むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

ないものねだり

2011年05月28日 03時31分15秒 | Weblog


初夏のテヘラン。
テヘラン北部の山の雪もほぼ消えた。
八百屋にスイカやメロンがどどっと並び、町のあちこちに花が咲き乱れる。

何といっても、週末の公園には幸せがあふれている。





先日、発表された幸せ指数では、世界で豪州が一番で、日本は……。
イランは数値化するのが難しいけれど、実質的な幸せランキングでは相当上な方ではないだろうか。

幸せの定義は難しい。
けれど、「それほどしゃかり気にならなくても、なんとなく暮らしていける人が多い社会」を尺度とするならば、イランはトップクラスだろう。

だらだら~と時間をつぶすじいさんたち、家族でべた~っと座りこんでひたすら時間を過ごす贅沢……。
日本は、かっちりとした既成(お仕着せ?)の「システム」の中に入っている人だけはそこそこ幸せかもしれない。けれど、システムから外れると、すぐに普通の暮らしが許されなくなる気がする。
少なくとも、そんな不安は強い。



「デモクラシーと自由の国、日本は最高だ」
耳にタコができるほど聞かされるので、最近は「イランこそ世界で最高だ」と切り返すことにしている。
半分冗談で、半分は本気だ。

時間の流れはゆったりだし、出勤時間も交通ルールも守らない。
固定化したシステムもあまりないし、少し人と違う道に外れたとしても、誰もそれほど不安には思わない。
まあ、なんとなかなると思っているし、実際になんとかなることも多い。
これこそ、本当の自由では……。



今日も若い子たちが言っていた。
「イランには、日本のようなディスコがないし……」
う~ん、ディスコねえ。日本でディスコ言っている人口ってどんだけ?
ディスコはひとつの自由の象徴らしい。

バブルのころにたっぷりかせいだ出稼ぎイラン人の成功物語も加わり、夢と希望の国、日本のイメージはふくらむばかりなのだ。

日本にいる間は、日本の良さもあまりわからなかった。
けれど、この国の人たちも自国の良さを全くわかっちゃいない。





夜遅くまで、公園では卓球やったり、青空チェスやったり……。
シートや魔法瓶を持って家族連れもぞろぞろやってくる。

週末が終わり、明日は仕事。
深夜になっても、そんなこと気にしちゃいない。


  ×   ×


先日滞在したカイロでは、少しずつ観光客が戻っていた。
それに比べてテヘランは……。

主題とは外れるものの、改めて強く思う。
なんで、イランには来ないのか?
社交辞令では「行ってみたい」という人はいるものの、本気にする人はわずかだ。
やっぱり怖い?暗い?

紛争もないし、デモすら起きていない。
イメージだけで素通りしてしまう世界中の人たち。
こんな素晴らしい国を放っておくなんて……。




近くの広場で、イルミネーションが点くようになった。
夜見るモスクの青は、吸い込まれるような美しさだ。
決して特別な観光地じゃない。
ちょとした美が街に点在している。
アラブの人たちには悪いけれど、やはりイランの美意識ははるかに高いと思う。

何度でも強調したい。
本当にもったいない……のだ。

達人

2011年05月15日 08時52分39秒 | Weblog
テヘランに戻ってきた。
母国でも何でもないけれど、空港に降り、ペルシア語が聞こえてくると、ほっとするように。


2週間、中東4カ国で貴重な経験ができた。
何かとひとくくりにされる中東も、気候も人柄も、それぞれ全く違うことをあらためて実感。

それにしても、どこの国も言語の達人、いやコミュニケーションの達人が多い。
頭がいいとか、高学歴という話ではない。
人の出入りが多いこと、歴史的にも外国とのかかわりが多いことから、必要にせまられ、とにかく誰でもよく言葉を知っている。

レバノンでは「アラビア語かフランス語、どっちにする?」と聞かれ、何度か困った。
シリアの市場には、イラン人旅行客との会話だけで、ペルシア語をマスターしてしまったおっさんが何人もいた。




長いブランクの末、ペルシア語講座が再始動!
テキストはどんどん難しくなるばかりで、脳みそがぐねぐねになる感じだ。

これまでの先生は日本に留学してしまったので、その友人の後任の先生が初めてやってきた。
前任者と比べれば、日本語がややたどたどしいけれど、日本に行ったのは、「日本語スピーチコンテスト優勝」のご褒美で行った2週間だけとか。
それを考えれば、なんと脅威的な習得力……。

イラン北部の出身で、もともとトルコ語(アゼリ語)は小さいころからできるし、アラブ首長国連邦に一時住んでおり、アラビア語もぼちぼち。
英語も日本語もとにかくめちゃくちゃ勉強している。

この向上心の強さはどこから来るのか……。
この先生も、日本でドクトル(博士号)を取るのが目標で、近く文部省奨学生試験が迫っている。
合格してしまうと、来春また後任を探さないといけなくなり面倒だけれど、頑張る人は応援したい。




イランに来てそんな「達人」に出会うたび、本当に、自分が改めてちっぽけに見えてくる。
そんな自分に気づかされる時の感覚は、不思議と結構うれしい……(変だろうか?)
何度も決意ばかりで空回りしているけれど、何はともあれ言葉だ。
がんばろ。




そういえば、最年少の私の語学の先生だった4歳の女の子は、日本で順調に治療中。
時間はまだまだかかるが、頑張っているらしい。

イラン人のお父さんは、娘の病床につきそいながら、巧みな日本語で看護師さんたちをからかっているらしい。日本人のお母さんはあきれている。
どんな状況でも明るく強い「達人」だ。

看「Sさん、お変わりないですか」
S「いやあ、実は……。うちの親戚が亡くなりましてねえ」
看「それはお気の毒です。どなたですか」
S「名前は、ビン・ラディンっていうんですけど……」

笑顔の限界

2011年05月09日 14時56分10秒 | Weblog
中東に来てよく笑うようになった。

理屈や道理だけで物が進まないこの地域では、コミュニケーション第一。
もともと笑うのも苦手だし、決して社交的とは言えないが、何か物事を進めたい時、お願いする時は、何はともあれムスッとしていてはうまくいかない。

先日、陸路で国境を越える時も、片言の挨拶でひたすら笑顔……。
http://mainichi.jp/photo/news/20110508k0000m030114000c.html




けれど、昨日のレバノンの出国時はできなかった。
パスポートを預けると、「おう、ジャパニーズか、もしかしてフクシマか」と係官の若いにいちゃんが聞いてきた。
隣にはレバノン美人の同僚が座り、いちゃつきながら楽しそうに仕事してる。というか、調子をこいている。

私が「いや、違う」と答えると、さらにこの男、笑いながら「このパスポートも放射能で汚れているんじゃないのか?ハハハ」と言ってきたので、さすがにキレた。

「冗談になってない。それは言っちゃいかんやろう!」(たぶんこんな感じ)
出入国ではおとなしくしているのが常識だが、少しだけ声を荒げてしまった。
隣のレバノン美女が困った顔して「そんなこと言っちゃだめでしょ」と笑いながら諭していたが、パープリンそうなこの男、わかってなさそうだった。



中東のどこの国でも、ヒロシマ、ナガサキは有名だ。だれでもしっかり学校で習っているようで、かなり若い人でもよく知っている。
本当に悲しい。それに並ぶくらい、フクシマが急速に知れ渡っている。

中東のパリ

2011年05月02日 04時45分29秒 | Weblog
隣国にはなかなか入れないが、できることはある。
聞く話、出会う人、すべてがためになる、面白い。

そして自由はいい。同じ中東にいることを忘れる……。
普段いる制約だらけのあの国は一体何なんだろう。









目と鼻の先

2011年05月01日 04時31分41秒 | Weblog



イランも春を迎え、明るく素敵な面を書こうと思っていたら、急きょカイロへ、そして今はベイルート。

悲惨な歴史を経験しながら、今は多くの民族、宗派が共存し、中東の中では飛びぬけて明るく、洗練した国を作り上げたレバノン。
けれど、すぐ目と鼻の先の隣国シリアでは毎日人が死んでいる。
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2011/04/30/20110430k0000e030034000c.html



シリアは、独裁が続き、核開発も疑われる嫌われ国家。
フセイン大統領、ムバラク大統領が消え、カダフィ大佐も危うくなる中、中東でシリアに並ぶほどの嫌われもの国家は、残るはイランだけだ。

レバノンでもイランの評判はさんざんだ。
バーレーンでは、ペルシア語を話すとおもしろがってくれたけど、この国では全く受けないし、完全にマイナスイメージ。

そんなどす黒い国ではないのに……。
最近、イランの悪口を国外で言われると、つい反論してしまう。