小学校1年の時、担任の先生が怪我をした。
猫塚の前を通ろうとした時に躓いてアキレス腱を切っってしまった。
小学校の敷地内に猫塚の石碑があった。
私は聞いていなかったが、生徒の前でふざけて「バカ塚」とか言ったので祟りだ噂された。
有馬屋敷の化け猫騒動(現在の三田一丁目)
【歴史解説】江戸時代のペット怪談3選【VOICEVOX】 最初が有馬猫の話です。
「日本三大化け猫騒動」鍋島、阿波、そして有馬。
その中の1つである有馬の猫騒動が起きたのが私の出身地である三田1丁目だった。
前回の祟りの話、銀杏(ぎんなん)稲荷大明神と同じく三田1丁目。
銀杏稲荷よりは家から遠いが、通っていた小学校の敷地でそれは起きた。
有馬といえば有名なのは有馬温泉、こちらは関係ないようです。
それと福岡県の久留米藩も有馬家が藩主を務めていましたが、その上屋敷が三田にありました。
私の生家を含め三田1丁目一帯が有馬の屋敷だったそうでそこで化け猫騒動が起こった。
ちなみに目黒区の三田も有馬の飛び地という話は以前ネットで見かけたが、今検索してもそれらしき情報は出て来ません。
小学校の敷地に猫塚と書かれた石碑があり、担任が「バカ塚」と言って怪我をしたこともあり
祟りや化け猫に気を付けながら小学校生活を送った。
ただ赤羽小学校にあるのは石碑出あって、
塚本体は隣接する都立三田高校のおセンチ山らしいということを後になって知った。