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Kagechoのネコ的音楽&介護生活

音楽と猫が好きな介護職員の日々の記録。音楽や猫が好きな方、介護関係の仕事をしている方に読んでいただければ幸いでしょう。

暴走老人!/藤原智美

2011-10-18 00:42:17 | 読 書
 なんだかスッキリしない本だった。
 「暴走老人!」というタイトルと本の内容があまり一致していない。
 タイトルにだまされたような気分だ。(おそらく出版社の仕業)

 あとがきを見たら、
 「テーマは『暴走する老人たち』ですが、私は老人批判を展開したかったわけではありません。暴走の現実を追いかけていくことで、現在進行している人と人とのかかわり方の根底的な変化を見たかったのです」と書いてあった。
 なんだよー。老人批判じゃないのかよー。「暴走老人!」というタイトルだけで、既に(老人を)批判してると思うけどー。
 ぼくは、「暴走老人!」たちの批判を読みたかったのだ。近頃の老人たちはどうなってんだー、ちょっと、いや、かなりおかしいんじゃないかー、という話を読みたかったのに、いつの間にか現代社会の批判? みたいになっちゃってる。なんだよ、この本、つまんねーな、という結果になる。
 読んでいるうちに飽きてきます。

 簡単に言うと、現代は社会の変化のスピードが速すぎて、それに適応できない老人たちがあちこちで「暴走」的な行動を起こしている、というもので、暴走の原因は、現代社会にあるのではないかという問題提起です。なるほどね。そうかもしれません。しかしですね、適応できていないのは、老人たちだけではありませんよ。中高年だって似たようなものです。「暴走中高年!(または暴走老人予備軍)」もたくさんいるわけです。

 昔から、頑固じじいや意地悪ばあさんと呼ばれる人たちはたくさんいたはず。そういった昔の老人たちと現在の老人たちとの間に違いはあるのか、あるとすれば何なのか、そういう視点がもっと欲しかった。一番大きな違いは、時代ですけど。

 著者は芥川賞作家ですが、老人をテーマにするのであれば、もっと老人と接してみて、よく観察し、研究・考察してもらいたいですぬ。

 タイトルにだまされてはいけません。要注意。

チーム・バチスタの栄光/海堂 尊

2011-09-06 00:59:40 | 読 書
 読んでみました、今さら。

 「バチスタ」の意味もやっとわかりました。
 「ナイチンゲールの沈黙(文庫版)」の解説によると、もともとは「チーム・バチスタの崩壊」というタイトルだったそうです。たしかにねー、よく読んでみると、栄光の記録ではなくて、その後の崩壊の過程が描かれているんですよぬ。たぶん、出版社の意向で「崩壊」というネガティブな印象よりも「栄光」というポジティブな印象のタイトルに変更されたのでしょう。

 おもしろいと思います。久しぶりに一気に読めました。

 一つだけ、重箱の隅をつつくようなことを言わせてもらいます。
 文庫版下巻の232ページ。以下、一部引用。

 俺という愚直なブルドーザーに整地させた土台に、白鳥というスティンガーを据え付ける。○○という悪意に満ちたステルス戦闘機を撃ち落とすにはこれしかない、という絶妙な配置だった。

 この表現は、適切ではない。下調べが不十分です。「スティンガー」というのは、たしかに対空火器の一つですが、一般的に人間が携帯できる小型のものを指します。「ブラックホーク・ダウン」という戦争映画を観た方はわかると思いますが、人間が自分の肩に据え付けて撃つもので、せいぜい低空飛行のヘリコプターを撃ち落とすことしかできません(笑)。ステルス戦闘機を撃ち落とすのは、まず無理というか不可能でしょう。「高性能な対空ミサイル」とでも書いておけばよかったのに。
 著者が軍事の知識に乏しく、下調べもしていないことがわかります。この点が唯一の不満。読者をバカにしてはいけません。

 この小説のポイントは、Ai(エー・アイ)なのでしょう。MRIという技術は、それほど最新のものではない。ただし、死んだ人間に対して使われることはほとんどなかった。死因究明のためにMRIを使う、という発想が画期的だったということか。
 あとは、登場人物の魅力と文章の読みやすさですかね。映画(DVD)も観ましたが、なんとなくイマイチでした。原作の方が良いでしょう。

 (宝島社文庫・2007年11月初版・上下巻合計で¥1000)
 (ブックオフで安く買えると思います)

螺鈿迷宮/海堂 尊

2011-08-23 02:09:51 | 読 書
 久々の読書ネタ。本当に久々ですみません。

 「螺鈿(らでん)」というものをまず知らない。妻は知っているらしい。貝殻を砕いた粉(?)で作る細工なんだって。ふーん。
 勝手な想像だが、おそらく作者は映像化されることを期待して、この作品を書いたのではないか(まだ映像化されてないよね?)。というか、映像化してもらわないと、螺鈿の本当の美しさは実感できない。残念ながら、文章だけでは頭の中にイメージできないのである。螺鈿細工で飾られた部屋。それこそが、本作品の象徴であり、最大の見せ場だろう。

 きっかけは、現在テレビで放送中の「アリアドネの弾丸」で、海堂尊という作家に興味をもった。「チーム・バチスタ」のタイトルは、なんとなく知っていたが、そのタイトルからは内容が全く想像できないので、興味がわかなかった。どうやら医学(医療)ネタらしい。テレビドラマはめったに観ないんだけど、妻の影響で「アリアドネ…」にハマりつつあり、海堂尊の他の作品も読みたくなった、というわけ。

 「チーム・バチスタの栄光」、「アリアドネの弾丸」にしても、そのタイトルからは内容を想像できない。バチスタって何? アリアドネって何? という感じ。その点、「螺鈿迷宮」というタイトルは、素直でわかりやすい。螺鈿のことはよく知らないけど、あやしげな迷宮の話なんだ、となんとなく想像はつく。
 本屋で立ち読みしながら、この作品を選ぶ決め手になったのは、「ゲーベンクリーム」という皮膚に塗る薬だった。これを職場で使ったことがある。それだけのことだけど、そんな理由で作品に親近感をもち、ついつい買ってしまうこともある。

 現役の医師が、医学ネタで小説を書く。当然、それなりの説得力、リアル感はあるだろう。作家としての修業をどれくらい積んだのかは知らない。主語と述語の配置など、気に入らない点もいくつかあった。しかし、作者にとって、題材(ストーリー)の面白さや登場人物の描写などが大事なのであって、文章・文体の上手さ、美しさ、表現力など、細かいことはどうでもいいのだろう…… 医師、科学者など理系の人間が書く文章は、わかりにくく、下手なものが多い。この作品は、全体的に読みやすいが、全体的に文章(表現)の拙さも目につく。つまり、文章はたいして上手ではない、ということ。

 各章にはタイトルが付いている。
 「血塗れヒイラギ」「枯れススキ」「薄闇の白百合」「わがままバイオレット」「桃色眼鏡の水仙」「ヘリオトロープの女神」など、登場人物をいちいち植物にたとえているのだが、なんだか気分がしらけてしまった。特に「わがままバイオレット」なんて、昔のアイドル歌手の歌のタイトルみたいだ。こんなタイトルなら、いらない。作品に幼稚な印象を与えてしまっている。

 テレビで仲村トオルが演じている白鳥圭輔は、「ずんぐりむっくりで小器用」で、口が達者な皮膚科の医師として登場する。テレビの印象とは全然違う。その助手として、姫宮という女性が登場するが、もし映像化するなら、仲里依紗がいいと思う。

 (角川文庫・平成20年11月初版・上下巻で¥1000)

病気にならない生活のすすめ/渡部昇一・石原結實

2011-06-22 01:34:09 | 読 書
 どーも、ご無沙汰しておりますぬ。

 読書が趣味かと聞かれたら、どう答えればいいだろう。別に嫌いではないが、「趣味です」と言えるほど、まめに読んではいない…… かもしれない。それでも、履歴書等にはとりあえず「趣味:読書」と書いている(笑)。
 なにげなくコンビニで買ってしまった。ブックオフに行けば、もっと安く買えるかもしれないのに。しかし、ブックオフは自宅からちょっと遠いのだ。それと、コンビニに置いてある文庫本は、何やら特別な存在に見える。その演出にだまされ、時々しょうもない本を買ってしまったりもする。

 渡部昇一といえば、昔「英語の語源」という本を読んだはず。山形県出身、上智大学名誉教授を務め、英語学の専門家。そういうイメージしかなかったが、最近は英語学以外、歴史とか知的生活とか、そういった方面の著書が多いようだ。その人が、今度は「病気にならない生活」の本を出したというわけ。
 石原結實という人は、長崎大学医学部を卒業したお医者さん。本の形式は、渡部氏と石原氏の対談? のような感じで、それぞれの短いコメント(文章)が交互に紹介されていく。あまり疲れることなく、読めると思います。

 サブタイトルは「東洋の知恵は健康の知恵」で、簡単にいえば東洋医学の考え方がずーっと述べられています。石原氏は、西洋医学(または現代医学)を否定、敵視しているわけではありません。が、この本を読んでいるうちに、健康に関する常識って、どこまで本当なんだろう??? と思ってしまいました。

 一つだけ、強く印象に残った内容を紹介します。女性の平均寿命は、なぜ男性の平均寿命より長いのか。それは、毎月の○○があるからだそうです(本当か?)。瀉血(しゃけつ)といって、昔から一定量の血液を抜く治療法があって、高血圧の治療なども、薬が開発される前は瀉血によって行われていたそうです。毎月の○○の平均日数×35年で計算すると、7年分の日数(2555日)になる。そのため、女性はおよそ7年、男性より長生きするというわけです。どうですか。信じる信じないはあなた次第(笑)。男性も同じように、毎月瀉血を続けたら、寿命が延びるんでしょうか? そこまで実験しないと、証明できないような気もする。

 ( PHP文庫・2006年9月初版・定価:本体476円 )

ブログ進化論(岡部敬史)

2010-04-16 01:51:44 | 読 書
 最近は質の良くない新書ばかり読んでいる(笑)。
 新書はダメなのかなぁ…… 

 「なぜ人は日記を晒す(さらす)のか」というサブタイトルが目につき、図書館で借りて読んでみた。4年前に出版されたものなので、情報はやや古い。内容を大雑把に言えば、さまざまなブログの実例を挙げながら、ブログに関する肯定的意見を述べたものである。(あとがき含め200ページ)

 序 章 なぜブログは流行ったのか? 
 第一章 日記としてのブログ
 (ブログで日記を書く醍醐味はコミュニケーションにある 他)
 第二章 メディアとしてのブログ
 (ブログを通じて“フツーの人”が発信することで何が変わったか? 他)
 第三章 ビジネスとしてのブログ

 自分は何のためにブログを始めたんだっけ? これからどういうブログにすればいいんだろう? と考えていたところだったので、何らかのヒントになるのでは、と思ったわけです。なんとなく、ヒントになった? ような気もする。でも「進化論」というタイトルは、売るためとはいえ、少々大袈裟ではないか。動画ブログが最終形態になるであろう、ということと、ソーシャルブックマーク(ブログ単位ではなく記事単位の情報管理)が今後の主流になる(?)ということくらいしか書いてない。あとは自分のお気に入りのブログを紹介してるだけ。

 本書の中から、プロらしくない下手な文章の例を一つ挙げてみる。
 「もちろんその理由は多様であり、一概に言えないことはもちろんだ」(p102)
 もちろん、という言葉が好きらしい(笑)が、使うのは一回でよい。

 あと、文字数をかせぐためなのか、無駄な改行も散見される。もう少し丁寧に文章を書いた方がいいと感じた。

 岡部敬史

パンドラの匣(太宰治)

2009-08-01 10:32:58 | 読 書
 この作品も、「ヴィヨンの妻」と同様、今年映画化された(10月10日公開予定)。

 太宰の作品を読むと、なんだか自分にも書けそうな気がしてくる(実際は、なかなか書けないんだけど)。わかりやすい。だから人気があるのだろう。それに、太宰のような作品が太宰以前にはなかったから、すごいのだ。今さら、太宰のまねごとみたいな文章を書いても、誰も驚かないし注目もしない。

 以前に紹介したブログ風の「正義と微笑」に少し似ているが、この作品は手紙形式になっている。一部を引用する。

 「無理な説明は、しばしばウソのこじつけに終っている事が多い」
 「他人を責めるひとほど陰で悪い事をしているものではないのか」
 「好くも好かれるも、五月の風に騒ぐ木の葉みたいなものだ」

 所々に、ドキッとさせられる文章がある。
 映画と同時に、ぜひ原作の小説も読んでほしい(新潮文庫)。

 映画 パンドラの匣
 太宰治

夢幻紳士(高橋葉介)

2009-07-21 16:38:29 | 読 書
 これを「読書」のカテゴリーに入れてしまっていいのだろうか。マンガなんですけど。まあいいや。

 早川書房の「ミステリマガジン」に「回帰篇」連載中。ぼくはつい最近、このマンガの存在を知ったのですが、絵を見たとき、てっきり女性が描いたものと思いました。線がものすごくやわらかくて、しなやかなのです。こういうタッチの絵に弱いかも。内容はちょっとグロテスクですが、とにかく絵がきれいです。

 けっこう昔から続いているみたいですぬ。

 夢幻紳士
 高橋葉介

正義と微笑(太宰治)

2009-07-11 21:15:05 | 読 書
 ここ数日、太宰ばかり読んでいる。気力が低迷しているせいかもしれない。
 「正義と微笑」は、戦時中の1942年(昭和17年)に発表された。日記形式で書かれた太宰の「ブログ」である(そういう読み方もできる)。一部を引用してみる。

 四月二十二日。木曜日。
 曇。別段、変った事もないから書かぬ。学校、遅刻した。

 四月二十三日。金曜日。
 雨。夜、木村がギタを持って家へ遊びに来たので、ひいてみ給えと言ってやった。下手くそだった。僕が、いつまでも黙っているので、木村は、じゃ失敬と言って帰った。(以後略)

 四月二十四日。土曜日。
 晴。きょう朝から一日、学校をさぼった。こんないい天気に、学校に行くなんて、もったいない。(以後略)

 こんな調子である。もちろん、もっと長い文章もある。文庫本で約190ページ。ぼくは、中学か高校の国語の教科書で、これの冒頭の部分を読んだ。そのときは、こんなに長い続きがあるとは思わなかった。
 日々の出来事を淡々と伝える文章の中に、ときどき彼ならではの格言のようなものが含まれている。一つ引用してみる。

 「世の中というものは、どうしてこんなにケチくさく、お互いに不必要な敵意に燃えているのか、いやになってしまう」

 この一文にも、社会に対する太宰の思いが感じられる。ぼくも同じように感じることがある。自分自身に絶望し、世の中に対しても絶望感をもってしまったとき、人は生きる気力を失う。

 でも、どんなことがあっても、自分に絶望しても、最後まで自分を見捨てないこと。これが大事だと思う。

異邦人(カミュ)

2009-07-09 13:03:25 | 読 書
 不条理な事件が多過ぎる。不条理なことが多過ぎると、それが普通になってしまって、何が不条理で何が不条理でないのか、区別できなくなる。不規則なことが続くと、不規則であることが「規則的」になってしまって…… もう、何が何だかわからない。殺人事件などが起こると、たいてい「犯人の心理分析」というものが行われるが、中には「こじつけ」的な理由付けもみられる。理由の無い犯行というのも、ときにはあるのではないか。

 発表されたのが1942年(昭和17年)、これを「昔」とするか「わりと最近」とするかは人によって違う(新潮文庫として発売されたのは1954年)。もちろん、当時としては、かなり衝撃的な作品だったのだろう。初めて読んだのが、もう20年以上前。あまり印象には残らなかったのだが、そのときに買った文庫本が、今でも手元に残っている。なんとなく、手放せなかった。

 二部構成になっていて、第一部のラストの描写(主人公が人を殺してしまう場面)が気に入っている。小説っておもしろいな、と久々に思った。あまりおもしろくもない実務的な文章ばかり読んでいると(読まされると)、小説のおもしろさ、ありがたさがよーくわかる。「額に鳴る太陽のシンバル」なんて、すごい表現だ。

 夏に読みたい1冊。読むのであれば、ぜひ、夏の間にどうぞ!

 異邦人 新潮文庫

ヴィヨンの妻(太宰治)

2009-07-09 01:38:12 | 読 書
 「ヴィヨンって誰よ?」と妻にきかれる。彼女は自分の知らない名前を聞くと、必ずその正体を知りたがる。「フランソワ・ヴィヨンだろ」とぼくは答える。フランソワ・ヴィヨンがどういう人なのか、知らないけど。

 ちょっと気の早い話だが、10月10日に映画が公開される。浅野忠信と松たか子が主演。太宰の作品の映像化というのは、意外に珍しい。昔読んだ記憶があるが、あらためて読んでみた。短編なので、すぐに読める。

 ぼくは酒を飲まないので、酒好きの主人公にあまり感情移入はできない。現在でもこういう人はいるのだろうか。でも、今どきこんな生活してたら、すぐに離婚だよなー。昔の女の人は我慢強かった…… のかもしれない。松たか子かぁ。ちょっとイメージと違うような気もするけど、まあどんな演技を見せてくれるか期待しましょ。

 結論:昔も今もしたたかで強いのは女 (ネタバレか?)

 ヴィヨンの妻 映画
 フランソワ・ヴィヨン

角川文庫の太宰治

2009-06-28 22:25:05 | 読 書
 太宰治の本が読みたくなって、久しぶりに(新刊本の)本屋に行った。太宰といえば新潮文庫だよな、と思いつつ、なんとなく本をながめていたら、なんか変な写真のカバーが付いた文庫がある。角川文庫の太宰治。これは、ヒドい。
 太宰とは(おそらく)全く関係のない、しかも時代が違う、比較的最近の光景と思われるカラー写真がカバー(表紙)に使われている。なんじゃ、これは。太宰の雰囲気が台無し。腹がたちましたね、ぼくは。

 角川版の「ヴィヨンの妻」には、「パンドラの匣」も収録されているので、本当はそれが一番お買い得だった。が、そのカバーの写真があまりにも気に入らなかったので、買うのをやめた。ばーろー。この写真を採用した人のセンスが理解できない。頭にきた。本当に。ぼくの美意識が許さない(笑)。なんつって。

 結局、新潮文庫の「ヴィヨンの妻」と「パンドラの匣」の2冊を買った。ちょっと高くついたけど。太宰を読むなら、やっぱり新潮文庫が良いと思います。角川文庫の太宰治は絶対に買わない。それくらいのこだわりがあってもいいでしょ。

 太宰治 新潮文庫
 太宰治 角川文庫

ミック・ジャガーの成功哲学

2009-05-23 00:15:44 | 読 書
 「成功哲学」って、ミック・ジャガーがビジネス本を出したわけではない。これは日本の出版社が勝手につけたタイトル。どこに哲学が書いてある? っていう気がしないでもないけど。今どき流行のタイトルで売りたかったんだろうな。オリジナルのタイトルはそのまんま「 Mick Jagger 」。ほぼ同時期に「キース・リチャーズの不良哲学」という本も発売された。

 著者は、アラン・クレイソンという英国人ジャーナリスト。1951年生まれなので、ほぼリアルタイムでストーンズを観て聴いてきた人である。1943年のミックの誕生から、2004年頃までのミックの活動(プライベートを含めて)が淡々と語られている。ミックの発言があちこちに引用されているけど、それを文字どおりに受け取っていいものか。気まぐれだし、リップ・サービスもあるだろうから、一つ一つの発言を解釈しようとするのは、あまり意味がないかも。
 80年代以降のことは、だいたい知っている内容なので、やっぱり60年代から70年代についての部分が一番おもしろい。同時代の他のミュージシャンとの関係とか。女性関係のこともけっこう詳しく書いてあるけど、なんかグチャグチャしてて、よくわからん(笑)。マリアンヌ・フェイスフル、ビアンカ、ジェリー・ホールなどなど。ミックには孫もいるんだよねぇ。

 いまだにミック・ジャガーのことを、ただの「不良ジジイ」と思っている人もいるらしい。思うのは勝手ですが。ぼくが思うのは、彼がしたたかな「役者」であるということ。ライヴでのパフォーマンスも演技みたいなものだし。その辺の不良ジジイにあれだけの演技ができる? あの声が出せる? 無理でしょう。どんなに事件や問題を起こしても、最後の一線を超えることはなかった。チョイ悪オヤジ(死語?)の元祖であるのは、間違いなかろう。

 (発行元:ブルースインターアクションズ社 2008年11月21日初版 定価:\2381+税)

 ミック・ジャガー

ボブ・ディラン自由に生きる言葉

2009-05-16 14:31:07 | 読 書
 本屋で探しても見つからず、しばらく忘れていた。ふと思い出して、地元の図書館で検索してみると…… あった。へぇー。図書館もなかなかやるじゃん。あ、ちなみに、本屋で本を注文するのはあまり好きじゃないのです。なんていうか、面倒なのもあるし、届く頃には忘れていたりするから(笑)。「読みたい」と思ったときに、すぐ手に入らないとイヤなのです。

 ボブ・ディランの語録。原書の出版が1993年なので、デビュー後からその頃までの彼の発言が文字で記されている。60年代半ばにディランがインタビューに答えている映像を観たことがあるが、20代の青年とは思えない貫禄があった。20代にして、はるかに年上の連中と堂々と(ときにバカにしながら)しゃべっている。若さのエネルギーだけではない、説得力。自分の20代の頃の姿とは大違いだった。

 文字が少なめなので、読みやすい。紙がもったいないとかは考えないこと(笑)。
 何のために読むか。それは生きる勇気を得るためだ。
 一つだけ、彼の言葉を引用する。

 「人が言うことをいちいち気にするな。心が死んでしまうから」

 (出版社:イーストプレス 2007年4月10日初版 定価¥1000+税)

 ボブ・ディラン

英語の壁(マーク・ピーターセン)

2009-05-13 13:36:25 | 読 書
 「日本人の英語」の著者である。といっても、それを読んでいない人には伝わらない。そりゃそうだ。まあ、けっこう売れた本なので、機会があったらどうぞ(岩波新書です)。
 著者は米国人で、日本近代文学を専攻し、日本の大学で教えている。日本語、日本文学を長年研究している人である。そういう立場の人からみて、やっぱり二つの言語の間には「壁がある」と感じているようだ。著者が感じたさまざまな「壁=違和感」をまとめた本。一つ一つのエピソードが短いので、ブログを読むような感覚で読める。ブッシュ前大統領がいかにバカだったか、という話とか。

 Ⅰ 不思議なアメリカ、謎のニッポン
 Ⅱ あやしい英語とまがいものの日本語
 Ⅲ 英語と日本語のあいだに

 日本という国の事情もよくわかっている人なので、読みやすい。というか、日本で発売する本だから、日本人に気をつかっているのかもしれない(笑)。
 一番印象に残ったのは、「日本の英語教育で一番まちがっているのは、国民全員に対して強制的に一つの外国語を覚えさせようとしているところ。そんな考え方は甘過ぎる」という主張と「(日本の)英語の参考書にはけっこうウソが多い」という指摘。ああ、ぼくらは何を信じればいいのか。

 (文春新書・2003年7月20日初版)

 マーク・ピーターセン

嘘つきアーニャの真っ赤な真実(米原万里)

2009-05-09 00:59:06 | 読 書
 この本によれば、人間の言語習得能力のピークは「7歳から14歳まで」の間らしい。日本の場合でいえば、小学校入学から中学2年くらいまで。ということは、この時期に英語を勉強(または日常生活で使用)すれば、最も学習効果があがる? かもしれない。そのかわり、日本語の知識がおろそかになる可能性はある。で、この時期に英語や他の外国語を覚えたとする。その能力は、一生残るか否か。

 答えは「否」である。この時期にネイティブと同等の語学力を習得したとしても、その後、その言葉を使わない生活を続ければ、確実に忘れてしまう。この本には、ルーマニア人のアーニャの例が書かれている。彼女は、この時期にロシア語をほぼ完璧にマスターしていたのだが、その後の生活でロシア語を使う機会が無くなったため、話せなくなったという(ただし、相手の話すことは理解できる)。
 最近始まった小学校での英語教育の参考になるのでは? というか、もう答えは出ている(笑)かもしれない。個人差もありますが。

 この本には、3つの短編(ノンフィクション)が収録されている。
 「リッツァの夢見た青空」
 「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
 「白い都のヤスミンカ」

 著者の米原万里(ロシア語同時通訳・作家)は、10歳から14歳までの間、プラハのソビエト学校に通っていた。その著者が、3人の同級生を捜し出し、約25年ぶりに再会を果たすという話である。「ドキュメンタリー」と言ってもいいかもしれない。80年代末、東欧諸国激動の時代。その再会の様子は感動的でもある。

 (角川文庫・2004年6月25日初版)

 米原万里