むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

たった1人、されど1人

2008年10月16日 03時30分24秒 | Weblog
大きな問題を前にして、たった1人の当事者に焦点を当てることに意味があるんだろうか。
記者の仕事をしていて、そんな問いに直面することがある。
日々、大量の犠牲者が出るイラクについての報道でも考えさせられる。

昨春、大阪のある大学非常勤講師の女性が、ヨルダンに向かった。
そして、病気の治療のためイラクから治療のために滞在していた女児に、テディベアのぬいぐるみを届けた。
そのぬいぐるみは、米カリフォルニア地震の被災地から阪神大震災の被災地に贈られたものだった。

やったことはただそれだけ。
膨大な市民や子どもが爆撃や銃撃で死んでいくという事実の中で、その女児に感情移入することにどれだけの意味があるのか。
迷いも抱えながら記事にした。

ただ、女性は帰国後、女児の医療費支援を始め、知人、友人に呼び掛けてカンパを呼びかけた。
女児の病気は脳の腫瘍で、米軍が使った劣化ウラン弾の影響も否定できない。
支援の輪は確実に広がった。活動を取り上げた新聞記事も少しだけ役立った(と思う)。

それでもまだ支援の意味、それを取り上げることの意味を疑っていた。
しかし、1年近くの支援の末、女児の病気は回復し、故郷のイラクに戻ることができた。
予想もしていなかった経過、成果になんだか恥しくなった。
1人を救うことで、いろんな輪ができ、命が救われる。
多くの人がたとえ一時的であれ、遠く離れたイラクのことを考える。
それだけでも意味はものすごく大きい、と痛感させられた。

女児の名前はイラフちゃん。
なぜか元サッカー選手の中田英寿もヨルダンに立ち寄り、イラフちゃんと一緒に遊んでいた。
いろんな人を引き付ける力を持った子どもなんだろう。
最近、そのイラフちゃんの映像を見つけた。
会ったことはないけれど、記事という形で間接的なつながりができると、なんだかその後も気になってくる。


米大統領選が近づき、米国とイラクの地位協定が近々交わされる。
焦点は米軍撤退のタイミング。
米国の関与は結果的に、いたずらに混乱を招いただけだった。
イラクに平和が訪れる時、イラフちゃんはどんな大人になっているんだろう。


■イラフ大暴れ



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 <関連記事>

◆テディベア:癒しの旅 震災の米国から神戸を経て、イラクの難病女児の手に

 大地震の被災地になった米国から神戸へと渡ったテディベアのぬいぐるみが、病気で苦しむイラクの女の子に渡った。医療支援ボランティアの女性が、女の子の治療先の隣国ヨルダンで手渡した。女の子は治療費が足りず、完治のめどが立たない状況だが、ぬいぐるみを手にして満面の笑みを浮かべた。被災地の子どもを癒やしたぬくもりが、イラクの子に伝わった。

 阪神大震災で被災した神戸学院大生、岡田摩耶さん(22)=神戸市灘区=が、同大非常勤講師で医療支援ボランティアもしている景山佳代子さん(33)=大阪市北区=らに「イラクの子にテディベアを届けて」と依頼。それは、米国ノースリッジ地震(94年1月)の被災地から、阪神大震災直後に贈られた思い出のテディベアだった。
 イラクでは、劣化ウラン弾の影響などで病気の子どもが急増しているが、医療事情が悪化し、周辺国で治療を受ける子どもも多い。景山さんらは先月下旬、ヨルダンの首都アンマンを訪れ、支援金を届ける一方、病気で苦しむ子どもらを訪問。髄芽腫という脳の病気で治療中だったイラフちゃん(4)に出会った。
 治安の悪いバグダッド北東・ディアラ出身のイラフちゃんは、父親と一緒にアンマンへ。昨秋から腫瘍(しゅよう)の摘出や放射線治療を始めた。しかし、100万円近くの医療費が不足し、今も左半身のまひや言語障害が残る。景山さんが「ずっとあなたのものよ」と、岡田さんから託されたテディベアを渡すと、イラフちゃんはにっこりと安心した表情を見せた。

 岡田さんは「イラフちゃんが少しでも安らぎを感じてくれればうれしい。早く良くなってイラクで家族一緒に暮らしてほしい」と話す。アンマンやイラク国内では、多くの子どもたちが病気と闘っている。支援の問い合わせは「日本イラク医療支援ネットワーク」(0263・46・4218)。

 07年4月16日 毎日新聞東京夕刊   



天才歌姫の兄

2008年10月16日 01時18分25秒 | Weblog
チャンスがあれば会ってみたい!インタビューができれば、会社やめてもいい・・・!?と思う人が何人かいる。

ミック・ジャガーにポール・マッカートニー、ビリー・ジョエル・・・。

担当も畑違いだし、笑われそうだけど、全く可能性がないわけではない(と思い込んでいる)。
そんな「ど真ん中」ではないけれど、なかなか会えない人に会えた!
カーペンターズのお兄さん、リチャード・カーペンターが11年ぶりに来日。
15日、有楽町の日本外国特派員協会で記者会見があった。

初めてラジオでヒット曲が流れた時の感動、今でも悲しみを克服できない妹の死、素晴らしい家族に恵まれた幸せ・・・。
すっかり温和なおじさん(もともとそんな風貌?)になった歌姫の兄は、終始淡々とした口調で語った。

久々の興奮。詳しい報告はまた・・・


◆Carpenters - Only yesterday

めちゃくちゃ好きな曲のひとつ。歌詞がいい。
「Tomorrow may be even brighter than today・・・・」