
山国川を渡り切るとすぐ左に折れる。ご覧の小倉口渡の立て看板がある。小犬丸から乗船してここで降りるのである。ただ小犬丸はまだ中津藩の領内であることも書かれている。その当時の目の前の川は難所であったということも書かれてあるが、今では穏やかすぎるくらいである。なにせ人が腰まで浸かって囲い込み漁のようなことが出来るくらいだ。
今では厳しいほどの治水が行われているが、その当時の治水事業は困難であったろうが、ただ城下を守るために土手を築いていることは知っておきたい。

立て看板の前の道が土手を滑らかに下っている。普通に歩いていると判らぬくらいに橋が架けられている。二三歩で渡りきってしまうのだが、小倉橋(小倉口)と書かれてある。小倉には中津口が在って互いに方向をその場所で判るようになっているのは面白い。小倉の人間は中津街道と呼び、中津の人間は小倉街道と言った。
ここが我々の言う街道の終点である。さて、本来の目的に向う。この小倉橋からすぐ左に折れると西口門の石垣が現れる。道が鉤状になっているということは入城の常識かも知れん。









