むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

初夏、テヘラン

2010年05月31日 02時16分03秒 | Weblog
乾いた風に、ジリジリと焦げつくような太陽。
初めてのイランの本格的な夏が近づいてきた。

温度計はないけれど、既に結構暑いよなあ。



イランは果物が豊富だ。
いろいろ出回るこの季節。
特にイラン人のうちに行くと、「食え、食え」と勧められ、余ると「持って帰れ」とお土産にくれる。

ひとつだけ戸惑うのは、「果物」のキューリだ。
オレンジやバナナとともに、丁寧にナイフでサクサク切って、勧めてくれることもあるが、キューリ食べながら、紅茶飲むのはいまだにちょっと……。


写真で黄色いのは、小型版洋ナシのような「ザルド・アルー」。
緑色は、「ゴージェ・サブズ(緑トマト?)」で、小さいプラムみたいな味。
写真にはないけれど、オレンジはなぜか「ポルトガル~」と呼ぶ。
今日は自分でサクランボ「ギラース」も山盛り買ってきた。




街中では、野菜&フルーツ・ジュース屋さんが大盛況。
これは、地元人絶賛のテヘラン市南部の店で買った「アーベ・ハビージ・バスタニ」
サフラン入りアイスが入った人参100%ジュースだ。

最初に来たころは、くせのあるサフランアイスは薬っぽくて嫌だったけれど、今はだいぶ口に合ってきた。
時間が経つにつれくせになる……。
サフランアイスは、イランへの定着度をはかるひとつの指標かもしれない。





花、野菜、果物……。
イランの夏は、結構色鮮やか。

と意地を張ったものの、こう連日暑いと、やっぱりビールだよなあ……。
ビールはペルシア語で「アーベ(水)・ジョー(麦の)」。



最近はお客さんが来ると、ノンアルコール・ビールの瓶をド~ンと置いてこう言う。

「フェクル・コン・ケ・アーベ・ジョー・ミホリ!」
(ビールを飲んでいると思い込め!)

沈まぬ太陽

2010年05月30日 04時38分52秒 | Weblog
今日も頭がグニャグニャニになりそうだった。

ノロノロ続けてきたペルシア語も、だいぶややこしくなってきた。
予習、復習をさぼると何だかさっぱり……。

先生は、テヘラン大学の大学院生。
かつて日本語スピーチコンテストでも優勝し、日本にも1年留学。
とにかく勉強熱心。
ペルシア語だけでなく、日本語と英語も教えている超秀才だ。




驚いた。
先生は数年前、テヘランで行われた映画「沈まぬ太陽」のロケ現場で、日本語の通訳もしていたという。
1カ月間ぶっ通しで、朝4時に集まることもあったが、「渡辺謙さんがステキだから平気だった」と目をパチクリ!

「沈まぬ太陽」は、会社で筋を通しすぎて、パキスタン、イラン、ケニアと左遷され続けた男のストーリー。
多くの人の心をとらえたのは、単なる反骨精神の強さではなく、実在の主人公が最後まで一定の「枠」の中にとどまりながら、ずっと「沈まない」で貫き通したからだろう。




この数日もいろんなイラン人と会った。
イラン人といっても、正確には出身によってトルコ人だったり、クルド人だったり……。
それぞれプライドを持っていて、意識も微妙に違う。

そしてみんな驚くほど語学が達者だ。
映画カメラマンのクルド人男性は、クルド語、トルコ語、ペルシア語を自然に習得し、さらにマレーシアで働き、マレー語、中国語、英語もマスターしてしまった。
好奇心の強さだけでなく、生きるための「必死さ」が伝わってくる。




大統領選から1年が近づき、国の規制は強まるばかりだ。
正直なところ、この国に今、明るいニュースはほとんどない。

けれど、市民は車の中で、家の中で口ぐちに強い不満を吐き出しながら、冗談にしたり笑い飛ばしたり……。
汚いこと、嫌なことも飲み込みながら、しっかり前を向いている。

真正面から筋を通せば、逮捕されることもあるし、死刑の可能性すらある。
だから、現在の体制、社会の枠の中に身をゆだねつつも、完全に心は譲らない。

イランで会う1人1人が偉大な「沈まぬ太陽」のようにも見えてくる。




自分は……。

最近、規制の厳しさがジワジワ効いてきた。
真面目に考えると、公私とも時に行き詰まりそうになる。

それでも、刺激を与えるくれるイラン人に会い、「沈んではいられない」と思い直す。
そんな繰り返し。

果たして、自由で緩くて温~い国から来た自分は、どんな風に見えるだろう。

Forever Young

2010年05月27日 13時32分00秒 | Weblog
人一倍、転々と転がり続けてきた記者生活。
そのスタートは、琵琶湖を望む大津だった。



初任地のデスクは、失敗を繰り返しながらも生意気な口応えをする新人記者に手を焼いていたようで、いつも苦虫をつぶしたような顔に見えた。

当時、今の私とほぼ同年齢だったそのデスクもまもなく退職する。
昨日、大阪で「おつかれさま会」が行われた(らしい)。




どうしようもない新人記者を苦々しく思いながらも、ぐっとこらえて直球は投げない。
いつも黙って緩い球を投げ、ボールの返し方をひとつひとつ教えてくれた。
今の自分があるのも、この人がキレなかったから。
本当に感謝。

ダメ記者のスタートを切った大津では、失敗をするたびに、琵琶湖岸に車を止めて、ぼんやり湖面を見つめていたのを思い出す。





苦~い思い出をひきずりながらも、初任地の滋賀県は忘れられない。
一般に地味~なイメージだが、当時の有名人は、自宅が地元だった同年代のテニスプレーヤー伊達公子だった。

あれから17年。
一度引退してから壮絶なカムバックを遂げ、アラフォーは進化している。


■全仏オープン「Forever Young」
http://www.sonyericssonwtatour.com/news/20100525/forever-young-kimiko-stuns-safina_2256076_2059319



日本一の琵琶湖のそばの街から、今は世界一のカスピ海に接するイランに。
ただ、自分自身は一体、何が変わっただろう……。

少しは進化?したい。

表情

2010年05月25日 13時44分36秒 | Weblog
テヘランは連日、初夏のような暑さ。

道端で、公園で花が咲き誇っている。
花や樹木の手入れは入念で、街中の色どりは豊かだ。



少しだけ写真に力を入れるようになって、気付いた。
人間以外のものにも表情があることに。

1本1本の花の最高の表情をとらえるのは本当に難しい。





イランに来て半年と少しが過ぎた。
言葉はまだまだだけれど、イラン人の表情がわかるようになってきた。

基本的には好意的なものばかりだけれど、気になることがある。
自分の仕事柄、話の中身次第で、急に表情を曇らせることがあるからだ。

大統領選から1年。
自由な発言が許されないこの国で、息苦しさは増している。

勝手な言動で一歩間違えれば、誰もが死刑にすらなる可能性もある日々の生活で、なかなか人を信用できない空気が漂っている。
(日本で死刑存続が支持されるのは、「自分は絶対に死刑にならない」という時に無批判で能天気?な権力への絶大な信頼感があるからだとつくづく感じる。)




心の底では国を愛していながら、多くの若い人たちが国を見限っている。
表情からそんな思いが伝わって来ると、鉛を抱えたような気分になる。

燦々と輝く日光を浴びる花々とのあまりの対比。
今、この国の空気は何色だろう……。

スープの温かさ

2010年05月21日 03時33分09秒 | Weblog
空気がカサカサのイランでは、ノドのイガイガがなかなか消えてくれない。
仕切り直し!を宣言しながら、実は体もまだポワーンとだるい。

なので、意を決して、友人のイラン人の手を借りて病院へ行くことにした。



今日は半日業務の木曜日。
診療が終わりかけの警察病院で、医師はノドだけ軽く見てたいしたことないと判断した様子だった。
薬局で薬と一緒に点滴の袋をドン!ともらい、また診察室へ。

「日本人だから丁寧にしないとね」と看護婦のおばさんがニヤニヤ。
「イラン人と違って手が毛深くないから点滴針が刺しやすい」とか。

しばらく日本語が達者な友人Rさんとベラベラ話しながら、横になり黄色の液体が落ちるのを見つめた。
すると、結構復活。




たかが風邪、されど風邪……。

ペルシア語で、「風邪をひく」は「サルマー(風邪を)ホルダン(食べる)」。
ちなみに「転ぶ」は「ザミン(地面を)ホルダン(食べる)」。

ペルシア語は歴史があるだけに、何とも表現が見たままというか原始的というか!?
(それが最大のおもしろさでもある)




帰り際、Rさんの実家に立ち寄り、お母さんに昼メシをごちそうに。
おいしい豆ごはんと、アーシュ・ゴージェというトマトや野菜、米、麦などを煮込んだ濃厚スープをごちそうになった。

イラン料理はケバブばかりが有名だが、アーシュやホレシュテという煮込み系が種類が豊富で絶品。
病み上がりの胃にじんわり染みこんだ。




実は、Rさんには3日前から「早く病院に行った方がいい」と言われていたのに、面倒くさくて拒否していた。
けれど、今日になって私が電話でお願いして病院に行くことになり、Rさんは母親に「あんたが早く連れて行かないから悪くなったんじゃないの?あんたも日本で暮らした時に、たくさん助けられたでしょ!」と怒られたとか。



今日のスープの温かさは忘れられない。

(写真はなぜか薬……。スープは撮れず。ごめんなさい)

仕切り直し

2010年05月18日 02時22分26秒 | Weblog
ほぼ3日ぶりに外に出た。

バンコクとテヘランとの温度差、湿度差、往復の便が未明だったことなどが重なり、しばし熱が出てダウン。
海外で1人でグテッ~となっているほど情けないものはない。

そんな時に限り、仕事が重なったり、かぎが壊れて修理屋さんに立ち会ったり……。




それでも、しばらくぶりに寄った雑貨屋では、相変わらずおもちゃのような丁重な?扱いを受けた。
いい歳した日本人が、変なペルシア語でバカ話して、長居していること自体が、常連のイラン人には面白いようだ。
一般に言う海外駐在員のような風格、品格?もなく、見かけもそれらしくないところが珍しいんだろう。




あぁ。体調不良で、多くのことがストップ、やる気もダウン。
いろんな誘いもあったのに実現できず。

それでも、すぐ治るだけ感謝しないと。
見ていただいている人の中にも、何人か体が不自由な人もいる。

さ、明日から、気を取り直して仕切り直し!
(でも、壁紙はナマケモノに)



そういえば、イランの核問題も、いつも進展があったかのように見せかけ、実は何も進んでおらず、仕切り直しているだけだ。
何だが、自分と似ている(笑)

物腰

2010年05月15日 02時10分00秒 | Weblog
再びタイの首都バンコクが大混乱に陥っている。
その前にイランに戻っただけに、なんだか複雑な気分……。


滞在中、観光客の姿がまばらで、活気が消えていたものの、それでもやっぱりアジアは居心地がいい。

「サワディー、カ~」

微笑みの国タイでは、男女問わず、だれもが物腰が柔らか。
全く文化の違う中東から来ると、それだけで感激してしまう。
目の敵にされる赤シャツの人たちも、強面の人は少ない。

それでも、バンコク通の人に言わせると、タイ人は表面上はソフトだけれど、本当の意味でなかなか心を開いてくれないのだとか。
意外に面従腹背??





物腰といえば……。

帰りの飛行機では、歌手の大塚愛似の日本人キャビンアテンダントが乗っていた。
笑顔をたやさず、まさに物腰が柔らか。

すると予想通り。
そこら中のイラン人男性(おっさん)が声をかけ始めた。


テヘランを降りる際にも「ユー、きれい!」とか変な日本語を連発。
それをそばで笑っていると、「お前は日本人か?中国人かと思った。それなら、モッチャケラム(ありがとう)、マムヌーナム(感謝してる)は日本語で何て言うんだ」とか一方的に話しかけられ、瞬間的に通訳をさせられた。

最後には「今度会う機会があったら、またコミュニケーションしよう!」とまで言っていた。(オイオイ、あるわけないだろ!)



楽天的というか、単純というか。

イラン人の男は、実にわかりやすい。
決して物腰柔らかではないけれど……。

格差考

2010年05月14日 03時58分21秒 | Weblog
バンコクで手に入らないものはほとんどない。

思わずたこ焼き屋を見つけ、「大阪本場ジャンボたこ焼き」90バーツ(約270円)を買ってしまった。(なぜか写真の看板は“大坂”!?)
焼いているのは、まさに大阪のおばちゃんだった(笑)





バンコクにいる人は、日本に比べればまだまだ不便という。
けれど、テヘランから来ると、こんなに楽に暮らせる街はない……と思う。

人は、相対的にしか判断できない。




バンコクの混乱の背景のひとつは、都会と地方の格差だ。
人は身近な相対評価から不満を募らせ、そして時に爆発する。

バンコク市内だけでも少し歩けば、豊かさ一色だけじゃない。
時間を見つけてウロウロ。
線路のうえで遊ぶ子供たちと仲良くなった。



4歳の女の子は、大事そうに絵本を抱えて、時に大人びた表情を見せた。
目と鼻の先には高層ビルが見えるが、心理的な距離は果てしなく遠いだろう。

この子はどんな夢を持っているんだろう。
その夢にどこまで近づけるだろうか。



格差を考えるのは本当に難しい。
今でこそ、格差論議が盛んな日本だけれど、世界的に見れば、限りなく格差が少ないまま均等な発展を実現させた国かもしれない。

学歴社会、官僚政治、バラマキ……。
安直な批判は簡単だけれど、「1億総中流」をそれなりに実現した意義はやっぱり貴重だと思うようになった。

程度の差はあっても普通に努力した人が、普通の幸せがつかめた。
そんな国はきわめて少ない。

自由って

2010年05月11日 01時37分26秒 | Weblog
「どこから応援に来たかって?イランだよ」


連日うだるような暑さのバンコク。
滝のような汗が流れ、1時間もすればシャツはびっしょりだ。

記者会見で隣に座り込んだ大男に話しかけると、米国系イラン人の某通信社のカメラマンだった。
いんちきファルシ(ペルシア語)で挨拶し、「タイはめちゃくちゃ暑くて大変だけれど、タイとイランどっちがいい?」と聞いた。
すると、当然だろ!という顔をして答えた。

「タイに決まってるだろ。どんな写真を撮っても怒られることはない。兵士の写真だってオーケーなんだ。イランでそんなの考えられるか」




赤シャツの人たちが首都バンコクを占拠して1カ月。
銀座と渋谷を合わせたようなきらびやかな街が完全に数十年前の光景に戻ってしまった。

路上に寝るわ、水浴びするわ……。
何でも好き放題。

自由って難しい。




「テヘランに戻ったらまた会おう」
大男に話しかけると、なんだか名残惜しそうだった。
しばらくバンコクに長居したいらしい。

何でも飲めるし、食べられる。
何も監視されない。
どんな暑い中歩き回り、しんどい思いをしても、自由はすべてを解消してくれる。



大事なものの貴重さって、奪われないとわからない。

内向き、外向き

2010年05月08日 15時52分22秒 | Weblog
日本の若い人たちが確実に内向きになっている、といわれる。
留学や海外旅行が減り、野心を抱きにくくなくなったのは明らかのよう。
音楽も映画も国内で十分楽しめるし、そんな憧れを抱く動機もあまりない。


外向きばかりを奨励する気はない。
けれど、「そんな希望が持てない世の中を作ったのは大人のせい。社会全体の問題だ」とかたづけるのにも、これまた疑問を感じる。




テヘランの空港では、在イラン中国企業に勤める若者が目立つ。
機内では商売で中国・広州に向かうイラン人の若者に出会った。

いずれも金もそれほどなく、教育もあまり受けていない感じ。
ただ、勢いと希望だけはあふれている。
まず日本人では見かけないタイプ。



ドバイの空港ではオーストラリア人から「日本人ですか」と話しかけられた。
シドニーでお土産屋を経営し、ワーキングホリデーの若者を長く受け入れているという。
けれど、「最近はだいぶ数も減ったよ」と残念そうだ。




今の若者は……との精神論は無意味だし、嫌いだ。
けれど、資源のない日本が、生き残っていくためには勤勉さやバイタリティが欠かせないのは、確かで厳しい現実だ。
「若者は奴隷だ。高齢者ばかりを助ける社会は間違い」という批判が出ていることもおかど違いな気がする。

経済のあり方としての是非は別として、これだけグローバル化してしまった今、外に向かって行くエネルギーが乏しい……という現実はもう言い訳しようのない欠点になってくる。




国際社会から孤立していると思われているイラン。
けれど、一部の若者たちはしたたかに動き回っている。
天然資源は莫大。
本気になったら、全くかなわない。

めんつ

2010年05月06日 02時55分30秒 | Weblog
この数日、ちょっとした手続きのために毎日役所に通いづめ。
ようやく今日、問題が解決して、すっきりした!



優秀な女性が圧倒的に多い……。

イランに赴任当初から感じていたことが確信になってきた。
窓口として通った役所にも、女性が責任あるポストを占める。
仕事も的確で柔軟、どんな時も動じない人が多い。

「私の責任の範囲で全力を尽くすから、まかせなさい」
そんな男気?が伝わってくる。




それなのに、ちょっとした手続きがうまくいかない。
その背景には、何でも書類を必要としたり、柔軟に物事を進められない大勢の男たちの“めんつ”が邪魔しているように感じた。

世界中どこも一緒かもしれない。
権威好きな男のめんつほど、食えないものはない。


  ×   ×


日本女子短距離界の星、福島千里が春から日本記録を連発している。
200㍍が22秒台! なんて、相当真剣に競技をやっている男子高校生でないと負けてしまう。


数年前、私も学生時代の5000㍍、1万㍍の自己記録を相次いで女子の日本記録に抜かれた。

「えっ、女子に抜かれるなんて……。自分が賭けていたものってそんなちっぽけ?」

競技にはもう無縁なはずなのに相当なショックだった。
けれど、その時から消えた。
つまらない男の“めんつ”が。



野球やサッカーだって、女子と同列で競技をしないからわからないだけで、実は大半の男はトップクラスの女性には勝てない。
けれど、誰もそんなことは認めたくない。





宇宙飛行士の山崎直子さんの地球帰還時の笑顔には、女の強さを感じた。

一方で、夫大地さんの葛藤と献身ぶりにも心をゆさぶられる。
自信たっぷりそうなイケメン男だけに余計に失っためんつやプライドは大きいだろう。
http://www.sorae.jp/0251/

×    ×


問題が解決したので、小さなケーキを買って一人でお祝い!
「男は甘いもんは食べない!」というのも、単なるめんつだったとイランに来てから気づいた。

不要なめんつを捨てると、自分も相手も、そして社会も幸せになる……かもしれない。

空気と無関心

2010年05月02日 12時22分38秒 | Weblog
先日、映画の撮影現場をのぞき、その後、イランの一線で活躍する若手ミュージシャンに会う機会があった。

さまざまな制限がある国で、映画や音楽にかかわる人の表情は柔らかで、力強かった。
制限された中で、何かを生み出そうとするエネルギー。
「本物」たちは、文句なく素敵だ。
ギリギリで頑張っている一部のイラン人記者たちも輝いていた。



ふと考える。
果たして、自分がもし環境が厳しいイランで生まれたら、同じ仕事についているだろうか。
やはり、びびって逃げだしているだろうか……(笑)


  ×   ×


「イランの今」を正確に伝えるのは難しい。
食糧や物資は豊富だし、日常の治安はいいし、人も穏やかだ。
日本食にこだわるような人以外は、暮らすのは難しくない。

間違ったネガティブな印象を消し、普段のイランの魅力を少しでも伝えたいと思う。
そんな中、たまにこのブログで消極的な言葉を書くと、すぐに「ぼやき」「愚痴」ととられることもある。

「あれ?イランは暮らしやすい国って書いていたのでは?もっと気楽にしたら」
そんな気持ちが伝わる。



気遣ってくれているのもわかるけれど、泣きごとを言いたいわけではない。
伝えたいのは、独特の「息苦しさ」だ。
それが今のイランの大事なキーワードだからだ。



先日の映画人、音楽人とも笑顔を見せながらも、その息苦しさを語っていた。
枠にはめられる苦しさ。
この国に来て自分もあらためて実感する。


  ×    ×


自由が限りなく保障された日本にいると感じることはない。

「好きなことが書ける」
「好きな映画がいつでも見られる」
「コンサートに行ける」
「アルコールが飲める」


日本では日々忙しいし、だれもが金がわるわけではないし、常に好きなことができるわけではない。
ただ、大事なのは「何かができる」という選択肢、可能性(たとえ少なくても)がすべての人に与えられていること、だと思う。



飢えや紛争が起きる海外の映像を見ると、だれもがかわいそうだと思う。
裏返せば、それ以外の目に見えにくいものには、あまりに無関心じゃないだろうか。
自分もそうだった。
イランに来るまで、さまざまな自由は「空気」のようなものだった。



日本で死刑存続支持が高いことも、そんな現れだと思う。
権力が暴走したり、冤罪が頻繁に起きたりする状況は、全く考えなくていいという当たり前の今があるからこそ、そんな世論調査の結果につながる。



日々与えられ、空気のようになる。
そして、人は無関心になる。