「リーマン・ブラザース破綻」
そんな記事をある店の店頭の新聞でみたのは、去年友達とロンドンを旅行していた時だった。
旅行中だったので詳しく記事は読めなかったが、
「これは一波乱あるかな」
と経済の素人ながら感じたことを覚えている。
だが、ことは一波乱どころではなかった。
その後の世界の経済は荒廃し、今も尚、景況の行方は不透明なままだ。
あれから、なぜリーマンショックが起こったのかと度々考えてきた。
しかし、ゆくゆく調べてみると構造的に難しい問題だったので、
かなり時間がないと分析しきれないと思って途中で断念してきた。
とまぁ前置きが長くなりましたが、
要は今暇な時間ができて調べています、ってことです。
なので、ここで少しまとめをしたい。
ただし、この問題は専門家ですらあまり理解できていない状況なので、
ド素人のKが理解できているのは表層的な部分だけかもしれません。
つまりは「あまり自信はありませんよ」とだけ、
「専門外」という言い訳を加えつつ断っておきます。
さて、リーマンショックはなぜ起こったのか。
これを正しく理解するには、もちろんサブプライム問題について理解しなければならない。
そしてサブプライム問題について理解するには、
少なくとも1990年代以降の世界経済の状況を理解する必要があると思っている。
したがって、今回の記事は、
サブプライム問題が顕在化するまでの世界経済状況について概観することにしよう。
もちろん今回の記事の主役は米国。
米国は莫大な経常赤字・財政赤字、いわゆる「双子の赤字」を抱えていることで知られてきたが、
第二次世界大戦後当初は経常黒字の国だったと聞いたら驚くだろうか。
これが赤字に転換したのは、様々な要因があるが、
主に1970年代くらいからベトナム戦争の出費がのしかかってきたことと、
日本等の新興経済国の台頭によって輸入超過になったことがある。
歳出超過の状況に陥った米国は1985年のプラザ合意にてドル安誘導政策をとるが、
その後の「強いドル」政策によって頓挫する。
まぁ「頓挫」という言い方は適切でないかもしれない。
なぜなら、クリントン政権後期(1995-)からは強いドル(つまりはドル高)が
米国の国益と考えられたからだ。
なぜか。
普通に考えれば歳出超過の中で「強いドル」を推進すれば赤字が膨らむのは明らかだ。
しかし、①米国の内需拡大、②経常赤字以上の資金を外国から還流させる、
という二つの手法によりこの政策は正当化された。
実物経済によって生じた損失は、マネーの還流によって補い、
マネーの還流によって生じた潤沢な資金を使えば、
金融市場によりキャピタルゲインで利益を上げることができるようになる。
もう少し詳しくいえば、米国は海外からの投資によってマネーを還流させているが、
米国や米企業の信用が高いために、その利払いは安い。
つまり、安く資金を海外から調達できる。
そして、その資金をもって海外のハイリターン金融市場に投資すれば、
その差額によって莫大な利益を得ることができる。
簡単にいえば、これが1990年代に生じた経済の仕組みであり、
この流れは次第に世界を飲み込むことになる。
これが意味することは、世界中の金融市場の緩和が米国の国益となるということだ。
そのため、米国は90年代以降、あらゆる国に金融市場の緩和を求めていくこととる。
余談だが、日本においても橋本政権から小泉政権にかけての金融市場の緩和は、
この流れの中で位置づけられるものといえる。
まとめると1990年代以降、実物経済をはるかに超える規模でマネー経済が世界を支配するようになった。
つまり、モノを売って儲ける時代ではなく、金融で儲ける時代になったと、
少なくともその時代の先覚者たちは考えた。
そして、金融市場によって生じたひずみがサブプライム問題として現われていく。
(次へ続く)
そんな記事をある店の店頭の新聞でみたのは、去年友達とロンドンを旅行していた時だった。
旅行中だったので詳しく記事は読めなかったが、
「これは一波乱あるかな」
と経済の素人ながら感じたことを覚えている。
だが、ことは一波乱どころではなかった。
その後の世界の経済は荒廃し、今も尚、景況の行方は不透明なままだ。
あれから、なぜリーマンショックが起こったのかと度々考えてきた。
しかし、ゆくゆく調べてみると構造的に難しい問題だったので、
かなり時間がないと分析しきれないと思って途中で断念してきた。
とまぁ前置きが長くなりましたが、
要は今暇な時間ができて調べています、ってことです。
なので、ここで少しまとめをしたい。
ただし、この問題は専門家ですらあまり理解できていない状況なので、
ド素人のKが理解できているのは表層的な部分だけかもしれません。
つまりは「あまり自信はありませんよ」とだけ、
「専門外」という言い訳を加えつつ断っておきます。
さて、リーマンショックはなぜ起こったのか。
これを正しく理解するには、もちろんサブプライム問題について理解しなければならない。
そしてサブプライム問題について理解するには、
少なくとも1990年代以降の世界経済の状況を理解する必要があると思っている。
したがって、今回の記事は、
サブプライム問題が顕在化するまでの世界経済状況について概観することにしよう。
もちろん今回の記事の主役は米国。
米国は莫大な経常赤字・財政赤字、いわゆる「双子の赤字」を抱えていることで知られてきたが、
第二次世界大戦後当初は経常黒字の国だったと聞いたら驚くだろうか。
これが赤字に転換したのは、様々な要因があるが、
主に1970年代くらいからベトナム戦争の出費がのしかかってきたことと、
日本等の新興経済国の台頭によって輸入超過になったことがある。
歳出超過の状況に陥った米国は1985年のプラザ合意にてドル安誘導政策をとるが、
その後の「強いドル」政策によって頓挫する。
まぁ「頓挫」という言い方は適切でないかもしれない。
なぜなら、クリントン政権後期(1995-)からは強いドル(つまりはドル高)が
米国の国益と考えられたからだ。
なぜか。
普通に考えれば歳出超過の中で「強いドル」を推進すれば赤字が膨らむのは明らかだ。
しかし、①米国の内需拡大、②経常赤字以上の資金を外国から還流させる、
という二つの手法によりこの政策は正当化された。
実物経済によって生じた損失は、マネーの還流によって補い、
マネーの還流によって生じた潤沢な資金を使えば、
金融市場によりキャピタルゲインで利益を上げることができるようになる。
もう少し詳しくいえば、米国は海外からの投資によってマネーを還流させているが、
米国や米企業の信用が高いために、その利払いは安い。
つまり、安く資金を海外から調達できる。
そして、その資金をもって海外のハイリターン金融市場に投資すれば、
その差額によって莫大な利益を得ることができる。
簡単にいえば、これが1990年代に生じた経済の仕組みであり、
この流れは次第に世界を飲み込むことになる。
これが意味することは、世界中の金融市場の緩和が米国の国益となるということだ。
そのため、米国は90年代以降、あらゆる国に金融市場の緩和を求めていくこととる。
余談だが、日本においても橋本政権から小泉政権にかけての金融市場の緩和は、
この流れの中で位置づけられるものといえる。
まとめると1990年代以降、実物経済をはるかに超える規模でマネー経済が世界を支配するようになった。
つまり、モノを売って儲ける時代ではなく、金融で儲ける時代になったと、
少なくともその時代の先覚者たちは考えた。
そして、金融市場によって生じたひずみがサブプライム問題として現われていく。
(次へ続く)