近づきすぎると逃げてしまうし、遠すぎると小さくて何の写真かわからない。
スズメは実に、距離感が難しい。
日本人にとって、イランも距離感の取り方が究極に難しい国だ。
日本や欧米の価値観から抜け出せない人は、やっぱり居心地の悪さばかりを強調する。
一方で、ペルシア語や歴史、文化にほれぬいて、イランのいいところばかり語る知識人、文化人もいる。
正直、どちらのタイプも苦手だ。
昨日は、そんなイランへの「愛」と「憎」がちょうどよくバランスとの取れた人から話を聞いた。
深くイランを学び、多くの人に会い、かつ冷静にこの国の良さ、悪さを語れる。
なんだか、自分の理解の薄っぺらさを痛感した。
まだまだ時間が足りない。
国連、EUにも続き、米国のイラン制裁も近く本格化する。
自分と関係なくても、「お前はバカだ」と繰り返し言われると、さすがに穏やかではいられない感じ。
少なくとも2500年の歴史を誇る国が、数百年の歴史しかない米国から、バカだ、アホだと言われるほど、薄っぺらい思考しか持っていないわけがない。
わかりやすい対立構造の中でしか、思考を紡ぐことができない多くの「先進国」の人たちは、どこまで本当に正しいのか。
イランのお隣のイラクやアフガンで大量の命が奪われ、開戦理由の嘘までわかっても、戦争を始めた米国や英国の責任は何も問われない。
× ×
理屈っぽいのはこれくらいで。
今日は、テヘラン日本人学校のお祭り。
娯楽の少ないイランでは、貴重な場で、大人も子供も本当に楽しそうだ。
ただ、学校だけでなく、在イラン日本人社会を見て思うのは、本当の地元社会との交流が少ないように感じること。
一方で、イランほど日本という国を愛してくれる国、崇拝してくれる国はないのではないだだろうか。
けれど、その思いはほとんどイラン側の片思いに終わる。
なんだか寂しい。
そんなことを考えていた帰り道。
だいぶ手前で車を降りて、トコトコ歩く。
近くの公園に寄ると、青空チェスをしている親父軍団に次々に声をかけられた。
「どこから来た?日本か?日本は最高だなあ」
「おまけにサッカーも強い。カメルーンに勝ったし、すごいじゃないか」
あふれる愛にどれだけの日本人が応えているだろう。
テヘランにいる日本企業の人に聞くとなんだか悲しい話ばかり。
金融やエネルギー部門以外で、ビジネスチャンスはたくさんあるのに、何も手を打たない。
「イランはややこしい国だから今は新しいことをするな。何もしなくていい」
そんな指示が日本の本社から来るらしい。
日本社会はやはり安全志向が強く、リスクは負わない。
だからイランとは必要最低限しか付き合わない。
政府だけでなく、企業までそんな感じだ。
イラン・イラク戦争の時は、米国はイラク側を支援したのに、日本企業は粘って仕事を続けたり、結構、企業駐在員をだいぶ残したようだ。
今と比べ、日イランのパイプはだいぶ太かった。
公園を出て、自宅近くの雑貨店へ。
常連のサッカー好きの兄ちゃんに言われた。
「明日はオランダ戦だな。日本が勝てば僕もうれしいよ。イランは同じアジアだしな」
尊敬されるアジアの国として、もっとイランと独自の「距離感」を持っていいと思う。