二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

地方名望家とジェントリー、リベラル・アーツの必要性と、この国の新しい形の模索は続く。日本人は基本的人

2008年02月12日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まりました、皆さんは今日という新しい日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい日もよき日であるように祈ります。
 いやはや昨日本を読んでいたら、面白い事が書いてありました、件の「法哲学講義」笹倉秀夫著(東京大学出版会)なのですが、現行憲法では法律上の立場として、天皇は特殊な公務員程度の権限しかないそうです。
 ドイツの大統領並みの力でしかなく、あのイギリスの「君臨すれど統治せず」のエリザベス女王のように、ヨーロッパの王族は、元首としての地位があるけど、天皇には無いのです。
 いやはや、アメリカに「やられた」ですが、そんなままでいいかといえば、議論が起こりそうですが、もう少しなんと言うか、ヨーロッパの王族並みに、立憲君主制のイギリスを見習って、華族制度の復活と共に、制度の改革をして、新憲法を設立した方がいいような気がします。
 国民主権のままで、そういうブルーブラッドの地位を再定義してって思ったのですが、この本を読んでみると、貴族が国によって認められるのは本末転倒で、イギリスではあの権利の章典(マグナカルタ)のように、自らがその権利を主張して認めさせるものであったようです。
 いわゆるジェントルマンのジェントリー(大規模土地所有者)が、イギリスの近代化を荷ったとあり、日本でも、明治の時期に名望家と呼ばれた、大規模農家が日本の近代化を担いましたが、いわゆる、リベラル・アーツという教養は日本のリーダーには無かったのかも知れません。
 日本は律令国家だった名残で、いわゆる民主主義とは縁遠かったので、明治から始まった日本の近代化を推し進めようと、近衛氏等が頑張っていましたが、やはり当時としては、大日本帝国憲法の桎梏もあり、なかなかリーダーシップをとる事ができなかったのかもしれません。
 またイギリスでは、貴族は自由を望み、庶民は平等を望むそうです、民主主義と基本的人権は、絶妙なバランスで維持されるべきであり、今のところ人類普遍の原理であるとされており、日本も戦後になって国民主権の国になり、経済も発展して今に至るのですが、国策を誤らずに、国際社会において名誉ある地位を獲得する為に、平和国家としてその政治を運用していただきたいです。
 その為には、国際平和活動に積極的に関与し、「汗をかく日本」を各国に印象付ける為にも、自衛隊の海外派遣の恒久法を早急に成立させ、同時に、現行憲法の見直し、新華族制度で貴族に対する政府による再構築、等を日本の新戦略として、早急に検討する必要があると思われます。
 私達は、キリスト教徒では無いので、世界観は少し欧米諸国とは異なりますが、その反面、異文化である事の強みを活かして、アジアとの交流の強化や、イスラム圏との協調など、グローバルな観点からの、世界への貢献を標榜してみる価値が我が国日本はあると思います。
 まあ僕はいわゆる地方名望家であり、歴史的には豪族のいわゆる、パワフルファミリーなので、何某かのこの国への貢献をしなくてはならないと自負をしていますが、リベラル・アーツのプロテスタント系の高校と、水戸学の流れを持つ、中京大学の法学部を出ているので、これからも、この国の一員として、司つかさではないですが、事あるごとに、自分の意見を表明して行きたいです。
 それでは。

 真実は過酷なものである限り変化をすべく立ち上がるべき

 人の持つ能力にて動く世に高層ビルは大きな力

 花咲けどこの世に堕ちる子等泣けり何ゆえに泣く悲しみ知らず

 God bless you!

 
 

コメント
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