2018年11月1日(木)
今回の徳島への目的地の一つが王子神社でしたので、どうしても明るいうちに辿りつかなくては・・と、少々焦りながらも狭い道路をいくと道端に猿田彦の文字が・・。
武部さんが見たら喜びそうな・・と思いながら・・、程なくして王子神社へと着くことができました。
王子神社に併設して八幡神社もありました。
ゆっくりする時間もなく、肝心な建物の角度を計測して帰ってきました。
途中、学駅前を通って帰路につきました。
帰ってから地図上で整理をしてみると、今回立ち寄った神社には全て関連性があることが浮かび上がりました。
山﨑聖天で手を合わせるとイエスの陵墓に手を合わせるようになっていましたが、その方角に忌部神社があり、忌部神社は王子神社の方角に向いて建っていました。
山﨑聖天と王子神社を結んで延長する方向に王子神社は向いて建っていました。 八幡神社も同じ方向でした。
又、岩戸神社から山﨑聖天までの距離と王子神社までの距離は、まったく同距離になっていました。
これらのことから、この地域に住んでいた人達は、大きな目的なり思いを強く持っていたことが伝わってきます。
そのような思いで王子神社が向いている方角に何があるのかを探っていくと・・そこには、「向麻山」がありました。
向麻山と書いて、コウノヤマと読みます。
以前、私の本を読まれた方に教えてもらっていた「向麻山」が浮かび上がったのであらためて驚くばかりです。
この一連の私の動きは、ハッキリとイエスの陵墓を遠方から見つめていた人達が居てたことと、アークの安置場所である地下神殿があることを教えているようでなりません。
忌部氏は、この日本の古代史をハッキリと知っているし、空海さまも又、だれよりも世界の神宝の在処を知っていたし、時が来れば表に出てくるように仕掛けをした張本人のようです。
「急げ時間がない!」と私に指令をだしているのはどうも空海さまのようです。
んん~~ん、 「忌部 コウノヤマ を学んでください」と空海さまが言ってますねぇ。 ・・ということで、つづきます。