むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

北酒場

2009年09月27日 11時34分53秒 | Weblog
段ボール6箱
中型スーツケース
布団一式
小さいアコースティック・ギター

合計で106キロ也
まだビザが出ずにヤキモキする中、つい先ほど荷物だけ先にサヨウナラ!



昨晩になって本格的に荷造りを始めた。
「難しい」国なので細かいことに四苦八苦……。

CDは検閲されてなくなるケースもあるので、だいぶ数を減らした。
ん?Tシャツに「AMERICAN~」の小さい文字を発見。なんだか、いちゃもんつけられそうだし、これもやめた。
ギターも西洋文明の象徴?エレキじゃないし、ま、いいか。
自炊用の食材もかきあつめたものの、料理酒は送れないし、みりんも微妙だし。

すべて届くことを祈って。
近いうちに再会しよう。


  ×   ×


先日、取材で何度かお世話になった女性国連職員に電話すると
「私が子供のころ、うちの父も特派員でイランへ単身赴任してましたよ」

当時はイラン・イラク戦争の真っただ中。
単身は当然ながら、一度入ったらほとんど帰国もできない状況だった。
酒にとりわけ厳しいイランで、お父さんはビールの醸造キットを持ち込んだらしい。(ほかの特派員経験者からも、ブドウを大量に現地で買ってつぶしてワインを作った話を聞いた)

そんな中、彼女は当時流行っていた「北酒場」をよく電話口で歌ってあげたそうだ。
過酷な環境で、ストレスを発散する酒場すらない中で、どんな気持ちでお父さんは歌を聞いていたんだろう。



まあ、そんな時代から比べれば……。

免罪符

2009年09月25日 23時36分47秒 | Weblog
赴任準備であちこちめぐり、夜はいろんな人が送別会を開いてくれる。
感謝、感謝の日々……。



先日、ふと昼間に時間ができたので、久々に献血した。
記録上では、十年以上前からしていないらしい。

長い間、「忙しい」って言葉を理由にずっと避けてきた感じ。
けれど、この1~2週間、職場の勤務を外してもらい、少しだけ余裕ができたら、なんだか視界が開けてきた。



いろんな発見も。
今どきの献血ルームはサロンのよう。
個別のベッドにテレビがついていて、終わった後はドリンク、お菓子が飲み放題!
雑誌を読みながらくつろいでいる若い人たちもたくさんいる。

もしかしたら、きつい仕事もなくてヒマな人たちなのかもしれない。
けれど、自分以外のことを考える心の余裕がある人たちをうらやましく思えた。



日本人って、結局まじめすぎるんだろう。
職場であくせくすることって本当は何の「免罪符」にもならないのに……。

ワクワク感

2009年09月24日 00時11分08秒 | Weblog
先日、娘が出た陸上競技の記録会に足を運んだ。(たぶん最初で最後?)
トラックのあちこちで、いろんなコピーが書かかれた自作Tシャツが目につく。

「走ってないとワタシじゃない」
「猛走癖」
「韋駄天走」

なんだか青臭~い言葉ばかり。
けれど、やっぱり今でもそんな世界に惹かれるのはなぜだろう。
答えは「ワクワク感」か。

大半は「敗者」になるのに、ヨーイドンで少しでも上を目指す潔さ、気分の高揚……。



社会に出ると、一直線のヨーイドンはあんまりなく、なんだか「障害物競走」が多くなる。
平気で近道をしたり、隣のコースに穴を掘って邪魔する人も?
そもそも何のレースをやっているのかわからなくなることもある。
純粋なワクワク感ってなかなか得られにくい。



その日の夜は、関西在住の大学時代の陸上仲間と送別会。
旨い京都のおばんざいを食いながら、しょうもない?昔の競技の話ばかり。
けれど、ワクワク感がよみがえってくる。
やっぱり京都は神様の町。2つもお守りをもらった。


新聞にもワクワク感が欠かせない。

寄り添う

2009年09月22日 01時54分25秒 | Weblog
大阪ですごい新聞を作っている人たちがいる。


執筆メンバーは、元地方紙記者や元公務員。
所帯は小さくても、イラクやアフガン、沖縄、そして地域社会でずっと現場の弱い側の人たちに寄り添い続けているジャーナリストたちだ。
■新聞うずみ火
http://uzumibi.com/
手作り感覚ながら、中身は多彩で重厚で、そして温かい。
読者も全国に広がっている。

なぜかここで紹介するのをずっと避けてきた。
混然となったうらやましさ、悔しさ?がそうさせていたんだろうか。



寄り添うことは、ジャーナリストだけの仕事じゃない。
誰もができることだけれど、それが難しい。
自分も忙しさにかまけて、行くチャンスを失った。ああ、悔しい。
■「冬の兵士」証言ツアー(23日まで)
http://wintersoldier.web.fc2.com/


  ×   ×


新天地で、何をどう発信していくのか。繰り返し考える。
他社と比較してどうこうより、自分がいるからこそできることって、きっとあるはず。
決して慢心ではなく、謙虚に知恵を絞り続けたい。

ひとつだけ言えるのは、どんなに大きな流れがあっても、それを作ったり、翻弄されたりするのは一人ひとりの市民。果たしてどれだけ「寄り添う」ことができるのか。
踏ん張りが問われる。


  ×   ×


「悪の枢軸」と呼ばれる国では、国際社会の経済制裁のせいで、ドルの送金すら受けられないし、クレジットカードも使えない。
先進国への引っ越しと違って、面倒なことも多い。
結局、困るのは一般市民ばかり……。なんとかして。

ベクトル

2009年09月21日 06時58分45秒 | Weblog
「Haus der Begegnung」(ドイツ語で、出会いの家)

学生時代に扉をたたいた「ハウス」は今も、京都・丸太町にボロボロになりながら建っている。
アジアや南米など世界各地から集まっためちゃくちゃ賢い留学生と、少しふまじめな日本人が集まって暮らす、ごった煮のような寮だった。
教えてもらったのは、人のつながりと寄り道の大切さだった。



20年の月日を経て、いろんなところに散らばっていた人生のベクトルがなぜかいろんな形でつながってきた。
これほど楽しい、うれしいことはない。


ふらふらと寄り道を繰り返してきた自分のベクトルは、なんとか前に進んでいる感じ。
支えてもらっている多くの人たちに感謝、深謝……。
まだだいぶ頼りないけれど、矢印は遠いところに向いている。

「社内学歴」

2009年09月18日 23時17分47秒 | Weblog
新聞社は意外に、学歴社会ではない、と思う。
けれど、それ以上に重要なのが、入社後、どこの記者クラブを担当したかという特殊な「社内学歴」だ。
「朝日ともあろうものが」の著者、烏賀陽さんも指摘してる。


社会部系の記者であれば、警視庁や大阪府警、東京や大阪の地検特捜部が“頂点”。政治部系でいえば、首相官邸や自民党・平河クラブといったところ。
そうしたクラブには確かに、仕事の手際がよかったり、それなりに器用な記者は多い。
しかし、それ以上でも以下でもなく、ジャーナリズムの中身とは直接関係ない。


どんな記事を書いたかよりもどこの記者クラブを担当したかというのがより重要で、記者の評価基準として、かなりの影響力をもってつきまとう。
過去の「栄光」にすがり、あとは牙をみがいて寝ているだけのライオンみたいな記者もいるのに……。
ずっと嫌だったそんな「文化」が変わる気配を見せている。




岡田外相は、外務省の記者クラブを、雑誌記者や外国人記者、一部のフリーランスにも認め、「開放」することを決めたという。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090919k0000m010081000c.html


官僚の作った答弁や資料で、現場感覚のない記事を書いている記者がどれだけいるか。
既得権益に乗っかり、勘違いしている記者がどれだけいるか。



記者クラブも開放していけば、その権威もどんどん陳腐化してくるし、文化も変わるはず。
政権も歴史的な変化をとげたんだし、メディアも変わるべき。
おおいに揺らいで、最後に大事なものが残ればいい。



想定外

2009年09月17日 09時46分08秒 | Weblog
神様はよく見ている。
これからアルコールが欠乏するかわいそうな人間に、今のうちに湯水のように「注入」してあげよう……と。
連日、先輩や同僚記者、友人に感謝、感謝の日々。


一方で、要領が悪いせいか、準備は一向に進まない。
二歩進んで、一歩下がって……。
ビザもなかなか出ない。
すべてが「想定」通りにはいかず、焦るばかり。


  ×   ×


新政権になり、官僚だけでなくメディアもあわてふためいている。
すべて予定調和で行われていた会見などがなくなり、今後は「官製」発表も大幅に減るだろう。旧態依然の取材手法では、新聞が作れなくなる。

派閥の長にくっついたり、キーになる官僚の動きばかりを追ったり、「完成」された役所のコメントをつなげたり……。
メディアが反省することもたくさんあるのでは。

「想定外」にこそおもしろいものが生まれる。


初期化

2009年09月11日 01時15分06秒 | Weblog
いつでも何でもできるようでいて、年月が経つと、いろんなカスがたまり動きが鈍くなる。画面がかたまったり、消えたり……。
パソコンって、意外と人間的だ。
なんだかバッテリーもへたり気味で、やる気がない。

というわけで、職場のパソコンを初めて初期化した。
データの一部だけ保存してあとはきれいさっぱり。



人生にも何度か初期化が必要なんだろう。きっと。
これまで培ったものが失われてしまうリスクもあるかもしれない。
けれど、何となく守っていたものにしがみついて、残りの人生をずっと過ごすのはやっぱりいやだ。
ゼロからのスタートで失敗しても、新しいものが見えてくる方がよっぽどいい。




今日は職場の送別会。
午前中からいろんな人に会い、吸収したり、教えを請うたり……。
なんだか能力不足の自分がいろんな人に支えられていたことを痛感。
ゼロからのスタートを楽しみたい。

泡盛の思い

2009年09月08日 03時57分08秒 | Weblog
沖縄から職場に「泡盛」が届いた。

「これで君はしばらく現場に残れるな。おめでとう」
17年前の初任地で1年上の先輩だった記者からのお祝いだった。
心の底からうれしい。




この先輩記者は、平和や安全保障に関して書くことへのこだわりから10年以上前、沖縄の地方紙に転身した。
その後、いろいろと回り道をして念願だった米軍基地問題の担当になった。
描いた通りの活躍をし、昨年出した本は立派な賞も獲得した。

そんな先輩記者もそろそろ現場からはがされそうな年代を迎えている。
だから、彼は米軍基地問題で連載を続け、新たな本の出版に向けて頑張っている。
すべては、現場に残るための努力だ。



いろんな考え方はあるけれど、やっぱり新聞記者は現場で書いてなんぼだと思う。

「いつまで書けるか。僕にとっては今は1年、1年が勝負だ」
先輩記者は、自分の立場を冷静に見つめながら、理想を捨てない。
本当にいい仕事って、そんな生き残りをかけた大きなプレッシャーの中でしか生まれないんだろう。


泡盛に込められた思いを少しでも受け継ぎたい。

職人

2009年09月07日 00時16分25秒 | Weblog
新聞社のおもしろいところは、職人のような人が少なからずいるところだ。

先日、2年半前に大阪から一緒に東京にやってきた1年上の先輩記者と焼き鳥屋に行った。
彼は、長く整理記者をしていて、レイアウトと見出しをつける達人だ。


「彼に頼めば、きっといい紙面にきっとしてくれる」

そんな期待をいつも背負い、「結果」を日々出している。
いろいろ話していると、彼は活字で伝えることが誰よりも好きで、演劇や文学にも精通する幅の広い人だった。
何より、誰よりニュースを楽しんでいる。

編集局には、用語の間違いや文章の誤りをいつも的確に指摘する職人のようなベテラン校閲記者もいる。
決して最前線で取材だけしている記者だけで新聞は出来上がらない。



自分はどれだけ職人に近づけているのか。
はなはだ疑問だけれど、まだ書けるチャンスがあることはかみしめている。

政権交代を受け、テレビ画面では、「新しい権力者」に記者たちが無邪気に群がっている。
少しだけ地方記者を経験して、東京に引っ張り出された若い政治部記者が多く、業界内ではエリートと言われる人が大半だ。


特に政治記者の場合、ちょっと聞いた話でも簡単に署名とともに1面に載ってしまう。
けれど、記事の大きさと、伝えたいという思いや、ジャーナリズムとしての大切さとは必ずしも一致しない。



伝えることの本当の大切さをわかっている記者がどれだけいるだろうか。
職人のような記者が1人でも、2人でも増えればいい。

コード

2009年09月02日 04時12分08秒 | Weblog
地味に刻み続けるリズムパートに、ゆったりとしたベースが重なる。そしてソロパートが時折割り込んでくる……。

夜中に家に帰ると、秋の虫たちが重厚なオーケストラで出迎えてくれる。
知らない間にもう9月だ。


ボーッと聞いているだけだと単なる無色のBGM。
けれど、いろんな不安や考え事をしながら耳を傾けると、本当に切ない響きに聞こえてくる。
気分次第で、明るいメジャーコードにも、悲しいマイナーコードにも聞こえてくるから不思議だ。



新しいことを始める時は、楽しみや期待とともに不安が増幅してくる。
本当にいい選択なのか? 自分は要領が悪いだけなのでは?
そんな答えの出ない問いにウロウロ……。



先日、数年ぶりにはとこ兄弟の兄と飲んだ。
サンフランシスコで奮闘するビジネスエリートの弟と並んで、兄は東京の外資系企業で無骨にサバイバルを続ける。
「ケセラセラ」をモットーに、与えられた選択肢の中で、最大限人生を楽しんでる。


幼少時に父親を亡くした、この兄弟の共通点は、言い訳もせず、全く守りがないところ。
自分の職場にはまずいないタイプだ。
血はつながっていても、なかなかマネできない。

たぶんこの兄弟には、どんな虫の音もメジャーコードに聞こえるんだろう。