むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

ニイハオ

2009年10月31日 01時25分51秒 | Weblog
イランは木曜日は半ドンで、金曜日はお休み。
昨日はニュースのチェックに追われたけれど、今日はようやく少しだけ余裕ができた。



荷物の整理をして、職場近くの町をぷらぶら。
休日の街中は、イランでもやっぱり朗らかな雰囲気。

若い女性や親子が、アイスクリーム屋に群がり、座り込んで食べている。
酒が飲めないため、おっさんもケーキ屋に集まる。
男友達の中に混じってだべっている女の子もいる。
考えていたほど、統制は厳しくなさそうだ。


僕は、本格的な引っ越し荷物が届くまでの取りあえずの布団を買ったり、ノンアルコールビールを買ったり……。
苦労するのは数字だ。字も特殊だし、発音もすぐにピンとこない。
店でもタクシーでも毎回あたふた……。

あとは暦か。
イランでは西暦はほとんど使わず、独自のサイクルで動いている。
今日は、1388年アーバン月9日!


  ×   ×


今のところ、イラン人はみな親切で優しい。
ただ、街中で何かと「ニイハオ!」と声をかけられるのがうっとうしい(笑)

それだけイランには中国人、中国企業が多いようだ。
「テヘランにある中国の石油会社で働いているんだ」とイラン人の若者が誇らしげに話しかけてきた。


エネルギー分野を中心に、世界各地に進出する中国は、欧米とは違う軸を持って独自の外交を展開する。
スーダン・ダルフール問題などを考えると、中国の「無秩序」な世界進出に首をかしげるけれど、米国が振りかざす「正義」もだいぶ怪しいもんだ。
中国が仮に人権軽視であるとしても、少なくとも米国のように海外で直接人殺しをするようなことはない。

西隣のイラク、東隣のアフガンでは今日も大量に市民が死んでいる。
イランは……ないよなあ。

いやな予感

2009年10月30日 05時03分50秒 | Weblog
的中してしまった。
やっぱり見られない。
いろんなものが……。


仕事で必要な米国や英国のニュースサイトが開けない。
今いる国の関連情報が、内部に入ったがゆえに見られない。
東京やウイーンにいる方がずっと容易で早い。
まあ、ネットがすべてではないのは百も承知。
けれど、やはりどこか理不尽だよなあ。



よし、嫌なことは忘れて、さて音楽でも。
と思い、ユーチューブを開くと、でっかい△印に警告マーク!
2カ月ほど前に話を聞いた、ソマリアで活動する国連職員も、厳しいテント生活をしながらも、夜はユーチューブが楽しめると話していたっけ。
デモの映像なんて見ないから、なんとか許してくれないかなあ。

短期の滞在ながら笑い話で済むけれど、この先を考えると……。



フランケンシュタインが自分に見えてきた(笑)

一晩明けて

2009年10月29日 14時12分14秒 | Weblog
ぼちぼち……

とは言い聞かせるものの、想像以上の不便の中で、いろんな指令が次々に降ってくる。
しばらくは、要領よくどうやってこなしていくか。


昨晩はかなり落ち着きを失ったが、一晩明けてシャワーを浴びてすっきり。
テヘラン北部には、すっかり雪化粧をした山並みが見える。
日本人が持つ「砂漠ばかりが広がる茶色い国」というイメージは間違いだ。



たった2カ月でもペルシア語をやっていたのだけはよかった。
まともな会話はできなくても、きっかけにはなる。


テヘラン着

2009年10月28日 23時00分25秒 | Weblog
28日午前10時(日本時間15時半)、ようやくテヘランに到着!

ドバイ発の便は、さすがに濃~い顔の人たちばかり。
隣は、なぜかナイジェリア出身のバスケットボール選手。イラン中部のエスファハーンのプロチームで活躍しているらしい。
ビジネスの中国人が多いのにも驚いた。
空港を出る時にも、イラン人が寄ってきて「あなたの名前はMrチンさんでは」と尋ねられた。なんのこっちゃ。



有名なテヘラン市中心部の大渋滞を通過して、なんとか支局事務所に到着。
しばらく空っぽになった職場のかぎを開け、本格始動に向けて準備を始めた。
予想以上に、いろんな面で四苦八苦が続きそう。


それでも、何もかもが新鮮。
焦らず、ぼちぼち動き出します。

あと少し

2009年10月28日 12時20分47秒 | Weblog
27日深夜、関空を出発し、約11時間。
28日午前5時(日本時間10時)、中東ドバイまで来た。
空港内は無線がフリーで快適だ。

イランまであと少し……。



ビザを取ってからはバタバタで、多くの人に十分な挨拶もないまま、出てしまいました。この場を借りておわびします。
皆さん、お世話になりました。

サプライズの見送りもあり、感謝、感謝……。

「無国籍」

2009年10月26日 18時21分36秒 | Weblog
昨日、役所で転出届を出した。
転入先の詳しい住所は空欄。
なんだか宙ぶらりんで、「無国籍」な感じ。

スーツケースを持って体重計に乗ると、なんと97㌔。
エコノミーの重量制限は30㌔。
う~ん、微妙か。
制限を越えそうなので、気持ちだけ荷物を抜いてみた。
あとは頼み込んで、許してもらおう。



兵庫県の支局に勤務していたころ、世話になっていたSさんから繰り返し電話、手紙をもらう。
各新聞社の記者をつかまえては、社会面などに地域のネタを売り込んでいた。
新聞紙面を通じて、おもろい話を盛り上げるソフトな社会運動家だ。

ネパールの教育支援を続ける車いすの詩人、朝鮮学校に絵本を送り続けるコーヒーおばさん、てんぷら油の車で回る八百屋さん……。

なんだか、一緒にニュースを作っている感覚があった。
阪神大震災の被災者からも、何を聞いて、どう伝えるのか、難しさを毎年教えられた。
東京には届かないニュースでも、いろんな「真実」が詰まっていた気がする。




「いつ海外に出られるの?」

Sさんからよく尋ねられたものの、10年前の当時は海外特派員なんて「全く別世界」だった。
けれど、少しひねくれながら、今よりずっと愚直に地域をはいずり回っていた。

温かさと温さと

2009年10月26日 01時16分31秒 | Weblog
朝からずっと肌寒い日だった。
今月27日夜、関空から出ることに決め、準備にバタバタ……。
当初の赴任予定日から、なんだかすっかり季節が変わってしまった。


約1カ月、完全に出遅れたけれど、この間いいこともあった。
いろんなつながりから、人の「温かさ」をしみじみ。
単純なことに気づかされた。
応援してくれる人、力を貸してくれる人がいるだけで、最高に幸せだ。



と同時に自分の「温さ(ぬるさ)」も。
すでに帰国した前任の先輩記者は、筋金入りの特ダネ記者。
取材の難易度がかなり高い国でも、いい仕事を重ねてきた。

これまでの甘~い自分では、ろくな結果は出ないだろう。
やりたいことの前に、やるべきことも山積み……。
能力も全く足りない……。



「新聞離れ」や「マスゴミ」などネガティブな言葉がちまたにあふれるけれど、本当の新聞記者らしい人に会うと、やっぱり消えてはいけない存在だと思う。


   ×   ×

ばかでか~いスーツケースには、まだ隙間が。
ギリギリにならないとやらない自分の性格をのろう。

さあ、夜が明けないうちに……。

お許し

2009年10月24日 11時35分22秒 | Weblog
昨日午後、ようやく「お許し」が出た。
日付は、今もイラン暦の1388年。


その後は大使館で、現地での心得についての話に。

「なぜ日本のメディアは、ネットばかり見て、米国と同じような記事を書くのか」

全くその通りというわけではなくても、反論はできない。
日本の中東に関する報道は、やはり欧米サイドに偏っていると個人的には思う。
イラク戦争を支持する空気を作った日本のメディアの責任は大きい、と今でも思っている。
独仏が反対する中、日本が踏みとどまることはできたはず。
無駄な死者が少しでも減ったかもしれない。
イランについても最初から灰色の紙に、色を塗るからすぐに真っ黒になってしまう。



情報が多いもの、声がでかいもの……の側に立って記事を書くのは簡単だ。
そんなつもりはなくても、自然とそうなってしまうことは多々ある。
それが組織ジャーナリズムの怖さ。



「もっと自分の目で社会を見てほしい。社会のエリートばかりではなく、イランの普通の人々と話して確かめてほしい」

そう繰り返し言われた。
「真っ黒」なイメージの国の多様性を伝えたい。

自由度

2009年10月21日 10時22分48秒 | Weblog
「国境なき記者団」が今年の報道の自由度ランキングを発表した。
日本はかなり改善して17位まで上がったらしい。
http://www.rsf.org/en-classement1003-2009.html


そして、イランは……と探してみると、ビルマやソマリアより低い172位!
それより以下の国は、トルクメニスタン、北朝鮮、エリトリアしかない。
いずれも独裁国家または崩壊寸前の国だ。


う~ん、なんとも難しい。はぁ。

立ち上がる

2009年10月18日 01時33分00秒 | Weblog
東京には、おなかいっぱいになるほどイベントがたくさんある。

地方の新聞では話題になっても、情報であふれかえる東京だとどうしても後回しになってしまう。
東京のメディアの「視線」の高さがさらに拍車をかける。
大切なことって一体……。

■スタンドアップ・アクション
http://www.standup2015.jp/index.html

■国連ウイーク
http://www.unic.or.jp/un_week/event.html



秋も深まってきた。
ドイツで勉強する後輩記者によると、現地はすっかり冬だとか。
寒くなると、すぐ体調悪くなるし、休みはこもりがち。
明日(もう今日か?)こそ、外へ出よう。

幸せ

2009年10月17日 11時00分17秒 | Weblog
「私は死にます。でも幸せです。なぜなら、私の絵をチョコのパッケージに使うと聞いたからです。たくさんお金が集まり、イラクの子どもたちが助かることを望みます。ありがとう」


今日、イラク南部のバスラで1人の少女が亡くなった。
目にがんを患っていたサブリーンちゃん。
「でも、幸せ……」
亡くなる直前の15歳の言葉が重い。



世界の関心がアフガニスタンに移る中、イラクはこれから急速に忘れられ、放置され続けるんだろう……。


「あれ、どっちの話だっけ?」
霞ヶ関の記者クラブにいたころ、僕がイラク関連原稿を書くと、無関心な上司記者はほとんど毎回、「イラク」と「イラン」を言い間違えていたのを思い出す。
目の前しか見ない「優秀」な記者が東京にたくさんいる……。



以下は、今朝来た「日本イラク医療支援ネットワーク」の佐藤真紀さんからのメール。

  ×   ×

バスラの少女サブリーンの死

 1994年2月5日生まれのサブリーンは、2005年目のがんを患いました。しかし、すでに手遅れで、右目を摘出。化学療法を続けていましたが、何度か再発し、先月には、左目にも転移したのか、完全に失明。本日、亡くなりました。
 サブリーンは貧しくて学校に行ったことがなく、11歳で初めて、病院の院内学級で 絵を習いました。しかし、その絵がとてもユニークで、JIM-NETの奨学金を受けることができました。
 ポストカードやチョコレートのパッケージに使われ、一千万円を越える募金があつまりました。来年のバレンタインデーに向けて、彼女の絵を使ったチョコレートを六花亭に依頼していた矢先でした。

サブリーンは「私は、死にます。でも幸せです。なぜなら、私の絵をチョコのパッケージに使うと聞いたからです。たくさんお金が集まり、イラクの子どもたちが助かることを望みます。ありがとう」 そういったあと彼女は昏睡状態になりました。
 彼女は目のがんになった原因は、アメリカの使った劣化ウラン弾だと信じていました。そして、このイラク戦争で医療システムは破壊され、病院には未だにガンの薬もありません。私たちが、年間3000~4000万円の医薬品を届けて何とか病院で治療できるとう状況です。放射線治療を受ける設備もなく、彼女は、イランまで治療を受けに行ったこともありました。今、イラクは再び選挙を前に治安が悪化しています。
 私は、友人が死んだというのに、お見舞いにも、葬儀にもいけないことがとても口惜しいです。
 今年は、バレンタイン用のチョコレートを一万個用意し、募金してくださった方に差し上げる予定です。サブリーンにかわいらしいチョコレートを見ててほしかったし、食べてほしかった。遺志を受け継いで頑張りたいとおもいます。
 本当にサブリーンの絵は、素晴らしいものがたくさんあるので、彼女の絵をポスターにしたものを現在製作しており、11月下旬から貸し出し等考えています。
 是非、これからもイラク医療支援ネットワークを支えてください。
                      佐藤真紀


■日本イラク医療支援ネットワーク・ブログ
http://blog.livedoor.jp/jim_net/archives/cat_50030194.html
■佐藤真紀さん
http://kuroyon.exblog.jp/12080874/


ペルセポリス

2009年10月17日 01時27分44秒 | Weblog
漫画にこんなに惹きこまれたのは久しぶり。

イスラム革命前後のイラン社会を、成長する少女の視点から鋭く描き、世界30カ国で出版された名作だ。

「ペルセポリス」



著者でもある主人公、少女マルジは、同い年だった。
生まれる場所が違うだけで、ここまで深い思索ができる……。

平和で経済的に安定している国に生まれることが果たして絶対的に幸せなのか。
本当はいろんなことを考えることをやめ、可能性を削っているだけではないのか。つくづく考えさせられる。

古代から周辺の大国に翻弄され続け、アイデンティティを模索し続けるイランという国の深みも伝わってくる。


  ×   ×


また、ひざを突き合わせてじっくり話を聞いてきた。

ビザが遅れている理由もわかってきた。
と同時に、理由を解明し、責任の所在を追及することの意味のなさも感じた。
日本社会での物差しで考え、物事を進めたところで、果たして何が得られるだろう……。

漫画を読んでまた考えさせられた。
何を伝えるのか、何のために伝えるのか……。
この国は、深い問いを誰にでもつきつけてくる。


なんだかすっきりした。
進むべき方向がまた絞れてきた。
ペルシア語。もっと頑張ろう!

片思い

2009年10月13日 21時15分05秒 | Weblog
鼻風邪が治ったと勘違いし、昨日は地元友達と昼間から軽くビール!
深夜に急に力がみなぎり、軽く40分ほど近所を走ってから寝た。


調子に乗りすぎたんだろう。
翌朝はラッシュにもまれ、なんだかヘロヘロ。
くしゃみは出るわ、だるいわ……。
どうやら今度は完全に風邪でダウンしてしまった。



今日も朗報はなかった。
踏んだり蹴ったり……。
ヒマを生かし、関連本を次々と読み、こちらはどんどんイランを好きになっているのに、一向にこたえてはくれない。
「片思い」はつらい……。


夕方に早々と撤収。
また、泥のように眠って現実を忘れよう。

引き出し

2009年10月12日 01時11分12秒 | Weblog
大学関係のひょんなつながりから、田原総一朗さんとの会食に参加する機会にめぐまれた。
ズルズルと国内に残っていても、いいこともあるもんだ。


田原さんは予想以上に、話のキレがあり、思い切った提示もあって、ぐいぐいと惹きつける人だ。
予定調和で無難な話ばかりではなく、常に面白い展開を考えていて、本当に勉強になる。
テレビの世界に入る前に、夜間の文学部から、映画会社に入ったり、経験が幅広い。
一直線のエリートでないからこそしみ出る魅力……。



引き出しの広さと深さ。
どちらも本当に足りないなあ。