むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

動く人

2011年03月29日 16時27分21秒 | Weblog
今さらだけれど、震災直後から各界で組織や人が動く。



まずは関心の強いところから。
http://www.barks.jp/news/?id=1000068448

http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-20164320110322



目を引くのが、サッカーの海外組。
直後から喪章をつけたり、Tシャツにメッセージを書いたり……。

ちっぽけかもしれないけれど、外に出て、自分の足一本で勝負している男たちは違う。
度量、責任感、決断の強さ、速さ……。

大きな組織にいればいるほど、安心感と引き換えに失ったり、忘れてしまったものってありませんか……。
そんな問いを発信しているような気がする。

SNSの威力も改めて。
ツイッターでつながり、瞬時に被災者検索や手話放送など新しいことを始めた人も。
有事の今だけ視られるNHKでやってた。





今いるこの国は、とにかく動きが遅い。
一人ひとりはやさしく温かい人たちで、声もかけてくれる。
しかし、自分から動かない。先頭に立たない。
不満があるとすぐに他人、社会、政府のせい……にする傾向も強い。

規制が多く不自由はあっても、豊富な資源を背景にそれなりに豊かな暮らしを実現してしまった。
そんな中で、人々の意識はどんどん錆ついていく。

かなり深刻。国民もそれに気付かない。
自分の国で地震が起きたらどうするのか?
(ああ、また言い過ぎたか……)



能書きはこれくらいに。
まずは仕事。
できることはたくさんあるはず。


  ×   ×


前回の項で書ききれなかった。

毎年、現場に入り、「忘却」の怖さを伝えている。
ここにも格好いい動く人。
3月20日でイラク開戦8周年
http://www.asiapress.org/apn/archives/2011/03/21134249.php

忘却

2011年03月29日 01時47分29秒 | Weblog
日本で起こっている事実のあまりの大きさゆえ、離れた場所で語るどんな言葉も陳腐に見える気がした。何も書く気がしなかった。
何もできないもどかしさもそれに拍車をかけた。




ペルシャ湾を渡った小さな国で、短い間に2回の葬式に出た。
http://mainichi.jp/select/world/news/20110323k0000e030024000c.html?inb=yt
買い物に向かう運転中に狙撃された女性。
「神は偉大なり」と路上で叫んだだけで4発も撃ち込まれた青年。
どちらも理不尽な死だ。



遺体をきれいにする部屋まで案内され「さあ、写真を撮れ!」と言われたが、正直レンズは向けられなかった。
その後、葬列に加わり、一緒に時間を過ごしていると、悲しさがどんどんと自分の体にしみ込んでくる。
民族も言葉も違う国であっても、伝わってくるものは一緒。
当たり前のことに気づかされた。

たった2人の死に立ち会っただけ。
遠い日本の悲しみの深さを考えさせられた。
といっても、まだ何もわかっちゃいない。




戦争でも災害でも被害が大きすぎると、一人ひとりの死が数字でまとめて語られてしまう。そして、受け止める方もだんだん「わかったような気」になる。

「忘却こそが被災者の危機」
新聞にあった、阪神大震災を経験した精神科医の言葉だ。

想像力

2011年03月14日 03時20分23秒 | Weblog
阪神大震災を超える災害なんて、自分が生きているうちにありえないと思っていた。
目を覆いたくなる惨状。
離れたところから何もできないのが何とも情けなく、もどかしい。

と同時に、16年前に起きた「阪神」の怖さや、取材でお世話になった多くの遺族の悲しみを少しずつ忘れている自分を感じる。
凡人の「想像力」は、よほど意識していないとすぐに薄れてしまう。




甚大な震災被害が伝わると、イラン人の友人らから次々と電話がかかり、家族の無事かどうかなどを尋ねてくれる。
日本に行ったことがあるイラン人は、日本の惨状を本気で悲しんでいる。

イラン人は一人ひとりはみんな想像力のある優しい人たち。
ただ、政府や社会全体となると、全くそれが変わってしまう。
違法建築がはびこり、人の行動もどこか目先の自分の利益に走る傾向が……。

地震大国イラン。
首都テヘランで起きたら、数十万人が犠牲になるとの予測もある。

悲惨な様子は想像したくない。