むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

肝っ玉

2009年04月29日 10時03分50秒 | Weblog
2日間、帰るところがなくなってしまった!
単なる自分の不注意で、笑うしかない。


一昨日は会社に泊まったものの、2日目はどうしよ?
考えあぐね、昨晩は「あなたとは違うんです」の独身記者に電話。
なんとか寝どこを確保した。
持つべきものは、独身の友人か?



とにかく勉強好き、蘊蓄好き、議論好き……。
学生時代からのつきあいだが、ここまで自分のスタイルを変えないのはたいしたもん。
永田町、霞が関で疎まれつつも、ケセラセラ……。
決して群れない。肝が据わっている。


 ×   ×


昨日、イラクで長期取材に出ていたアジアプレスの玉本英子さんが帰国。
いつも、しんどいところは見せず、毎年過酷な取材を続けている。
肝っ玉が違う。



今朝、千葉・浦安の市場へ。
「うなぎの肝串」をかじりながらぶらぶら……。
その後、休日午前のガラガラの職場へ。
肝を据えて、たまったものをかたづけよ!


寄り道と筋トレ

2009年04月28日 01時55分27秒 | Weblog
軽率だった。
ブログのタイトルに安易な比喩表現を使っていた。
「寄り道」の方がずっといい……。



言葉って難しい。
記者になりたてのころは、新聞表記の規制って「言葉狩り」的なイメージがあって、賛成できなかった。

けれど、今は全く考え方が変わった。
十数年経つと、それまで自分とは関係なかった、いろんなことが急に身近になることもある。


  ×   ×


早めのGW休みを取って今日から職場に復帰。
一気にハイになり、ひたすら先ほどまでパソコンに向かいパタパタ……。

考えても前に進まないこともたくさんある。
気をまぎらすのは、筋トレみたいな仕事が一番!

現場

2009年04月26日 17時07分18秒 | Weblog
携帯電話が鳴ったのは、ちょうど道後温泉を出たところだった。

前日夜から未明にかけて、愛媛の支局に選挙取材の手伝いに。
翌朝、大阪に戻る前、ちょっとだけ「寄り道」していた。



「福知山線が脱線している」
最初は半信半疑。
大阪本社の後輩記者から電話を受け、飛行機とタクシーで現地近くの支局へ。
やがて大惨事だとわかってくる。
事故の2~3年前には、自分も日常的によく使っていた路線だった。

JR西日本の責任が問われたのは当然として、事故の背景にある分刻みの利便性を追求する社会のあり方って、この4年でどれだけ変わったんだろう……。


  ×    ×


昨日でJR福知山線脱線事故から4年。
大阪発行の25日夕刊では、今年も若手の記者が遺族や関係者にへばりついて、いろんな記事を発信している。


脱線事故が起きたのは、自分が記者として「転機」を感じたころでもあった。
「現場」から離されかける感覚……。
脱線事故の時も、しばらくの間は、全国から集まった若手記者に取材の指示や原稿の取りまとめ役に徹するよう言われた。
昼間はデスク、キャップの間にはさまれ、現場記者とのやり取りで追われ、夜中は翌日の取材予定を考える。
事故現場には近づけず、机に座っているだけなのに、1週間後にはヘロヘロになった。



新聞記者の大半は、意外と早く現場からいなくなってしまう。
事故から4年を伝える紙面を見て、あらためてかみしめた。

今もまだ、現場に近いところで「粘って」いられることが“幸運”だと。

300円のゆとり

2009年04月24日 00時50分56秒 | Weblog
なんだか毎週、気になるようになった。
ホームレスを支援する週刊誌「ビッグイシュー」。
http://www.bigissue.jp/



以前はたった300円でちょっとしたボランティアができるなら……との思いだった。
けれど、今は中身に引き寄せられる。

まずはインタビューものの充実ぶり。
最新号は俳優の金城武や編集者の中瀬ゆかり。
華やかさの裏にある「予定調和」でない深みが時に伝わってくる。

地べたから見つめるような海外ネタもいい。
洗練されたコラムや投書からも、編集の丁寧さが伝わる。


  ×   ×


東京で暮らしていると、ホームレスの人を見ないで通勤するのは不可能だ。
自分を含め誰もが「見ぬふり」をして自分をごまかし、日々暮らしている。

けれど、言い訳を探しながら生活するってどこかしんどい。
同じ人間で、なぜこんなに距離があるのか……。
そんな溝を、ビッグイシューは少しだけ埋めてくれる。

「ありがとう」「頑張ってください」


  ×   ×


豪州出身の女性から週1で英語のレッスンを受けることにした。
雑談でビッグイシューの話になった。
「豪州ではメジャーだけれど、東京ではあまり見かけないわね」
それでも彼女は最近、ようやく販売している男性を見つけ、1冊買ったという。
「まだ、ひらがなしか読めないんだけれどね……笑」



莫大な人が交差点を行き交う東京。
余裕のない人たちが、ゆとりのない社会を拡大再生産している気がする。






途中下車

2009年04月23日 12時56分59秒 | Weblog
通勤時間が倍になった。
駅の数は数えたくもない(笑)



そして思い出すのは20年前の浪人時代だ。
高校時代に好きなことばかりやっていて、卒業後1年は初めて「塾」というものに通い、ひたすら机に向かわざるを得ないはめに……。



沿線の景色が、記憶をよみがえらせる。
自習に最適な静かな図書館がある駅、浪人仲間がいた寮やうまいトンカツ屋のある駅……。
そして、苦~い思い出のあの駅も。

ある日の帰り、満員の車内で突然息が苦しくなり、たまらなくなった。
浪人時代の後半。成績がやや落ちかけ、だいぶ追い込まれていた。
多摩川のそばにあるホームを降り、ぷらぷらと歩き出した。



「一体、こんなに詰め込んで何になんだろう?」
夕方、河川敷に座り、しばらくボーっと過ごした。

完全には解決されないものの、少しだけ気持ちが楽になった。
数か月後、ギリギリで目標にたどりついたのも、あの日の夕方、「休む」ことを覚えたからだった。



途中下車もいいもんだと思う。

宿題

2009年04月21日 22時49分15秒 | Weblog
5時間半の真剣勝負!?
昨日と今日の2日間、中身が詰まり過ぎるほどの長時間インタビューができた。

世界各地で、ロバート・デニーロと和食レストランを共同経営する料理人。
年間通じて5大陸を駆け巡る「旅」を続けながら、独自のスタイルで和食文化を伝えている。
超多忙の中、おがみ倒して貴重な時間を絞りだしてもらった。



彼の「成功」までの幾多の挫折は、想像を超えるものだった。
人間関係、火事、借金……。
何度も白紙に戻りながら、立ち上がる。

彼は言う。
「神様は、こいつならできるという人に限って、苦しみを与える。いわば『宿題』。要は、その壁をどう乗り越えるか。解けない宿題はないんです」



どれだけ輝く言葉を引き出せるか……。

インタビューは聞く側もエネルギーがいるけれど、その何倍もの栄養をもらえる。
あとは、それを形にして読者に伝えられるかどうか……。
2か月後までのとりあえずの宿題。

リセット

2009年04月19日 10時25分09秒 | Weblog
ようやく「床」が見えたのは、昼近くになってからだった。
引っ越し当日を迎え、昨日は朝からバタバタ……。


「夢の国」に近い千葉県の部屋ともさようなら。
2年だけたまたま住んだだけなのに、ガラ~ンとかたづいた部屋を出る時の寂しさは、やっぱり何とも言えない……。


  ×   ×


最後の昼食は、ヒマそうに?していた寮の先輩と、地元のうま~いハンバーグとオムライスの店に。
仲のいい夫婦が営むこだわりの店で、カウンターは6~7席だけ。


肉の食感、旨みがワイルドに凝縮されたハンバーグに、思わず犠牲?になられた牛に感謝したくなった。
とれたての地元の白タケノコ入りの味噌汁も美味。
15時間かけて抽出する「水出し」コーヒーも深い味わいに、ほっこりする。

◆洋食「赤とんぼ」
http://r.tabelog.com/chiba/A1202/A120201/12006925/

いい食材と手作業のこだわり。
転勤・転居後に関西や九州からも食べにくる客もいるとか。
ネット検索で簡単に見つかる「無難な味」とは違う。

血液にエネルギーを大量に注入されてもらった感じ。
さあ、リセット!


腰の軽さ

2009年04月18日 03時08分48秒 | Weblog
きれいな三日月が西の空に浮かんでいる。


明日(正確には今日午後)が引っ越しだというのに、夜勤から帰り、まだ起きている。
詰めた段ボールはまだ5個。
単身で荷物が少ないとは言え……。
う~ん、まあ、何とかなるか?



最近、ギリギリにならないと何もやらない。
腰が重くなったんか……?


  ×   ×


ものすごい先輩特派員がいる。(大きな賞を獲ったかの先輩記者とは全く別)
海外に赴任した2年前から日を追うごとに成長しているのが手に取るようにわかる。
今日も原稿を読んで圧倒された。
読ませる工夫が随所にあふれている。



遠い国の選挙の話を、どっぷり入り込んだ現場から説き起こし、貧困の根深さや民主主義の難しさなど、普遍的なテーマへと結びつけてしまう。


新聞記事は、大きく2種類に分かれる。
現場や人物に密着した柔かい「軟派」と、大局的な情勢や構造を分析する「硬派」だ。
どちらの分野も得意とする記者がいて、主に担当とされる部署があるけれど、両方をつなぐ人はなかなかいない。
尊敬するこの特派員記者は、いとも軽やかに硬派と軟派の間を渡り歩く。
そして、双方を柔軟にうまくつないでしまう。



「腰の軽さ」
新聞記者に求められる資質として、よく言われる言葉だ。
けれど、当局者、権力者とのつながりばかりを生かし、記事を量産する軽やかさは、本当の「軽さ」ではないと思う。
そんな軽さをもてはやした結果、新聞はどんどん読まれなくなった。

本当の「軽さ」がぴったりとあてはまる先輩記者に初めて出会った気がする。
軽さを生かし、いろんなものを「つなぐ」人の記事は、きっと読まれる。

行間

2009年04月14日 02時12分34秒 | Weblog
「最近、泣きごとが多い」
「記者として悶々としてる感じ」


数少ない貴重なブログ“読者”から時折、感想をもらう。
痛いところを突かれる。
確かにその通り……ばかり。



ブログの効用?は、「行間」から自分が読みとってもらえることだ。
いくら繕っていても、継続的に書いていると、いろんなことが透けて見えてきてしまう。


素直に受け取って、何かに生かしたい。
立ち止まっていても仕方ない。


夢の国

2009年04月12日 23時18分22秒 | Weblog
訳あって1週間後に引っ越すことにした。
最後の週末休みなので、頑張って走って遠出することに。


地図で見たら結構近い!
意を決して走り出したものの、なかなかたどり着かない。
道が分かりにくい上、今日は特別暑いし。
学生のころなら遊び感覚ですぐたどりつく距離なのに、今の自分には、やっぱり「夢の国」は遠いのか……。
結局、1時間以上かかって、「東京ディズニーランド」に到着した。

そして帰りはヘロヘロ。
全部走って帰るつもりが、最寄駅まで走って電車に乗った。
なんとも中途半端なトレーニング……(笑)


  ×   ×


ひとつ前の記事で書き忘れていた。

あこがれの脇浜先生は、決して「体力派」ではない。
職員室の机には、いつも難しい英語の原書が積まれていた。
いろんな翻訳もこなし、かなりレベルの高い英語の先生でもあった。
元ワル。やる時はすべて全力!


走りながら思った。
今、脇浜先生に会ったら、なんだか怒られそうだ。
「あんた、体力も知力もほんまに中途半端やなあ。それでも記者か?」と。
やっぱり、努力しないと、夢の国にはたどりつけない。



リターン・マッチ

2009年04月12日 12時38分44秒 | Weblog
記者をしていて、幸せを感じるのは、最高に格好いい男に出会う時だ。
その「最高」の1人の名前を久々に新聞の片隅で見つけた。


脇浜義明先生。

兵庫・西宮の定時制高校で多くの「不良」少年に、ボクシングを通じて希望を与えてきた。
ノンフィクション作家、後藤正治さんが著書「リターン・マッチ」(文春文庫)で、その人生を追っている。
本を読んで、いつか会いたいと思った。
兵庫県に勤務当時、何度か体育館のリングや職員室に通った。
練習の後に生徒と通う銭湯にも一緒について行った。


眼光鋭く、ぶっきらぼう。けれど、どこまでも優しい。
差別や外国人差別など理不尽な問題とも向き合ってきた。
そして、何人もの生徒にグラブをにぎらせ、「敗者復活戦」に導いてきた。

とうとう、教え子の女の子が世界の頂点までたとりついた。

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<関連記事>

◇多田、王座奪取 「女番長」華麗なる転身
 「女番長」が、世界チャンピオンへの華麗なる転身を遂げた。高校時代は、けんかに明け暮れていた多田。当時の恩師が導いてくれたボクシングで、ついに頂点に立った。
 兵庫県西宮市出身。定時制の西宮西(現西宮香風)高に入学当初は、手に負えない“ごんたくれ”だった。10人ほどの男子生徒を相手に大立ち回りを演じ、ボクシング部顧問だった脇浜義明さん(68)に勧誘された。脇浜さんは、落ちこぼれ生徒をボクシングを通じて更生させてきた名物教師。
 「けんかばかりやっとっても、警察の世話になるのが落ちやぞ。リングの中は、人を殴って喜ばれる」との殺し文句に、コロリと参った。脇浜さんは「シンナーや弱い者いじめなどはせず、義〓心(ぎきょうしん)を持った古典的なワルやった」と懐かしむ。
 競技を始めてからは、脇浜さん仕込みの「美しいボクシング」を目指した。口癖は「力じゃなくてタイミング」。初の世界挑戦の舞台でも、それを冷静に貫いた。「(得意な)左ストレートだけに頼る試合はしたくなかった」と明かす。接近戦に持ち込みたい孫に対し、右のジャブで相手との距離を保ち、機を見て左のボディー、フックを打ち込む。計算され尽くした動きに、かつての番長の面影はなかった。【堤浩一郎】
 
09年4月12日付 毎日新聞朝刊運動面


  ×    ×

もう8年前になる。
どんな1面トップよりも、充実感があった。


◇西宮市の夜間高校教諭・脇浜義明さんがこの春、定年退職
   落ちこぼれ育てた17年

 夜学にこだわり続け、「落ちこぼれ」とされた生徒たちをボクシングを通じて立ち直らせてきた兵庫県西宮市立西宮西高校(定時制)の英語教諭、脇浜義明さん(60)がこの春、定年退職する。転勤も昇進も断った29年間。新設の県立高校への統合で、23日に閉校となる同校の歴史とともに、熱血先生は教師人生の区切りを迎える。

 脇浜さんは神戸市出身。定時制高校から夜間の大学に進んだ。1972年に同校に赴任。84年、高校時代の経験を生かしてボクシング部を創設。廃材を利用した手作りのリングでスタートした。
 部員の多くが家庭の事情や学力偏重の風潮の中ではじき出された生徒たち。教師への反抗、非行、不登校……。そんな生徒たちにボクシングを通して「差別や貧しさ、つらいことをはね返す力を身につけてほしい」と願った。
 拳(こぶし)から伝わる生徒の思いを正面から受け止め、練習後は一緒に銭湯に。阪神大震災のあった95年、被災者救援のボランティアをしながら練習を続けた部員がインターハイで優勝。これまで100人以上を指導し、2人がプロボクサーに。昨年は女子の全国チャンピオンも誕生した。

 今春卒業の真木大作さん(19)は北海道での中学時代、たばこをふかし授業を抜け出すような少年だった。西宮西高校でボクシングを始めたが、最初は仕事を終えて夜遊びにふけった。しかし、毎日かかる脇浜さんからの呼び出しの電話に根負けし、学校に戻った。「言葉はきついけど、僕らと同じ目線に立って、励ましてくれた。ボクシングをやってやっと歩いていく道が見つかった気がする」。昨夏インターハイに出場し、大学に推薦で合格した。

 「人生にもリターンマッチがあっていい」と脇浜さんは言う。定年後も統合先の新設校で嘱託として週数時間教壇に立つ予定だ。
 卒業生から「先生、焼き肉おごったるわ」などと、ねぎらいの電話が相次ぐ。「生徒がわしを頼りにしてくれる。それが生きがいやった。生徒にも感謝したい」と、目を細めた。 【鵜塚健】   

■写真説明 「ボクシングを通じて誇りを取り戻してほしい」と語る脇浜義明さん=西宮西高校で15日、梅村直承写す   

01年3月17日 毎日新聞大阪夕刊社会面


まるごと

2009年04月12日 01時19分45秒 | Weblog
コンビニのデザートの高級化、多様化が進んでいる。
新聞記事によると、最近のターゲットはひとりものの男性らしい。
一方で、古典的な「これ」になかなか出会えなかった。

「まるごとバナナ」

バナナがまるまる入っていて、あふれんばかりのクリームが塗りたくってある。
学生時代、陸上の大事な試合の前の晩に、エネルギー補給のために必ず食べていた“おまじない”だった。
銭湯のサウナを出てから、夜中にガブッ!!
金欠だった学生時代のささやかな贅沢でもあった。
ちょっぴり幸せな気分。自然と闘志がわき上がってくるような気もした。


久々に買ってみた。
夜に食べるのは「危険」と知りながらも何年かぶりにガブッ……!!
2日酔いでダラダラ過ごした1日を反省。
スイッチを入れ直せそうな気がした。

マイノリティ

2009年04月11日 15時47分32秒 | Weblog
長~い週末の夜だった!
学生時代に寮仲間だった在日コリアンの友人の帰国を祝い、久々にはしご、ハシゴ……



途中から同業者の友人が一人帰り、残ったのは在日の弟君の編集者と、これまた学生時代の友人のイラン人ハーフ、最近飲み友達になった“半イケメン”韓国人教授ら。
ずっ~と日本語でしゃべっていたけれど、日本人は自分だけになった。



ふと「マイノリティ」という言葉のおかしさを感じた。
少数派かどうかは、相対的なものでしかない。


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日本の新聞社って、採用年齢にある程度幅があるくらいで、あまり多様性があるとは言えない。
女性の採用を増やしたのはつい最近だし、在日コリアンの記者が入るようになったのも近年になってからだ。



日本で生まれ育ち、同じような大学を出た人間ばかりが集まっても、思考の幅って知れている。
均質化された組織が作る新聞は、どんどんつまらなくなる。
北朝鮮報道を見ていると、“危うさ”につながる気もする。
もっともっと多様性があっていい。

充電

2009年04月10日 03時19分13秒 | Weblog
最近は当番続きで、なんだか「放電」ばかりだったけれど、久々~に「充電」できた。

イスラエル兵の戦争犯罪の告発をテーマにした映画の試写会に行った。
パレスチナ問題の枠にとどまらない。
社会のシステムに取り込まれると人間はいかに弱いかを、証言の積み重ねだけで浮かび上がらせている。



映画のタイトルは「沈黙を破る」。
http://www.cine.co.jp/chinmoku/
大事なのはサブタイトルだ。

「考えるのをやめたとき 僕は 怪物になった」



人間は、都合の悪い現実に向き合った時、自分をごまかすために「消化」する。
そして、ものを考えなくなる。
パレスチナ人がただの物体に見え、殺しても何も感じなくなる。
その究極の姿が、戦場の兵士なんだろう。



映画を見ていて感じた。
これって職場などの日常にもひそんでいる危うさなんじゃないか……。
いろんな現実に帳じりを合わせるため、おかしいと思うこともなんとなく「消化」していく。

監督の土井敏邦さんは、単なる現象よりも「内面」を伝え、パレスチナ問題だけでなく広く共通する「構造」を描きたかったという。



充電して思い直した。
過剰に適応するより、やっぱり考え続けよう!

◆毎日新聞
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090410dde012030004000c.html