2020年8月6日(木)
1日(土)三田市の光明山観福寺から兵庫県養父市へと移動し、翌日登る養父市の光明山へ登るルートの下見をした。
光明山のすそ野には、古墳が沢山存在している様子を知ることができた。
ちょっと尋常ではないおびただしい数のようである。
下見は、山裾の西、大藪から南の口米地、そして中米地と見て回った。
中米地から川沿いに北へと進むとネットの扉で道路がふさがれていたので、引き返した。
途中、男衆が村の掃除仕事の終わりに集会を開いてくつろいでいる様子が見えていたので、山へのルートを聞いてみた。
2,30人ほどでしたか皆さんは仕事も終わって、一杯飲んで居られましたねぇ。そこえ私が・・
「すみません、上の光明山へと登りたいんですが、どこから登ったが良いのでしょうか。道を教えてもらえませんでしょうか」と。
「んん^^わからんなぁ」
「わからんなぁ・・、おまえ分かるか?」
「向こうの人に聞いてみな」
私が宴席?をぐるっと回って聞いていきました。
私:「光明山へと登りたいんですが・・」
村人:「ところで、何しに山へ行くんだ。山にはクマがいるぞ」
私:「えっ!熊が居るんですか!!」
村人:「子熊でも居たら大変だぞ、親が攻撃してくるぞ!」・・と、口々に言われます。
私:「熊ですかぁ・・、でも神様に言われたんですね、お酒を持って挨拶に来いと言われるんです」
村人:「酒持って挨拶に来いと・・神さんがか・・」
村人:「お前、猟師だからわかるだろう・・」
猟師:「山頂までは無理だ、険しすぎる」
私 :「じゃ~すみませんが、明日、道路をふさいでいる扉を開けて入ってもいいですか」
村人:「ああ、良いよ」
私 :「ありがとうございます」
村人:「扉を開いてまっすぐ行ったら左手にコンクリートの貯水槽みたいなもんがあるから、そこから登ったらいい」
・・と教えてもらいました。
「ありがとうございます!」「気を付けて行きぃよ」。
村の人達でも光明山山頂に登った人は、ほとんどいてない様子でした。
猟師の方だけが、「山頂に行っても何もないぞ、景色も見えんぞ」と。
でも私としては、ふさがれた扉を開けた入って良いという了解をもらえただけででも凄い安心感が湧いてきました。
泊まったお宿は、『旅館 古城』でした。
いよいよ翌日は、目指す光明皇后の陵墓である光明山です。