2015年8月17日(月)
5年前の8月16日は、千ヶ峰の霊能者の家へと連れていかれましたが、
昨日16日は、空海様がお生まれになったと言われる、徳島の星谷へと行きました。
(その前日15日のことは、モーセの直系の武部さんが詳しく書いていますので読んでください)
前日の夜からお世話になった民宿明日香さんの玄関前にも空海様の像があって、何やら不思議な因縁を感じた私でしたが、
16日朝から空海さまに見送られて、地元の一の宮へと御参りしてから、星谷へと車を走らせました。
そこで教えられたものとは・・。
現地までは細い山道で、ヒヤヒヤドキドキの道のりでした。・・・が・・!!
空海様のお像の後ろに不動明王が岩に刻まれていますが、どうみてもその姿は空海様にしか私には見えません。
空海様自作に思えて仕方ありません。
いつもそうですが・・、武部さんは見つけましたねぇ。
「凄いものがあります! 来てください、上へ」と後をついて行ったところには・・!!
私には見えました!
この情景そのものが梵字のマ(マウ)を表現していて、マは吾我を意味し大黒天を表すことから、
我、大黒天なり! と空海様は言っておられますね。
そして・・、空海様の名前は、「マオ」と実母が付けられたそうですから、子供のシェを発音すれば、
マオシェ・・となって、モーシェ ・・で、 「我、モーセなり、我、イエス・キリストなり」と。
実のお母さんは、偉大な人物の名前を空海様に授けられたと・・いえいえ、空海様がその名前を選んでこの世に出現されたということでしょう。
それを今に語るように・・・
空海様はこのような情景が見えるところでお生まれになり、1歳7ヶ月ほどで善通寺の佐伯家へと養子に出されたと私に告げられます。
・・・
空海様について神様は私に次のようなことを教えてくれます。
774年7月16日 徳島県勝浦町の星の岩屋で生まれた。
そして1歳7ヶ月の頃、香川県の善通寺の佐伯家へと養子に行った。
実母が「マオ」とカタカナで名を付け、佐伯家が「真魚」と名付けた。
父母は、秦氏の血統である。
現在の暦で、835年4月22日(旧暦3月21日) 入定。
入定して15日目にそこを抜け出し、36日もの間、生野、神河へと行って帰って再び元の座に座り、
心臓が止ったのは 835年7月31日でした。 享年61歳
身長163cm。 血液型はO型である・・と。
まだまだ・・教えられていますが、これ以上はここでは書けません。 ご了承を・・。