近くに葛原八幡がある。ここは八幡なのだが左三つ巴である。普通といえば可笑しいかもしれんが、通常ならば八幡は右三つ巴なのである。私の母方の男の紋が左三つ巴で、女の紋が梅である。女方の先祖が豊前で、菅原道真が防府より流れ着いたとき綱を敷き、道真をもてなした。そのときに名前をいただいている。「家令(かれい)」である。もう一方「有門(ありかど)」である。約1100年前のことである。今でもこの二つの名は豊前に存在する。道が反れた。街道を行くからには道が反れることもあるであろう。
ここも旗が立ち並び秋祭りの準備が進められていた。
中津街道が鳥居の目の前を東西に延びている。向うは(西)小倉城下に至る。
この並びには街道であることを知らしめるような佇まいは今となっては微塵もないが、街道であったことだけの様相は呈していると言ってよい。