常識的な発想に従えば、儀礼な議会運営よりも、もっと合理的で実質的な議論が可能な仕組みに変えていかなければならないはずです。実に長いあいだ、議会は市民にはその実態を知られずに、何十年も前とまったく変わらない議会運営を、それが当たり前のように続けることができましたが、もうそんな時代ではありません。


——最近、「議会基本条例」を作るなど、議会を改革する新しい動きはあるようですが。

 議会基本条例というのは、議会運営のあり方を根本から見つめ直し、新たにルール化したものです。いま全国から熱い視線が送られているのが北海道の栗山町議会というところです。栗山町議会の議会基本条例によると、議会は「議員、町長、町民等の交流と自由な討論の広場」と定義し、議会は「住民の参加も含む、自由な討論の広場」(フォーラム)と、とらえたのが画期的です。具体的には、町民が議会の活動に参加できるような措置を講じることや、参考人制度や公聴会制度を十分に活用して町民の専門的または政策的識見を議会の討議に反映させることなどと、議会への住民参加を大幅に採り入れています。議会で住民が発言できる仕組みは、イギリスやアメリカの地方議会では当たり前のように存在するそうですが、日本の議会では「非常識」とされてきた部分です。ところが、栗山町議会の例を見ていると、ようやく日本の地方議会も変わろうとしている。
 同町議会の議会基本条例には「自由討議の拡大」という章もあり、その中には「議長は、町長等に対する本会議等への出席要請を必要最小限にとどめ、議員相互間の討議を中心に運営しなければならない」との規程もあります。千葉県我孫子市の市長も「議案の説明だけ済ませたら議会から出て、あとの議論は議員にお任せし、結果が出るのを待つ」と言ってみえました。市議会で議論するのは議員同士、決定するのも議会というスタンスなのです。
 松阪の市議会ですと、議員同士が議論をするような仕組みにはなっていません。本会議にはすべて市長、部長ら市幹部は全員出席し、市長らが質問に答えます。第一、そんなに大勢の市の幹部に長時間、議会にいていただく必要はありません。ほとんど座っているだけですから、ムダであり、むしろ平常の業務に就いていただいていた方が市民のメリットになります。
 全国的にいろいろな動きは始まってきました。本当にどのような議会が必要かを決めるための場は必要です。市民参加で、いったいどんな議会がいいのか洗いざらいやってみる必要がいまの議会にはありそうです。


無会派の1票

2006年08月18日 10時25分58秒 | 議会
8月21,22日の2日間、松阪市市議会の臨時議会が開かれます。一番の関心事は「選挙」です。
ここでいう「選挙」とは、議長、副議長選びです。
無会派のわたしには関係ありませんが、他の議員の皆さんはいろいろと駆け引きをされているようです。
「選挙」といっても立候補者の中からだれかを投票するのではなく、22日の本会議で、投票箱に自分が議長、副議長にしたいと思う議員の名前を書いて投票するものです。
公式には立候補者はないのですが、水面下では「立候補者」があり、本会議が始まるまでに1本化を図り、全員一致での「当選」を目指すようです。
初めて議員になった3年前、どの議員がどのような考えを持って議長(副議長)になりたいのかもまったくわからないまま、投票箱を前に悩んだ記憶があります。他の議員たちの間では既に一本化が図られ、慣例に従い内定していたそうですが、わたしはそのようなやり方はどうも好きになれない。
議長になりたい人が、どのような議会運営をしていきたいのかという選挙公約はないわけですから。
フタを開ければ、1対27(議員数28)。
つまり、わたしだけが、別の人(記者時代から親しかった現議長)に投じていた、ということ。副議長には女性をと投じたが、これも1対27でした。
その後は、わたしのところへも議長、副議長になりたい人から「お願い」があったり、なかったり・・・。
他の議員はすべて会派でだれに投票するかを決めますが、わたしは個人の意思で決めます。
旧松阪市最後の副議長選のことです。13対14(議員数27)でした。わたしの1票は「勝ち」の方にいきました。無会派の1票を侮るな、ということです。

松阪市議会議員  海住恒幸 Report
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