大阪のフリージャーナリストで、元公務員の西谷文和さんが7日、再びイラク北部に入った。
本人のブログによると、どうやら元気そうでひと安心。
西谷さんは吹田市職員時代から休暇を利用して紛争地訪問、取材を続けていた。
問題が起きた際のことを気にする一部の市幹部や市議会は、ずっと西谷さんを「厄介者」扱いしていたようだった。
同様に、国民の安全を司る外務省や警察も、西谷さんのイラク渡航に毎回難色を示し、「注意」している。
そんな西谷さんだが、度重なる取材でイラク北部の要人との間では絶大な信頼関係を築き、今回もハラブジャ市長から直々に出迎えを受けたという。
何とも皮肉だ。
ハラブジャは、フセイン政権時代に毒ガス攻撃で多数の死者を出した町。「ヒロシマ」への共感も強い。
◆イラクの子どもを救う会
http://www.nowiraq.com/blog/
× ×
<関連記事>
◆イラク戦争:開戦4年 被爆アオギリの祈り 毒ガス被害の町へ、広島から苗
◇「イラクのヒロシマ」へ
イラク戦争開戦から20日で4年。この日を前に、大阪府吹田市のフリージャーナリスト、西谷文和さん(46)が、原爆を乗り越えて生き続けたヒロシマの被爆アオギリ2世の苗木を、イラク北部のハラブジャに届けた。ハラブジャは、フセイン政権による毒ガス攻撃の悲劇の町として知られ、「イラクのヒロシマ」とも呼ばれている。今も混乱が続く地に、被爆国から平和を祈る心が伝えられた。(2面に関連記事)
◇「復興の希望に」
広島市の平和記念公園にある被爆アオギリは、原爆で焼けながらたくましく生き続け、被爆者に勇気を与えた木。その苗木や種は、平和を願う象徴として国内各地だけでなく、チェルノブイリ原発事故の被災地・ウクライナや、欧米、アフリカなど世界各国に渡っている。イラク国内に届けられたのは今回が初めて。
イラクの子どもたちの医療支援を続ける西谷さんは、広島市から譲り受けた苗木を手に今月5日、ハラブジャを訪れた。この町はクルド人が多く居住し、88年にはフセイン政権から毒ガス攻撃を受け、約5000人が死亡。地元では、原爆被害を受けた広島とダブらせて、「ハラブシマ」と呼ぶ人も多い。
毒ガス被害の後も相次ぐ戦争による混乱で、町全体が疲弊。多くの住民が毒ガスによる後遺症や貧困に苦しんでいるため、西谷さんは、被爆アオギリを届けて勇気づけたいと考えた。
現地では、「クルド愛国者同盟」の地元幹部らが集まり、苗木の贈呈式を開催。毒ガス犠牲者の集団墓地前で、西谷さんが「被爆アオギリは、原爆で枯れかかったものの力強く生き残った。イラクの人たちも生き抜いてほしい」と由来を説明して、30センチほどの苗木1本を手渡した。
墓地周辺では平和公園の建設が計画されており、成長したアオギリを中心に、その周りに平和の象徴・オリーブを植樹することにした。愛国者同盟の幹部らは「将来的には、広島と姉妹都市提携を結びたい」と希望を語ったという。
西谷さんはイラク入りに先立ち、被爆アオギリの語り部、沼田鈴子さん(82)=広島市南区=を訪問。沼田さんはイラクの劣化ウラン弾被害者の苦しみを思い、「立場は被爆者と一緒。イラクにこそアオギリを届けて」と話したという。
西谷さんは「イラクで絶望している人たちが、沼田さんのようにアオギリによって生きる希望を持ってくれればうれしい」と話している。西谷さんは今後、劣化ウラン弾被害が深刻なバスラや、陸上自衛隊が派遣されたサマワにも苗木を届けたいという。【鵜塚健】
■写真説明 広島平和記念公園に残る被爆アオギリ=広島市中区で06年8月6日、西村剛撮影
■写真説明 イラク北部・ハラブジャの毒ガス犠牲者集団墓地で、被爆アオギリ2世の苗木を手渡す西谷さん
2007年03月20日 毎日新聞 大阪夕刊1面
本人のブログによると、どうやら元気そうでひと安心。
西谷さんは吹田市職員時代から休暇を利用して紛争地訪問、取材を続けていた。
問題が起きた際のことを気にする一部の市幹部や市議会は、ずっと西谷さんを「厄介者」扱いしていたようだった。
同様に、国民の安全を司る外務省や警察も、西谷さんのイラク渡航に毎回難色を示し、「注意」している。
そんな西谷さんだが、度重なる取材でイラク北部の要人との間では絶大な信頼関係を築き、今回もハラブジャ市長から直々に出迎えを受けたという。
何とも皮肉だ。
ハラブジャは、フセイン政権時代に毒ガス攻撃で多数の死者を出した町。「ヒロシマ」への共感も強い。
◆イラクの子どもを救う会
http://www.nowiraq.com/blog/
× ×
<関連記事>
◆イラク戦争:開戦4年 被爆アオギリの祈り 毒ガス被害の町へ、広島から苗
◇「イラクのヒロシマ」へ
イラク戦争開戦から20日で4年。この日を前に、大阪府吹田市のフリージャーナリスト、西谷文和さん(46)が、原爆を乗り越えて生き続けたヒロシマの被爆アオギリ2世の苗木を、イラク北部のハラブジャに届けた。ハラブジャは、フセイン政権による毒ガス攻撃の悲劇の町として知られ、「イラクのヒロシマ」とも呼ばれている。今も混乱が続く地に、被爆国から平和を祈る心が伝えられた。(2面に関連記事)
◇「復興の希望に」
広島市の平和記念公園にある被爆アオギリは、原爆で焼けながらたくましく生き続け、被爆者に勇気を与えた木。その苗木や種は、平和を願う象徴として国内各地だけでなく、チェルノブイリ原発事故の被災地・ウクライナや、欧米、アフリカなど世界各国に渡っている。イラク国内に届けられたのは今回が初めて。
イラクの子どもたちの医療支援を続ける西谷さんは、広島市から譲り受けた苗木を手に今月5日、ハラブジャを訪れた。この町はクルド人が多く居住し、88年にはフセイン政権から毒ガス攻撃を受け、約5000人が死亡。地元では、原爆被害を受けた広島とダブらせて、「ハラブシマ」と呼ぶ人も多い。
毒ガス被害の後も相次ぐ戦争による混乱で、町全体が疲弊。多くの住民が毒ガスによる後遺症や貧困に苦しんでいるため、西谷さんは、被爆アオギリを届けて勇気づけたいと考えた。
現地では、「クルド愛国者同盟」の地元幹部らが集まり、苗木の贈呈式を開催。毒ガス犠牲者の集団墓地前で、西谷さんが「被爆アオギリは、原爆で枯れかかったものの力強く生き残った。イラクの人たちも生き抜いてほしい」と由来を説明して、30センチほどの苗木1本を手渡した。
墓地周辺では平和公園の建設が計画されており、成長したアオギリを中心に、その周りに平和の象徴・オリーブを植樹することにした。愛国者同盟の幹部らは「将来的には、広島と姉妹都市提携を結びたい」と希望を語ったという。
西谷さんはイラク入りに先立ち、被爆アオギリの語り部、沼田鈴子さん(82)=広島市南区=を訪問。沼田さんはイラクの劣化ウラン弾被害者の苦しみを思い、「立場は被爆者と一緒。イラクにこそアオギリを届けて」と話したという。
西谷さんは「イラクで絶望している人たちが、沼田さんのようにアオギリによって生きる希望を持ってくれればうれしい」と話している。西谷さんは今後、劣化ウラン弾被害が深刻なバスラや、陸上自衛隊が派遣されたサマワにも苗木を届けたいという。【鵜塚健】
■写真説明 広島平和記念公園に残る被爆アオギリ=広島市中区で06年8月6日、西村剛撮影
■写真説明 イラク北部・ハラブジャの毒ガス犠牲者集団墓地で、被爆アオギリ2世の苗木を手渡す西谷さん
2007年03月20日 毎日新聞 大阪夕刊1面