むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

いつでも……

2010年01月30日 15時45分51秒 | Weblog
暖冬続きだったのが、週末は寒さが戻った。
雪がなくなりかけたテヘラン北部の山も、再びきれいに雪化粧。

早朝の雪山は、見ているだけで爽快だ。




イランに滞在中の最終目標はもう決めている。
北部にある5000㍍級の中東最高峰、ダマバンド山登頂!
イラン人にとっては、富士山のような聖なる存在で、末広がりの格好も実に似ている。

もちろん挑戦するにしても夏の間。
標高が高いので、しばらくはトレーニングしないと……。




「富士山なんていつでも登れる」
なんて思っていたら、40歳まで一度も登らなかった。
出稼ぎで日本にいたイラン人も意外と結構登っていて、そんな話を聞くとなんだか悔しい。

「そんなの、いつでもできる」
なんて考えていられるのは、やっぱり20~30代までだよなあ。

やりたいことは、思った時にやらないと……と痛感する。
時間は飛んでいく。

ベタベタ

2010年01月29日 23時19分23秒 | Weblog
久しぶりにいい感じ。

自分の尻のことだ。
運動不足だった東京にいたころは、一時かなりブヨブヨの状態に。
それが、最近、かなり締まってきた。
坂道ランニングの成果だ。



一方、走っていて困るのが、やたらに車の窓から乗り出して、道を尋ねられることだ。
ランニングをしているくらいだから、地元の人間だろうと勘違いされる。
特に夜は顔が見えないから余計だ。

イラン人はだれでもかまわず道を聞く。
タクシー運転手もはっきりと住所がわからなくても、適当に近くまで行ってから、何度でも人をつかまえて、道を尋ねる。

「アーガー、ベバシー!(そこのミスター、すいませんが)」
これさえ言えば、何でも尋ねることは、恥でもなんでもないようだ。



イランの人間関係は総じて濃い。
誰でも握手するし、挨拶するし、とにかくベタベタ。
日本も昔はこうだったんだろうなあ。


  ×   ×


毎日、見ている間寛平のHP。
氷点下の中を確実に毎日50㌔、イランに確実に向かっている。

驚くのは書き込みの数の多さだ。
大半は赤の他人だろうけれど、寛平さんからパワーをもらい、何かつながりを求めているようだ。
ネット時代になっても、求めるのは結局はベタベタなものなんだろう。
http://www.earth-marathon.com/

絞る

2010年01月29日 17時57分00秒 | Weblog
ビルマを撮り続けるフォトジャーナリスト、宇田有三さんからメール。
大阪でミャンマー(ビルマ)難民の取材をしていた時に出会い、その後ごぶさたしたままだった。
今もビルマの少数民族や難民に焦点をあて、駆けずり回り、著書も出版した。

■Yuzo Uda
http://www.uzo.net/folio/folio_cl.htm
■閉ざされた国ビルマ
http://www.koubunken.co.jp/0450/0434.html




フォトジャーナリストの話の続きで僭越だけれど、最近僕も少しだけ写真に凝るようになった。
警察や役所取材の担当当時、写真は2の次、3の次だった。
そのうち全く撮らなくなり、苦手意識からずっと逃げていた。

写真は撮る人間の姿勢や考え方、いろんなものが反映される。
それ自体が鏡のようだ。
自分の足りないところがさらけだされるようで一時は嫌だった。




けれど、イランに来て、考え方が劇的に変わった。
(出発前に大枚をはたいてニコン「D90」を新調したこともある)

「絞る」

17年も記者をやっていて、ようやくこの1点に気がついた。
伝えることをどれだけ絞り、ほかを削るか……。





といいながら、そんな簡単なことじゃない。
なんだか人生に似ている。
絞り方、削り方がうまい人は、輝いている。





学生時代の友人アカツ氏(どこか違和感)もビルマに照準を絞った一人。
どうしてるだろう……。
■ミャンマー関連ニュース
http://www.actiblog.com/burmamyanmarnews/

スカッと

2010年01月28日 21時33分14秒 | Weblog
ついにあいつがやって来た。

定期的にかかる口内炎。
熱いものを食べたり、飲んだりするのがつらい。

特効薬はいつも豚肉なんだけれど、こればっかりは食べられない。
たこの足のようなのができるといつも憂鬱になる。




WHO(世界保健機関)によると、テヘランの空は世界随一の汚さらしい。
確かに市内の車の多さは異常だし、環境に悪そうな車も多い。
(車はそれなりに高いけれど、ガソリンは1リットル10円という安さ)

たまに「はずれ」のタクシーに乗ると、扉が外れそうで、車内がガソリン臭でいっぱい。
黒い煙をもうもう出し、ウンウンうなりながら走っている。
大丈夫か……と心配になることも。




今日も窓の外から街中を眺めると少し濁った感じ。
それでも、冷たい雨や雪が降った翌日の朝は、汚れが洗い流され、スカッとした青空。


再び、嗚呼、口内炎。
体調も、仕事もスカッ……といきたいもんだ。

ダメもと

2010年01月27日 04時48分34秒 | Weblog
某機関の同年代の日本人と、うまいピザをかじりながら、話を聞いた。
この国の社会の流れ、町中の人の動き、うまいもの……。
やたらよく人と会っている人は、話が豊富で、いろんなことをかぎ分けている。



なんだか極度に反省した。
新聞記者はとにかく多くの人と会うのが基本だと思う。

けれど、今はなんだかネットでニュースを過剰に警戒したり、調べたりする時間が多くなり
がち。ともすると人と会うのが億劫になる。
時間をどんどん吸い込んでいくネットは本当に怖い。(ブログで費やす時間もそう……?)

経験上、「ダメもと」でいろんな人と会い、あまり考えずにバタバタと時間を過ごしている時の方が、よく原稿を書いている。



年齢もそれなりに重ね、空白やゆとりが大事なこともよくわかってきた。
けれど、まだ止まって考えるには早すぎるよなあ。
「ダメもと」。忘れかけていた言葉だ。

お節介

2010年01月26日 04時08分41秒 | Weblog
海外での1人での生活、仕事は気楽な面もあるけれど、時にハイテンションになったり、落ち込んだり、焦ったり、気分の上下との闘いでもある。(少し大げさか?)

まあ、現在のイランはかなり特殊な状況下。
仕事も一筋縄でいかないのはわかってはいるものの、まあ、いろいろ考えこんでしまうこともある。



もやもやした時はいつも近くの雑貨屋へ行く。
ペルシア語の本を手に、今日もしばしウダウダと過ごした。

キャラクターの濃いでこぼこな店員ばかりだけれど、みんななんだか温かい。
「どこ行ってたんだよ。日本に帰ったんか」
何日か顔を出さないでいるとそれぞれ声をかけてくれる。
まあ、お節介が好きな人たちだ。



久々に日本人妻を持つ超お節介?なイラン人、ぺペさんに電話した。
「ちゃんとやってるか」「わかってるか」「また助けるからね」
まともに仕事ができるようにいつも助け舟を出してくれ、ぶっきらぼうなへんてこりんな日本語で、いろいろと叱咤激励してくれる。
40歳にもなり、子供になったような不思議な気分。



故筑紫哲也の著書に、ジャーナリストはお節介が仕事だと書いていた。
お節介が好きな人が、いい記事を書く傾向は確かにその通りだ。

最近、自分のことで精いっぱいなのか、自分から誰にもお節介をやいてないなあ……。
イラン人のお節介気質。 見習いたい。


驚異の60歳

2010年01月24日 04時10分20秒 | Weblog
前立腺がんが発覚して以降、再び走り始めた間寛平さん。
今、トルコの山間を走って、イランにぐんぐんと向かっている。

■アースマラソン
http://www.earth-marathon.com/

1日50㌔のペースも取り戻したらしい。
根性や意地で走れる距離じゃない。
偉大な積み重ねに圧倒される。



先日、四国時代に一緒だった記者仲間から、病床からメールが届いた。
病気と向き合う人が周囲に確実に増えている。

しょうもない日々の不平や不満で、時間をむだにするのはやめよう。
自由自在に動けることに感謝。寛平ちゃんから、教えられる。

ゲンバ

2010年01月23日 05時38分51秒 | Weblog
テヘランでは、かつて日本へ出稼ぎに行き、日本語が堪能なイラン人が結構いる。
そんなイラン人が、「ヤクザ」「ハラキリ」などの言葉を広めたおかげで、普通の人まで知っている。



今日も近くのスーパーで出会った。
「何の仕事してたの?」と聞くと「ゲンバ、ナナネン」
みんなそう答える。


先日会った運転手も「シゴトハ、ゲンバ、アッチコッチネ」という。
「どこで仕事してたの」と聞くと、「ニイガタ、ヒロシマ、カワグチ、ナミエ……」
カワグチまでわかったけれど、ナミエってどこの町?
ナゴヤじゃないの?と聞くと、「トウキョウカラ、トオイネ、キタノホウ」という。
う~ん、ナミエ……。
なんだか女性の名前と勘違いしてる気がしたけれど、それ以上の追及はやめた。



イラン人にとってゲンバは、完全に仕事の種類を表す日本語になってしまったようだ。

だらだらと(イランでの)週末が終わってしまった。
土曜から再び週の始まりだ。
気を入れ直して、面白いゲンバを探したい。

謝る男

2010年01月22日 17時37分22秒 | Weblog
謝る男は格好いい。


ワシントンポスト副社長はイラク戦争前、ブッシュ大統領が開戦の根拠とした「イラクが大量破壊兵器を保有している」とする情報が怪しい、とのネタをつかみながら、1面に載せなかった「失敗」を今も悔やむ。
ピューリッツァー賞にもっともかかわった男。器が違う。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100111ddm012040015000c.html



一方、謝りきれない人も……。
「私が反対していれば、イラク戦争への参戦を止められたかもしれない」
英国のストロー元外相は、イラク戦争の調査委に対し、当時の苦悩を語りながらも、参戦の判断は正しかったことを強調した。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100122k0000e030058000c.html

http://www.irna.ir/En/View/FullStory/?NewsId=911664&idLanguage=3


沖縄からも米海兵隊がイラク戦争に大挙して参加した。
日本は単に支持しただけではない。
間接的に殺戮行為にもかかわっている。

日本では検証するムードすらどこかへ行ってしまった。




外交だけでなく内政でもそう。
小泉政権時代に、規制緩和を散々煽った学者や官僚たちは、当時から危惧された格差の拡大について何の反省もない。

竹中平蔵・元金融相、大田弘子・元経済財政政策担当相……。

最近、また新聞各紙に登場し、何食わぬ顔して笑顔で経済を論じているのが不思議だ。



日本人の謝り下手は一体どこから来るのだろう……。
武士道? それとも男の意地?(でも女もいるし) 「水に流す」という文化?




当地イランは、保守派と改革派だけでなく、政権中枢の保守派内でも対立がひどくなるばかりだ。
「譲らない男」たちの衝突はたちが悪い。

つながる、つながる

2010年01月21日 04時27分48秒 | Weblog
今年のイランはどうやら暖冬のようだ。
12月初旬から雪もさっぱり。
冬の夜でも走るのにちょうどいい。



走りながらふと考えた。

走っていなかったら今ごろどうだっただろう。
少しは勉強してもう少し賢くなっていただろうか?
今ごろ語学でこんな苦労もしなかったのかもしれない……。


ただ、大学で走っていたからこそ同じ郷里の先輩の紹介で、ラーメン屋でバイトを始めた。
→そこで中国人留学生に出会ったらこそ、誘われて留学生寮に入った。
→その寮で、イラン人ハーフの友人に出会ったからこそ、約20年後にペルシア語を習うことができた。
→その寮で、先輩公務員に出会ったからこそ、ドバイの某公的機関で働くFさんを紹介してもらえた。

先日久々に会ったFさんは、6年前にイラクに取材に出かける途中にも、隣国クウェートでお世話になった。
もとアメフトの名選手。40代半ばでもさわやかで賢い人だ。
Fさんの大学の研究室の後輩は、偶然にも僕の高校のクラブの先輩でもあった。

偶然の糸はどこまでもつながる、つながる……。




大人になって出身大学が同じというだけで群れる「学閥」や懐古趣味的、自己愛的な「大学ナショナリズム」が心の底から嫌いだ。
たぶん、自分がひねくれているんだろう。

けれど、同じグラウンドで汗を流したり、同じ寮でメシを食ったり、共有するものが多い人とは親近感がやはり違う。
海外での出会いはなおさらだ。

偶然はすべて自分の味方。
そう勝手に信じたい。

ささくれ

2010年01月20日 05時27分18秒 | Weblog
イランのタクシーは厄介だ。
大半がメーターをつけておらず、値段は乗る前の交渉次第だからだ。

「高すぎるわよ。なぜ乗せないの?あんた、いい加減にしなさいよ」
路上で、強気のイラン人女性がよく運転手に大声でかみついているのをよく目にする。


慣れてきた最近は僕も、乗る前にしっかり値切ることにしている。
こちらが外国人と見ると「まあまあ、金の話はいいから、とりあえず乗れ」とうまいこと言って、ふっかける運転手もいるからだ。




先日の空港からの帰りでも苦労した。
タクシー以外に移動手段はない。

私「○○までいくら?」
運「2万5000トマン(2500円)なら」
私「高すぎる。じゃあ、いい」

いつもならこの後、「ちょっと待て」と食い下がってくるはずなのに、本当にいなくなってしまった。
イランはこの数年、インフレが深刻だ。
初めて来た3カ月前と比べてもさらに上がっている感じ。
だから運転手も簡単には折れなくなった。



2万トマンで十分と思いきや、結局、別の運転手と2万2000トマンで妥協して、乗車することに。
この運転手、客のことはおかまいなしに、自分の好きな音楽を大音響でかけ続けている。
「眠いのに勘弁してくれよ」と思いながら、ずっと黙って我慢していた。
すると、家の近くに着くと運転手が何だか本気で怒り出した。

「行き先は聞いていたけれど、同じ地区でもこんな遠くなら安すぎる。約束違反だ」(正確なペルシア語がわからないけれど、たぶん、こんな感じで延々……)


これまでもムッとする運転手はいたが、真剣に敵意を剥き出しにされるのは初めてだった。
相手は完全に心がささくれ立った感じ。
真冬の未明のやりとり。
車を降りると、横暴な運転手の態度にこっちの心も寒くなった。



政治の迷走(暴走)に加え、経済の混乱が深刻だ。
世界中でデフレ傾向が進む中、イランだけインフレが加速している。
会社員勤めをしながら、収入を補うため夜だけタクシー運転手をしている人もいる。

これまで3カ月、話して気まずくなったイラン人はほとんどいなかった。
政治や経済への不満をブツブツと愚痴りながらも、これまでのタクシー運転手はみんな気のいい人たちばかりだった。

けれど、そんな余裕もなくなりつつあるのかもしれない。
嗚呼、心のささくれ。

吸引力

2010年01月17日 22時17分48秒 | Weblog
ようやく上れた!
世界一のブルジュ・ハリファの展望デッキ。
地上から442メートルの124階。
一部は屋外テラスになっていて、頭上の空が気のせいか近い感じ。

広大な土地が広がるこの国で、これほど高いものを作る必要は全くない。
それでも、周辺ではまだビルを作ったり、懲りずに開発を続けている。
不思議な空間だ。




昨年11月の金融ショックの報道後、ドバイはゴーストタウンになったかのようなイメージを持っていたが、全くそんなことはなかった。

動き続けていないと死んでしまう。そんな感じ。
バブルは弾けたものの、まだまだ世界中から人と金を吸い寄せている。




インド人、パキスタン人、バングラデシュ人、ケニア人、中国人、香港人……。
世界中から集まった外国人に3日間、とにかく話しかけまくった。
時にうっとうがられながらも、心を動かされることが何度かあった。
やっぱり現場だなあ……。

5時46分

2010年01月17日 02時45分06秒 | Weblog
あと3時間で、15年が経つ。

今年もあちこちの現場に数百人の記者がその瞬間に立ち会うんだろう。
僕も阪神大震災の取材にかかわった数年間だけは毎年外に立った。
いつも凍えるような寒さ、そして静けさ……。



取材から外れてからは毎年その時間を共有しようと思いながら、起きられたのはほんの何度かだけ。
自分と関係なければ忘れるのは早い。

東京の新聞は、大阪と違って、10年を過ぎたころから実に淡々としている。
今年は15年の節目だから少しは大きな扱いに戻るだろうか。




今年も若い記者が、震災の遺族にじっくり耳を傾け、心を打つ記事を書いている。

新聞記者の世界では大昔から、警察や官僚、政治家などからきちんとネタが取れる記者が「優秀」とされ、絶対的な関門とされてきた。
しかし、本当にそうだろうか。今でも疑問に思う。

時に都合のいい情報を流す権力者の取材よりも、震災遺族から話を聞くのがどれだけつらく、難しい作業か……。
本当に読者に伝わる話を書くためには、被災地をくまなく歩き、何人も話を聞かなければ、相手にたどりつかない。
たどりついても、相手はしゃべりたくないし、話しても何も得をしない。
そこからどうやって信頼関係を得て、人の悲しみを字にしていくのか。


それは、自分のため? 仕事上の手柄のため? 取材相手のため? 読者のため?
答えの見つからない問いを常につきつけられる。




元新聞記者の作家、山崎豊子さんが著書「作家の使命」で書いていた。(ただし、立ち読み)
「新聞社には、酒に寄って大言壮語する人がいかに多いか。本当に知的な人はほんの一部だけだった」

否定できない。大きな事件や有名人、権力者を取材した「名記者」ほど、自分を大きく見せ、大言壮語する傾向は強い。



名もなき普通の人の悲しみを取材するのがどれだけ大変か……。
5時46分はそんな大事な原点を考えさせられる。

インディリッシュ

2010年01月16日 14時25分22秒 | Weblog
ドバイには、インドやパキスタン、バングラデシュなど南アジアの労働者があふれている。
実際のUAEの国民は1~2割ほどしかいない。



そんな中、毎日強烈な「インド英語」にさらされる。
ほとんどカタカナ化して新しい言語に組み替えてしまったかのようだ。

パンを買うと「メカホト?」(メイク・イット・ホット?)と早口で言われ??
でも、しばらく慣れてくると、そんな難しい単語は使わないし、ダメダメ英語の私には、結構心地よくなってくる。
英米ネイティブのイングリッシュはいまだにハードルが高いので、まずは「インディリッシュ」と渡り合えるのを目指すことにした。



自分を筆頭に日本人の英語の苦手意識は、過剰な完璧意識からきている。
細かい間違い探しばかりやらされた受験勉強の影響も大きい。
インド人は難しいことは全く気にせず、がんがんと「流暢」な英語をしゃべっている。

小さい頃から、LとRの違いを習わせるなど、英語の過度の早期教育なんて愚の骨頂だろう。(相当高い理想を実現できる保証があれば別だけれど……)
そんなことより、恥を恐れず、ひたすら前に進む体力と愛想の良さでも身につける方が、早道では……。



日本人独特の発音を活かした「日本式英語」を普及させてもいいと思う。
高いレベルを志し、大半が挫折してしまう現状よりよっぽどましだ。

かなりやさしい片言で、現地で活躍する日本人にも会った。
大事なのは、技術じゃない。

世界一の輝き

2010年01月15日 12時42分20秒 | Weblog
828㍍の高さを誇るドバイの「ブルジュ・ハリファ」
人工的な冷たさに違和感はあるものの、夜の輝きはやっぱり美しい。

あまりに高いので、広角レンズでもなかなか全体が入らない。
昼も夜も道路に寝転ぶような格好でシャッターを押し続け、疲れた。



世界一のビル建設には安い労賃の南アジア出身の労働者が多数かかわった。
ビルや隣接の巨大ショッピングセンターを訪れるアラブの富豪たちの後ろには、アジア出身の子守のメイドが後をついて歩いていた。
冷徹な現実……。



遠く離れたハイチでは、数万人の死者が出ている。
CNNの記者も現場で言葉を詰まらせている。

貧しさと劣悪な住宅環境が死者の桁を増やす。
この格差なんとかならんのだろうか……。



まばゆい光は、なんだか複雑な気分にさせられる。