2015年7月31日(金)
31日 原稿を入稿しました。 今度の本、それはそれは面白い本ですよぉ~!
・・作り話でなく、全て本当の話ですから、またまた不思議な世界を書き綴りました。
その一部を・・・
上森も驚愕した、モーセの生涯の真実
モーセの墓を特定した上森は、モーセは実は日本生まれだったことを知らされた。それまで思い込んでいたように、モーセは中東に生まれて、後に日本に来たわけではなかったのだ。
といっても、モーセが生まれたのは、超古代のことだから、当時、日本という国が存在したわけではなく、より正確にいえば、モーセは後に日本列島の本州と呼ばれるようになった島の西北の海側、現在の鳥取県米子市で生まれていた。
以下が、空海の神霊と同じ層から上森に届いた、モーセとその子孫の歴史に関する記録だ。
「モーセの生年月日は、いまの西暦にすれば、紀元前3674年の10月17日だった。そして、モーセは紀元前3287年の12月28日0:00時に、日本で亡くなった。享年387歳だった。
モーセは長男として生まれたが、姉と弟がいた。アロンとはモーセの弟の名前だ。身長は177センチで、血液型はB型だった。
モーセは日本を拠点としていたが、仕事で中央アジアやエジプトの方に2回、行っていた。
日本史では来歴が分かっていない丹後王朝とは、実はモーセの王朝で、モーセは、出雲から新潟までを支配していた。出雲から新潟県の弥彦まで分布している四隅突出型古墳は、その忘れ形見だ。
モーセの勢力は実際には中国の千山から新潟にまで及んでいた。千山を中心として発達した道教の仙人も千山の人=千人=モーセのことで、長い間生きていたモーセは、中東から日本にいたる広い範囲で活躍していた。
モーセは日本で10人、中央アジアで9人、計19人の子宝に恵まれた。
長寿を全うしたモーセは、日本列島で、丹後王朝の王様として葬られた。
モーセの陵墓は本人が亡くなる以前から築造されていた。亡くなったのは出雲だったが、亡骸は36日に及ぶ葬列で京丹後に運ばれた。その時、お墓の周りには雪が積もっていた。
これだけでも・・世界の常識から外れに外れた内容です。 でも・・実体験を通して、神様から教えられた内容を忠実に書きました。
「全て書きなさい!」と言われますので・・。
そして・・、このことは、今度の本には書いていませんが、
「モーセも一つの地上絵を造った」と教えられています。
「人間とは何ぞや!?・・と。それで三角の帽子をかぶった人の顔の地上絵を造った」と。
・・・
皆さんには、その人の顔、 分かりますでしょうか!?