2019年3月16日(土)
四天王寺の西門の石鳥居から朝日を拝む先には、天照大神(アブラハムの父テラ)の墓があり、物部守屋や聖徳太子(=蘇我入鹿)に手を合わすように伽藍配置は設計されていましたが、
もう一つ、武部さんの情報から・・、そのライン上にピタリと、太安萬侶の墓も存在していました。
古事記を編纂した太安萬侶もこの国の成り立ちを全て知っていた人物の一人ですから当然、大国主命=イエス・キリストの陵慕の位置も知っていたことでしょう。
そのような目でイエスの陵墓との関係性から調べると、摩気神社が見事に浮かび上がりました。
空海さまは知っていましたね。
摩気神社からイエスの陵墓までの距離と、太安萬侶の墓までの距離は、おおよそ共に65㎞と同距離です。
偶然などあり得ませんね。 必然です。