2016年4月17日(日)
昨日の関西日本サイ科学会には沢山の方々に集っていただきました。
用意されていた席数では足らなくて、急きょ椅子が運び入れられたということでした。
ですから、用意されていた資料も足らなくて、「後日発送いたしますので・・」ということだったようです。
皆さまには本当に感謝いたします。 ありがとうございました。
4月14日 21時26分に発生した地震は今もなお不穏な状態を繰り返しています。
一体何が始まったのでしょうか・・。
ヨイヨ フイフム とは何のサインでしょうか。
震源地域、益城町は、関ヶ原の闘いで敗軍の将となり、京都の六条河原で斬首されたキリシタン大名といわれた小西行長の思い出の地であり管轄地でした。
小西行長は秀吉の命を受けて朝鮮へ渡り、王家の血を引くジュリアおたあを救出しましたが、島原の乱でキリシタンの人達と共に戦った天草四朗と、その母であるジュリアおたあが人知れず眠りについた最後の地でもありました。
彼ら無念の御霊や、近くには国内最後の内戦となった西南戦争(1877年)の激戦地、田原坂もあります。
田原坂と言えば、間違いなく無念の御霊である西郷隆盛と、その勇士らの姿も亡霊のように浮かびます。
あの西南戦争のとき、熊本鎮台が西郷隆盛らが北上することを阻止することなく、逆に加勢していたら日本の歴史は大きく違ったものになったであろうと私は思っています。
朝鮮と言えば、西郷隆盛も日本と朝鮮との深い関わり合いを誰よりも知っていた一人だと私は推測しています。
でも・・知ってるがゆえに、欧米を視察し洋行から帰国した岩倉具視や大久保利通との権力闘争の中で、西郷隆盛が思うものとは全く逆の征韓論を押し付けられ、謀略にはめられたのだろうと私は思っています。
どうも異常なまでの余震やその震源域を見ると、日本と朝鮮との平和の架け橋になろうと命をかけた、その無念の御霊さま達が今、これから起こるであろう出来事を必至の思いで私達に警鐘を鳴らしている気がしてなりません。
「早く気づきなさい!目を覚ましなさい!」 「世界の聖地は日本であり、生野、神河町ですよ!」
「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失ですよ」と。
・・・どうも、時は迫っているようです。