むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

師匠

2010年09月29日 00時54分34秒 | Weblog
久々に1キロ買いのケーキを持って、ペルシア語の“師匠”に会いに行った。

最近、4歳になったばかりの日イランハーフのラナちゃんは、相変わらずパワー全開だった。
日ペルシア語を瞬時に使い分け、いろいろ教えてくれる。




けれど、一緒に「シマジロウ」のビデオを見ていると、本音もポロリ。
「やっぱり日本語のビデオがいいの。ペルシア語は全部はわからないもん」
少しだけ大変そうな表情を見せた。

そんな苦労を抱えながらも、毎日ペルシア語全開の保育園に通園し、完全に現地に溶け込んでいる。




小さい子供は無条件に偉い!
言語や文化、習慣が違っていても、どこかの国同士のように、すぐにけんかしたり、逃げたりはしない。
違いを受け入れ、自然に溶け込んでる。

ただ、嫌なこと、つらいことがあったらすぐ泣くのだ。
先日も、ちょっとしたことを笑ってしまい、傷ついてワンワン泣かせてしまった。
けれど、数分後にはケロリ。
ケラケラケラ……!なのだ。




冗談は抜きにして、イランに来てからの最大の師匠は彼女かもしれない。
好奇心の強さ、抜群の切り替えの速さ……。

そんな子供の強さを見習いたい。
う~ん……、大人はヤワイ。

でかせぎ

2010年09月25日 05時25分29秒 | Weblog
「シゴト、オダワラ、カンバンヤサンネ、ワタシウマイヨ!」

テヘランのタクシー運転手には、日本への元でかせぎ経験者が実に多い。
最近、よく顔を合わせるBさんもその一人。
日本語の文字も覚え、看板書きの仕事をモリモリこなしていたらしい。

バブルのころで結構かせいだだけでなく、温泉入ったり、がぶがぶビール飲んだり、彼女がいたり……。
大半のイラン人にとって、日本は「夢の国」のような記憶で包まれている。
そんな話を聞くのは、こっちも気分がいい。




残念ながら、イランにやって来る日本人ビジネスマンの思いは対照的だ。
先日も、某企業の駐在員の送別をした。
楽しい思い出より、やはり苦労の方が多かったようだ。
大半の日本企業の人たちにとって、イランは「ハードシップ(苦難)」の高い国と位置付けられているらしい。




赴任から1年近く。
仕事上のやりにくさを数えたらきりがない。
もちろんビールはぐびぐび飲めないし、娯楽も少ない。
かつての出稼ぎイラン人が時折、うらめしくなる。

けれど、ひねくれた私は、そんなイランをどうにかして、楽しんでやろうとムキになってしまう。




この季節、日本からは、楽しそうな情報がいろいろ入って来る。
本を出版した人、ドラマを制作した人……。
学生時代に住んでいた寮からは45周年パーティの案内が、バイトをしていた定食屋のおばちゃんからは初めての大同窓会の案内が来た。

神様は、気持ちの弱い自分にわざとそんな誘惑の声をかけるんだろうか(笑)


イランでの、でかせぎ生活。
楽しく、ふんばりたい。

痛みと深み

2010年09月24日 04時38分37秒 | Weblog
イランで「戦争」というと、まだ終わって20年と少し。
開戦から数えてもちょうど30年だ。

実は自分と同世代の人間が多く命を失い、障害を負って今を生きているのを知った。
15歳前後で出征し、死んだ人もたくさんいる。

http://mainichi.jp/select/world/news/20100923ddm007030175000c.html
http://mainichi.jp/photo/graph/20100923/10.html

自分は、日本というとんでもなく豊かな国に生まれただけ。
そんな「プラチナチケット」を生まれた幸運をもっと感じてもいい。
愚痴を言うだけで罰が当たる、と思うようになった。






イラン北西部の辺境の町は、クルド人が多く住み、独自の文化の別の国のようだった。
(クルドの衣装はみな腰巻をつけていて、日本の着物のようだ)

一方で、戦争の痛手とともに、少数派の民族ゆえに受ける差別も。
そんな厳しい環境の中でも、一人一人はみな温かい。
たった2日間で、握手はおそらく100回近く(同じ人に何度もするし)、ほほを合わせる濃厚な?男同士のキスを2度もしてしまった。






クルド人はイラン、イラク、トルコにまたがり、国を持たない最大の民ともされる。
中東地域の国境を大国が勝手に引いた結果だ。
イランはイスラム教シーア派の国だが、ここではスンニ派が多数。

イラン北西部は、共通語のペルシア語に加え、クルド語、トルコ語が飛び交う。
しなやかに普通に多言語を操る人たちばかりだ。
長い年月、高いお金を払って英語の勉強に必死になる日本人って一体……。





たどり着くまではいろいろ困難も。
けれど、テヘランとはまた違った深い温かみと、スケールの大きな自然の中で、嫌なことも吹き飛んだ。

イランというだけで、イメージは悪いけれど、クルド人というと、どこか反政府的な色や、発展から取り残されたマイナスイメージばかり。
けれど、誰もが普通のクルド人を知らないだけなのだ。
自分もそうだった。



「お前、もっと頑張れよ」

地方に行くと、そんな気持ちにばかりさせられる。

もうすぐ1年。
自分はまだイランの深さを何もわかっちゃいない。

アフガン難民

2010年09月18日 03時07分53秒 | Weblog
イランにいる300万人のアフガン難民。
その多くは、日本人と同じ顔をし、アフガンで迫害対象になっているハザラ族だ。
同じようなDNAを持ちながら、たまたま生まれた国が違っただけ。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100918k0000m030036000c.html


なぜ、人間はつらい人ほど優しいのだろう。
イスラムでは、旅人(外国人)を大事にすることは美徳とされる。

断食で自分たちは食べないのに、黙ってなけなしの卵を使って、料理を出された時は、涙が出そうになった。
東京で一時滞在するクルド難民を取材した時も、食事を出され、複雑な気持ちになった。

果たして、同じことができるだろうか……。
自分の生き方が問われている気がした。


■UNHCR難民映画祭(10月1日~)
http://unhcr.refugeefilm.org/2010/

一喜一憂

2010年09月15日 04時28分13秒 | Weblog
「おっ、減ったぞ!」
……と思ったら、体脂肪は増えている。


日本から戻り続けている筋トレと体重測定。
気になりだすと止まらない。

細かいことに生真面目にこだわってしまう典型的な日本人だなあと痛感する(笑)
当然ながら、過度の一喜一憂は良くない。
まあ、気長に気楽に……。




いい歳してつまらんことにばかりつまづく自分を振り返った。
いい連載は、つい感情移入してしまう。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20100911ddm012070014000c.html




人間社会と一緒で、本当はいろんな個性的な国があっていいはず。
そう思うようになった。

イランという国は、なんだか好戦的な国のイメージが強いが、決してそうではない。
本来は、世界の勝ち抜き競争のようなものは苦手で、かなりおおらかな国なんだと思うことがある。
けれど、大国主導のギスギスした国際社会は、豊かな天然資源をバックに、勝手なペースで好きなことばかりしているこんな国が許せないのかもしれない。

負の面は確かにたくさんある。
けれど、イランという国の「生き方」に考えさせられることも多い。




だいぶ話が飛んでしまった……。反省。
また、一喜一憂?

ああ、断食

2010年09月12日 02時59分43秒 | Weblog
柿色に染まった空に浮かぶ新月。

夕方、ランニングで上った坂の上から見えた月は吸い込まれそうな美しさだった。
日本では、重量感があり光にあふれた満月の美しさをめでるけれど、新月の神々しさもいい。




新月から新月までの1カ月。
ラマダン(断食月)が終わった。

木曜日の断食最終日の夜は、あちこちでパーティが開かれ、夜遅くまでうるさかった。
金曜日の夜も、あちこちに人が繰り出し、深夜なのに交通渋滞も。
イラン人はなんでこんなに夜型なのか?




断食といっても、日の入り以降は食事はする。
コーランには「白糸と黒糸が見分けられるようになる夜明けまで(なんて詩的!)」食べていいと書かれ、時には夜通し派手に飲み食いをするようだ。

先日、仲良くなったタクシー運転手のおばさんに、自宅に夜の食事(イフタール)に呼ばれたのに、体調が悪くて断ってしまった。後悔……。

そのかわり、近所にできたスーパーで、ひとくちのイフタールをもらった。
ちぎったパンに、チーズとバターのかたまりを載せたもの。
雑貨屋が消え、ぬくもりがなくなったと思ったけれど、なんだかうれしかった。




断食は、貧者に思いを寄せ、我を振り返る期間。
何度かまねしようと思ったけれど断念。
代わりに、軽いサンドイッチなどのプチ断食で済ませた。



断食月は終わったけれど、イランの外食ばかりに頼る生活には戻れない。
日本から戻り、ケーキ断ち、ケバブ断ちをしている。
いつまで続くだろう。

夏の終わり

2010年09月09日 03時31分45秒 | Weblog
「ヘンデバーネ(スイカ)売ってるよ~」

職場の外から、こんな声が聞こえ、あわてて外に飛び出した。
日差しもだいぶ弱まり、朝晩は涼しいくらい。
夏の果物が消えてしまうのでは、との焦りからだ。



テヘランでは、果物や野菜を積んだこんな車があちこちで走っている。




結局、ターレビ(メロン)を一個買うことに。
分銅を載せて重さをはかってもらい、2万リヤル(200円)!
スイカもいいけど、メロンの方がずっとお得感がある。



夜、虫の音を聞きながら、ガブリ!
メロンの甘さにうなるとともに、夏の終わりを迎えた寂しさもじわり。

一文字違い

2010年09月06日 15時00分26秒 | Weblog
イランとイラク。

一文字違いで、これほど違う国同士があるだろうか。
中東になじみのない日本人にとっては、どちらもそれほど変わりない。
何となく、危なくて、砂が舞っていて……。そんな感じ。

けれど、現在の治安や生活水準は格段に違う。
米軍の戦闘部隊撤退後も、状況は改善せず、混迷は続く。




イラン人の中には、イラクを嫌う人も多い。
一方で、イスラム教シーア派の聖地を抱え、多くの「仲間」が住む隣国に強い思いを寄せる人たちもいる。
一文字違いで、全然違ってもいて、結構共通点もある。
http://mainichi.jp/photo/news/20100904k0000e030023000c.html



東隣のアフガニスタンも含め、イラン周辺一体の国境はたまたま現在ひかれているだけのものだ。
都をあちこちに移し、民族も宗教も混在しながら、時間が過ぎてきた。
共通点があるのは、実は当たり前でもある。



大戦中という特殊な一時期を除けば、国の領域も民族もそれほど変わらない日本で生まれた人は、外国を現在の「国境」という枠組みでしか、相手をイメージできない(自分も最近までそうだった)。
裏返せば、多大な想像力の欠如ともいえ、悲しいことだと思う。




イラクと一文字違いといえば……。

小児がんを患い、隣国ヨルダンで治療を続けていたイラフちゃん。
一時期、記事を通じ、ほんのささやかな応援をしてきた。


http://www.jim-net.net/

イラクに戻った後、元気にしているだろうか。

数字

2010年09月03日 01時12分07秒 | Weblog
日本で受けた健康診断の結果が返ってきた。

数字は正直だ。
酒は飲んでいない(飲めない!)ので、ガンマGTPは平常値。
けれど、中性脂肪は増え、脂肪肝と指摘された。
飲めないストレスで、時にバカ食いし、甘いものを頻繁につまんでいたのが、響いた。

イスラムの教えに従い、これだけ真面目にアルコールを我慢しているのに……。
なんだか納得できない気もするが、事実は事実なんで仕方ない。




先日の帰国時に、最新の体重計(体脂肪計)も買って持ち込んだ。
1年以内に体脂肪率半減!を誓うことにした。

イランに戻って1週間。
重くなった体をひきずり、夕方の坂道ランニングも再開。




2日前、何度も止まりながら、ヒーヒー行って、坂の上の住宅地までたどりつくと、入口事務所のいつもの「親父軍団」が笑顔で迎えてくれた。

帰り際に、余った弁当を持ってけという。
以前、水をもらってひどい腹痛に悩まされたし、さらに走って帰らなければいけないこともあり、何度も遠慮したが、結局もらうことに。

大盛りのひき肉とレーズンのピラフは実に美味だった。



今日も同じ顔ぶれの親父たちと遭遇。
「また、持ってけよ」



今日の弁当のメニューは、羊肉のトマト煮込みのゲイメだった。
(イランの弁当はすべて大盛り。写真は、半分だけ盛ったもの)


日本からの帰り際に買った「ニューズウイーク(日本版)」の成長力&幸福度ランキングによると、日本は総合9位。数値がよくなりがちな人口の少ない小国を除くと、事実上、世界トップの国らしい。
ひるがえって、イランは79位だ!



まだ温かい弁当を片手に、走りながら思った。
こんなぬくもりは、数字には現れない。

そんな数値に表せないものをちゃんと伝えなければ……。