2016年3月4日(金)
上森 三郎 さま
いつも大変お世話になっております。
一昨日、また娘が「体調が・・・おかしい」
と言うので、いつものように調べていきましたら、
「私市に自宅のある友達の土地」と無ちゃんが指摘します。
おかしいな?と思って、念のため「これは空海さまの一連の件か?」
と尋ねると、「その通り」となりました。
で結果、
空海さまが獅子窟寺で秘法を唱えていると天上から七曜の星が
三か所に分かれて降ったと言う、
星田妙見宮・高岡山星の森・降星山光林寺(いずれも交野市星田)の
三カ所に波動の塩を2袋で、エネルギーを送りました。
星田妙見宮は、今、住吉三神が主祭神の星田神社の摂外社になってしまっています。
本来の働きをしていただくよう気持ちも一緒に送りました。
その私市に住む娘の友達は氏神さまが「星田妙見宮」だと昨日分かり
なるほどね。と納得しました。
ご報告まで。
…*…☆…*…☆…*…☆…*…☆
西村 百代
漢字は難しいですねぇ。 私にはこの「私市」の二文字を見て、とっさに「きさいち」とは読めませんね。
昨日、上記のメールを頂いて本当に戸惑った私です。
西村百代さんは三冊目の本にも登場する不思議な霊能力を持っている人ですが、この方もスタップサロンに来られるメッセンジャーの御一人です。
文中にもありました獅子窟寺に「早くいくように」と言われて、言われた翌日にはその場所へと行って、そこでも不思議な出来事に遭遇したものでした。
獅子窟寺に行って、大きな亀であろうその磐座の上から下を見ていると、「ウエモリさんでしょう、武部さんとよく山へ行かれる上森さんじゃないですか」と声をかけられ、
「星田妙見宮へ行かれたことはありますか、よかったら今からご案内しますよ」と、その時、車で案内していただき、いろいろと磐座などへも連れて行ってもらいました。
平津さん、その折は大変お世話になりましたね。 ありがとうございました。 平津さんもメッセンジャーの御一人のようです。
西村 百代 さま
いつもありがとうございます。
又、メールありがとうございました。
「お前はどうして星田妙見宮に行ったんだ!もっと真面目にやれ!!」 と言われたようで、メールを見てから早速、星田妙見宮の秘密を解くことになりました。
その甲斐あって・・、北極信仰ですから、どこまで行って真北を見るのか、何のために・・。
星田妙見宮はどこに向いて建てられているか。
それは、姫路の小富士山の西にある 仁寿山でした。
そこから真北を見た位置に本当のイエス・キリストの墓があることを教えていました。
そしてその北には、山を使って巨大な玄武が造られている段ケ峰でした。
これも 空海様のご指導のようです。
ありがとうございました。
上森三郎
イエス・キリストの陵墓は、キッチリと徳島の剣山を向けて造営されていました。
そしてその傍らには、生野の地下神殿の場所を教えるハートの丘も造営されていました。
今、仁寿山には沢山の電波塔が立ち並んでいます。おそらく以前には立派な磐座が存在していたことでしょう。
星田妙見宮の旗のデザインが意味するものが、仁寿山から真北を見た丘にイエス・キリストの陵墓があることを教えています。
その南北のラインに対して、 モーセの陵墓と葦嶽山と交野山(交野市)を結ぶ2:1:√3のピタゴラスの三角形の重心である暁晴山と笠形山とを結んだラインが交わったところがイエス・キリストの墓でした。
そしてその北には、亀に蛇という地上絵がありました。 そこは生野町にある段ヶ峰というところでした。
段ヶ峰の意味は、殉教者を持ち帰り祀ったダン族のお墓という意味でした。
ダン族はユダヤの12部族の一つで、シンボルが蛇でしたが、北極信仰、北辰信仰は道教の本当の聖地がここであることを教えていました。
そして又、ダン族の任務は、王様の頭上または北を守護するのが任務でしたが、もうまさにそのような設営で陵墓や地上絵が配置されていることは計画の上の配置になっています。
日本の超古代の歴史の謎解きは今、多くの人達と連動しながら表に出さされようとしているようです。
さぁ これから世界がどのように動いていくのか、いかないのか大いに注目すべきお話ですよ。 これは・・。