二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

世の中の常識というのが、昔は大嫌いだったのですが、今はその居心地のよさにどっぷり浸っています。改革の

2008年02月11日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という日もよき日であるように祈ります。
 いやはやこのブログも昨日はメンテナンスで、サーバーにアクセスできませんでした、なので更新も出来ず、一日中、本を読んでいました、「法哲学講義」笹倉秀夫著(東京大学出版会)です、とても楽しく読ませていただいています、日本の社会のあり方が、近代にも影響を及ぼしているという事を知りました、近代どころか、現代にもです。
 きっと僕は権力から阻害されるべき人物なのだろうと思います、というかもうされました、「トヨタカローラ名古屋」で、確かに大きな会社でしたし、(400人以上ある、規模で、この数は大企業になるらしい)まあカローラが売れなくなるという心配は、無きにしも非ずですが、自分がカローラのセールスマンになるという人生は、どうしても受け入れ難くて、やんちゃをしてしまいました。
 本当は何がしてみたかったというと、あの三菱商事で商社マンってのに憧れていましたが、今思うと、そのような能力は無かったと思います、求人票もその当時の中京大学には来なかったです。
 バイトばかりしていたので、仕事にロマンを抱く事が無い反面、逆にもっといい仕事をしてみようという、欲もありました。
 今分析してみると、仕事が嫌じゃなくて、仕事が出来ない自分が嫌だったと思います。
 なので、中京大学という、当時は弱小勢力の大学だったからという理由で、もう出世は一流企業では難しいと、勝手に決めてしまっていて、チャレンジする事すらあきらめていました。
 正直な話、僕の出身の高校は、名古屋高校で(当時は名古屋学院)昔はすごかったけど、当時は落ちこぼれの高校でした、今はまた少し持ち直しているようですが、受験で進学する気概も無い生徒が多く、大抵は推薦で進学しようとする人たちばかりでした。
 そのあり方に不満があったので、三年生になってから家庭教師を雇って、(現役で名古屋市立大学の医学部に合格した医者の卵で一年生でした、なので一年歳が違うだけでしたが、千種高校という公立の進学校出身でした)勉強をしだしました、高校受験に失敗した僕は、高校一年や二年は遊び呆けていて、当時は3無い運動という、高校生にはバイクに乗らせない、買わせない、免許を取らせない、という運動があったにもかかわらず、バイクの無免許の運転とかしていました、酒も煙草も女もパチンコもみんなやってたことを今、思い出しました、高校生なのに。
 なので、大学に合格してしかも中京大学の法学部ということで、全然法律を守ってこなかった僕が、そんな法学部なんて大丈夫かなと思っていたのですが、案の定、足の引っ張り合いで、昔バイトをしていた喫茶店のママから電話があって、バイトしてくれと言われ、そのまま半年学校も行かずにバイトばかりしていたら、留年してしまいました。
 また、運転免許が免停になり、スピード違反で保護観察になって、家庭裁判所にお世話にもなりました。
 しかしながら、少しは勉強をしておいたおかげで、東京大学出版会の法律関係の本を、今読んでも、何とか理解をできて、今の生活の励みになっています。
 東大レベルの本でも理解できるということは、自分にとって、ありがたいし、法学部でよかったと思えます。
 今日もこれから本を読む予定です。 
 我が家は自営業の牛乳屋を営んでいて、定年の歳を過ぎても父と母は仕事をしています、なので家賃収入を合わせると、サラリーマンの平均年収ぐらいはあるので、とても助かっています。
 でもまあ、僕の代までは続ける事ができなかったのですが、父と母はよくここまでがんばって来たなと思います。
 昔はよく遊んだものだと、青春を振り返りながら、感慨に耽りつつ失礼致します。
 それでは。

 法律の勉強してよかったとあまり進歩をしない分野で

 明治から変わらないのに活きている民事法とは日本の文化

 今の僕花の色なら赤がいい赤い羽根なる募金のしるし

 God bless you!