むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

殺しながら助ける

2008年08月31日 00時40分33秒 | Weblog
アフガンから伊藤和也さんが遺体で帰ってきた。

しかし、事件を受け、霞が関・永田町では、不思議な反応が起きている。
米軍主導の「テロとの戦い」を一層進め、インド洋の艦船へ給油する「テロ特措法」をなんとしても延長すべきだと。
ん? それって、伊藤さんが本当に望んでいた「アフガン支援」なんだろうか。


ペシャワール会の中村哲さんは1年前、新聞紙上でこんな主張をしている。
「『殺しながら助ける』支援というものがあるのか」

このおかしな日本語の矛盾をもっと考えなくてはいけないと思う。
たとえ人の死であっても利用する人たちはたくさんいる。

 ×   ×

<関連記事>

 ◆戦争支援をやめる時--中村哲・NGO「ペシャワール会」現地代表

 ◇誤爆による反米感情が治安悪化に拍車
 ◇疲弊するアフガン農民の視点で議論を

 テロ特措法の延長問題が社会的関心を集めている。この法案成立(01年10月)に際しては、特別な思いがある。当時私は国会の証人喚問でアフガニスタンの実情を報告し、「自衛隊の派遣は有害無益である」と述べた。法案は9・11事件による対米同情論が支配的な中で成立、その後3回にわたり延長された。しかし特措法の契機となった「アフガン報復爆撃」そのものについても、それを日本政府やメディアが支持したことの是非についても、現地民衆の視点で論じられることはなかった。

 現地は今、過去最悪の状態にある。治安だけではない。2000万人の国民の半分以上が食を満たせずにいる。そもそもアフガン人の8割以上が農民だが、00年夏から始まった旱魃(かんばつ)により、農地の砂漠化が止まらずにいるからだ。
 私たちペシャワール会は本来医療団体で、20年以上にわたって病院を運営してきたが、「農村の復興こそ、アフガン再建の基礎」と認識し、今年8月までに井戸1500本を掘り、農業用水路は第1期13キロメートルを竣工(しゅんこう)、既に千数百町歩を潤しさらに数千町歩の灌漑(かんがい)が目前に迫っている。そうすると、2万トンの小麦、同量のコメやトウモロコシの生産が保障される。それを耳にした多くの旱魃避難民が村に戻ってきている。
 だが、これは例外的だ。00年以前に94%あった食料自給率は60%を割っている。世界の93%を占めるケシ生産の復活、300万の難民、治安悪化、タリバン勢力の復活拡大――。その背景には戦乱と旱魃で疲弊した農村の現実がある。農地なき農民は、難民になるか軍閥や米軍の傭兵(ようへい)になるしか道がないのである。

 この現実を無視するように、米英軍の軍事行動は拡大の一途をたどり、誤爆によって連日無辜(むこ)の民が、生命を落としている。被害民衆の反米感情の高まりに呼応するように、タリバン勢力の面の実効支配が進む。東京の復興支援会議で決められた復興資金45億ドルに対し消費された戦費は300億ドル。これが「対テロ戦争」の実相である。
 テロ特措法延長問題を議論する前に、今なお続く米国主導のアフガン空爆そしてアフガン復興の意味を、今一度熟考する必要があるのではないか。日本政府は、アフガンに1000億円以上の復興支援を行っている。と同時にテロ特措法によって「反テロ戦争」という名の戦争支援をも強力に行っているのである。

 「殺しながら助ける」支援というものがあり得るのか。干渉せず、生命を尊ぶ協力こそが、対立を和らげ、武力以上の現実的な「安全保障」になることがある。これまで現地が親日的であった歴史的根拠の一つは、戦後の日本が他国の紛争に軍事介入しなかったことにあった。特措法延長で米国同盟軍と見なされれば反日感情に火がつき、アフガンで活動をする私たちの安全が脅かされるのは必至である。「国際社会」や「日米同盟」という虚構ではなく、最大の被害者であるアフガン農民の視点にたって、テロ特措法の是非を考えていただきたい。

 2007年8月31日 毎日新聞朝刊

忘れ去られた国

2008年08月29日 00時09分27秒 | Weblog
最悪の結果になった。

「忘れ去られた国」で5年間活動し、現地にしっかり根付いていた伊藤和也さん。
捜索には、山合いで暮らす多くの現地住民が加わり、葬儀にも500人が参加したという。

米国の「テロとの戦い」に歩調を合わせ、日本はこれまで多額のアフガニスタン支援をしている。表明した支援総額は20億ドル(2200億円)。
しかし、どこまで現地で暮らす住民に寄り添えているのだろうか。


伊藤さんが「ペシャワール会」に提出した志望書の全文は以下。


 ◇          ◇

<関連記事>


    「ワーカー志望の動機」    伊藤和也

 私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
 私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
 その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
 「アフガニスタンは、忘れさられた国である」
 この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。
 私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
 それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。
 私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
 反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その半面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
 私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
 私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。
 しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
 そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
                   2003・6・15

2008年8月28日 毎日新聞 朝刊


アジアの信頼

2008年08月27日 00時03分09秒 | Weblog
昼すぎに飛び込んできた、アフガニスタンでの日本人NGO職員拉致事件。
「伊藤さん、解放!」
夜に入り、いったん“朗報”が入るも、その1時間後に「先ほどは誤報だった」との情報。ほかにも情報が錯綜し、一転二転・・・
時間が経つのは早い。あ、日付が変わった。

人質となった男性の所属は、パキスタンやアフガンでの医療支援や井戸堀りなどで長い支援実績がある「ペシャワール会」。現地住民からも信頼の厚い団体だ。
現地代表で医師の中村哲さんは、政府が一時検討したアフガンへの自衛隊派遣について難色を示していた。「日本への信頼が消えてしまう」と。
中村さんは03年に「アジアのノーベル賞」といわれる「マグサイサイ賞」に選ばれた人でもある。

誘拐は犯罪だ。ただ、アフガンの住民たちは日常的に“犯罪”に巻き込まれている。4日前には、米軍がアフガン西部ヘラートの住宅地を空から「誤爆」。アフガン内務省の発表では、子ども50人を含む70人以上の犠牲者が出たという。

日本は、アフガンでの治安維持、陸上活動には参加していない。
日本独自のアフガンとのかかわり方があっていい。
現地住民に届く地道なNGOによる支援は、日本への信頼をつなぐ貴重なかぎだ。
事件の早期解決と、貴重な支援がストップすることがないことを祈って。

知ろうとする人たち

2008年08月26日 02時05分26秒 | Weblog
「平和の祭典」の陰で行われていた愚行は、ロシアのグルジア侵攻だけではない。ほとんど報道が消えかかっているが、今も毎日死者が出続けているのがイラクだ。

米軍侵攻以降、イラクでの一般市民の犠牲者は数万人とも10万人以上ともいわれる。そんな愚かな殺戮の現実、そして戦地に送られる米兵の真の姿を伝えようと、一人の青年帰還兵が8月初旬から長期にわたり全国各地を講演に回っている。
大学に行くために兵士になった。しかし、現地で見たものは・・・。


夜回りは大嫌い、口ごたえは一人前・・・。できそこない&へなちょこ記者だった新人のころ、よく上司に言われたことがある。
「新聞社に評論家はいらない」
イラク南部のサマワを短期間ながら取材し、そして「撤収」してから4年半が経った。現実は再訪を許さない。
仕事柄、年数を経るごとに、言いわけばかりはうまくなる。それでも現場に少しでも近づく努力だけは忘れないようにしたい。


講演会の準備には、大阪で知り合った多くの人たちもかかわっている。
「真実を知ろうとする人たち」が全国の講演会を支えている。

  ×   ×

■アッシュ・ウールソン君 全国縦断「講演キャラバン」日程表
        ※市民団体のホームページから転載
                  
26(火) ◆午前11:00~ シマウマクラブ(約1時間)
              鈴木治子 053-437-2791
              浜松航空自衛隊基地「広報館」?
      ◆午後2:00~ 高校生 磐田市  生協磐田市国府台店2階
      ◆夜7:00~ 磐田市「9条」 於・磐田市豊田北公民館講堂
               市川 雄一 090-7679-0820
27(水) ◆全日休息

28(木) ◆午後1:00~4:00 大阪府河内長野市 於・千代田高校
                 堀田美重子 072-153-5281
      ◆夜6.30~ 大阪市  於・難波MD会館ホール 大阪保険医協会
           大阪実行委員会 梅田章二弁護士 090-3274-1667 
            事務局 大阪労連 藪田 080-3771-9090

29(金) ◆午後~ 名古屋市 ピースあいち 於・「平和と戦争の資料館」
            松本 052-602-4222 FAX 052-962-0138 
      ◆夜~ 愛知県一宮市 「市民の会」於・県立一宮勤労福祉会館小ホ          ール    柴田伸治 0586-76-6557 090-9261‐7479

30(土) ◆長野県「ピースウォーク」関係者合宿
       長野県下伊那郡大鹿村大河原池平 加藤上人の弟・じゅごん宅            080-5142-8133

31(日) ◆午後1:00~ 群馬県 安中市 於・お寺
            深沢昌格  安中市下秋間 027-381-0639
      ◆夜6:00~ 群馬県 前橋市  於・県社会福祉総合センター7F             大ホール
              瀧口典子 高崎市下滝町63-2 027-352-1585

9月1(月) ◆午後2:00~5:00 群馬県伊勢崎市 赤堀支所多目的ホール
             加藤彰男 伊勢崎市 赤堀今井町2-1089-10 0270-              20-2059

 2(火) ◆夜7.30~ 石川県 於・小松市西町 唱名寺            伊勢谷 功  片山津走 成願寺 0761-74-5648

 3(水) ◆午後6:00~ 加賀市作見町 学び舎 木村宅 
              佐藤公男 加賀市桑原町ト76-5 0761-74-6771

 4(木) ◆夜6:00~ 新潟県 加茂市 於・ 
         押見 隆 加茂市千刈3-1-16 0256-52-0099 090-3643-           6133
 5(金) ◆夜7~ 新潟県 三条市 於・東別院 (戦没者追弔法要に引き続       き)
         共催・真宗大谷派三条教区 / 三条市9条の会
        源 了恵 090-9440-3015 0256-33-2805
        加藤裕子 三条市一の門2-14-12  0256-32-0551 

 6(土) ◆午後1:00~ 東京・町田玉川学園
      ◆夜6:00~ 和光大学生と交流会
       築野君江 042-726-5813

 7(日) ◆午前10時~12時 神奈川県 川崎市中原市民館 第3会議室 
       主催 川崎市教育委員会 TEL 044-722-7171 FAX044-733-8011
             島田和代 044-599-0749 090-9802-5255
      ◆夜6:00~ 川崎市
              和久稲 044-233-4518 090-4201-9884

 8(月) ◆夜6:00~ 長野県松本市 於・松本中央公民館「Mウィング」視聴            覚室3A
            小島十兵衛  0263-33-9123 松本市蟻ヶ崎6-8-1               090-9231-9941
         
 9(火) ◆午後1:00~ 山梨県 北杜市「山姥の里」
        中山百合 山梨県北杜郡大泉町西井出8240-1127 0551-38-0205

 10(水)移動
      ◆午後~ 高校授業 入るかも?
      ◆夜6:00~ 福島県 喜多方市  於・喜多方プラザ
             五十嵐 節子 090-7668-3700

 11(木)移動
      ◆東京墨田区墨田 多門寺(宗平協)午後3時~
       岸田 3616-6002 森事務局長 03-3832-0842 070-5464-3740
 12(金)◆「ヤスミンが奏でる・・・アッシュが語る~平和へのつどいinな          ごや~」
        時間 18:30開場 19:00開演 場所: 愛知芸術文化        センター中リハーサル室
           前売り券1300円(当日1500円)高校生以下無料
           呼びかけ:ヤスミン&ヤスミンの会 
         お問い合わせ:中野 いづみ 052-834-0553            katharine.q@aurora.ocn.ne.jp
                (9条ピースウォーク愛知岐阜代表)

13(土) ◆午後1:00~4:30 三重県 亀山市
             亀山9条の会 高橋 090-7024-9166

14(日) ◆千葉県 ブラウンズ・フィールド「日々喜」

15(月) ◆前日に引き続き 「日々喜」

16(火) ◆千葉県 「成田9条の会」
日本山妙法寺 矢向 由季 0476-35-0247

17(水) ◆夜7~9  東京世田谷区 於・烏山区民センター 
                       イラク戦争を考える連続講座
主催・ひとしずくの会 世田谷区北烏山4-33-15-3
            石田 貴美恵 宅03-5313-1525 FAX

18 (木) 帰国   成田空港見送り

アフリカへ靴を

2008年08月24日 23時52分56秒 | Weblog
順序は逆転するが、北京五輪男子マラソンでは、ケニアのワンジル(21)が優勝!
ワンジルは15歳で日本に渡り、仙台育英高校で駅伝で活躍し、その後も日本に残って実業団で鍛えた選手だ。

  ×   ×

ふと15年前の春を思い出した。大学卒業直前に、1人でケニアに行った。
大学では4年間、陸上競技をやっていたので、「アフリカ選手の強さって何だろう」と素朴な疑問を抱えながら、何とな~く旅先にアフリカを選んだ。

機内で偶然、日本で活躍するケニア選手をスカウトする男性に出会った。数日後にはケニアの田舎で、選抜のためのクロスカントリーレースをするという。二つ返事で同行し、遊び感覚でレースに一緒に出ることにした。

首都ナイロビから数百キロ離れた山間部の村。そこでの衝撃は今も忘れられない。
そこは、数々の世界レベルの選手を輩出したキシ族という部族の村。
農業や牧畜以外産業もなく、生活は貧しい。ただ、唯一の栄達の手段が走ることだった。
多くの先輩ランナーを目標に、仕事もない若者たちがひたすら山間を走っている。

レース当日、多くの若者たちはボロボロのシャツを着て、女の子はスカート姿でスタートラインに立った。大半は靴が買えず、裸足だった。
ところが、とにかく速い!彼らの大半は幼少のころから標高の高い土地で、走り回り、家の仕事を手伝って足腰も鍛えられている。
みんなが走ることで、チャンスをつかんで世界で活躍して、金をかせごうと夢を見ている。だから挑む姿勢は真剣だ。
一応、まじめに?競技をやっていたはずの自分は10キロのレースでズルズルと後方に置いて行かれ、最後尾に近い位置まで脱落!
 何とも言えな~い情けなさとともに、アフリカの層の厚さを実感した。
高校駅伝や箱根駅伝で多くのアフリカ選手の活躍が話題になるが、あれはほんの氷山の一角だったのだ。

裸足で走っている少年や少女たちの才能は十分に発揮されているんだろうか。そんな衝動にかられ、ケニアから戻ると、大学の部員に呼び掛け、底がすり減って競技では使わなくなったシューズを集め、段ボールで現地に送った。
今、考えると思いつきだけの行動で、どれだけ役に立ったかわからない。
ただ、アフリカで多くの才能が眠り、人生のチャンスを失ったままではないかと考えると、今も何かできないだろうかと思う。

  ×   ×

そんな中、先日書いた英国の五輪選手マーラ・ヤマウチさんのブログを通じ、「Shoe 4 africa」(アフリカに靴を)という運動があるのを知った。使える靴を集めて現地に送り、アフリカのスポーツ復興につなげようという活動だ。

新聞記者ってうんちくが好きだ。ただ、うんちくではできないこと、うんちくを超えて身近にできることもあるはずだ。そんなことを考えるのは楽しい。アドレスは以下。

http://www.shoe4africa.org/

64歳に興奮!

2008年08月24日 23時10分49秒 | Weblog
五輪に刺激され、「週末は泳ごう!」と誓った?ものの、プールに行く時間がなくなり、夕方になって河川敷をジョギングに。
う~ん、この前の猛暑がウソのよう涼しい。
小雨で、秋の虫が合唱する中、6キロほど気持ちよく走れた。久々に満足。

北京五輪はついに最終日。何と閉会式で大きなサプライズが待っていた。
次回のロンドン五輪の紹介が始まり、やがて渋い重金属音が鳴り響く。
そして、英国が誇る元レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミーペイジが登場!
曲は「Whole lotta love」(胸いっぱいの愛を)
白髪を後ろでまとめた64歳は、ぐっと歯を食いしばり華麗なギターソロを弾く。その姿は「年齢なんて関係ないで~!」(なぜか関西弁)と無言で訴えているかのようだ。

五輪期間中、いろんな選手の活躍でたくさん興奮、感動をもらったけど、最後に「還暦越え」ギタリストの演出にじ~んとしびれた次第です。

以上、興味のない人には本当にどうでもいい話でした。若き日のペイジおじさんに興味を持った方は以下へ。

http://jp.youtube.com/watch?v=V_hxCJYbUXo

最後の授業

2008年08月21日 02時13分34秒 | Weblog
セミの鳴き声も落ち着き、日差しも少しだけ弱くなってきたこのごろ。
それでも夏のだるさはなかなか抜けず、何もやる気が起きない~。
最近、そんなけだるさを吹き飛ばす本に出会った。
ランディ・パウシュ著「最後の授業」(ランダムハウス講談社)。

米カーネギーメロン大学教授のパウシュ氏はすい臓がんで余命半年と診断される。
07年9月、勤務先の大学での「最後の授業」をする機会に恵まれ、「夢をかなえる大切さ」をテーマに教壇に立つ。
「元気のない僕を期待した人には申し訳ないな」
自ら腕立て伏せをして見せ、自分を奮い立たせて授業を開始。ユーモアがあふれ、力強い言葉がちりばめられた授業は、ネットを通じて大反響を呼んだ。
数々の業績を残したパウシュ氏は、自分の夢を実現することの素晴らしさとともに、「他人の夢を手助けして実現させる楽しさ」も強調する。ギリギリまで追いつめられて手放さない視線の優しさは、いつまでも余韻を引きずる。
今年7月25日、パウシュ氏は永眠した。享年47歳。

大学で教壇に立つ何人かの友人がいる。1回ごとの講義を単なる知識を伝える「作業」ととらえず、念入りな準備の上で「全力投球」で学生の人生と正面から向き合っている人もいる。社会の格差が広がっている今だからこそ、考えること、疑うことの大切さを伝えたいらしい。

直接、面と向き合い、何かを伝えられるって素晴らしい。莫大な読者を相手にする新聞というメディアの世界にいて、読む人の顔を浮かべ、どれだけの発信ができているだろうか。

  ×   ×

いろんな理由でへこんでいる方、夏バテぎみで「喝」が欲しい方に本当におすすめです~。本を読んだ後、映像を見るとさらに「ぐっ」ときます。

http://jp.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

続々アラフォー

2008年08月20日 02時53分34秒 | Weblog
 北京五輪で活躍したアラフォーの米国人水泳選手、ダラ・トーレスの話を書いた流れで、同年齢の尊敬するアラフォー女性を紹介したい。大阪在勤時代に知り合ったフリージャーナリストで「アジアプレス」所属の玉本英子さん(41)=大阪府在住=。イラク戦争から5年以上が過ぎマスメディアの報道は減るばかりだが、長い間イラク、特に北部のクルド人地区にこだわり続け、リスクを負いながら混迷が続くイラクの現実を伝え続けている女性だ。

 玉本さんは何よりも「現場」の息づかいを大切にする。これまでイラクに8回にわたり取材に入り、日本にいる時でも多くの現地の知人と連絡を取り合い、常にイラクの現状を気にかけている。アフガニスタンやトルコなど中東を中心に取材経験が豊富だが、イデオロギーに偏ることなく自分の足と頭で考える人だ。普段はマシンガントークが得意?で、男気のようないさぎよさと陽気さを持った人でもある。
 
 新聞社に長くいると、いろ~んな記者がいることに気づく。ひとつの判断基準として「現場へのこだわり」がある。新聞を毎日制作する中で、現場にこだわりすぎては紙面ができないし、いろんな伝聞に頼ったり、政府や警察などいろんな権威にすがって原稿を書かなければならないという現実がある。ただ、自分たちが伝えているものは現実のほんの一部や側面であり、何かフィルターを通したものであるという謙虚な気持ちを持つことは大切だと思う。そんな冷静な認識からまた新しいものが見えてくることもある。
 権威にすがりながら記事を書いているうちに、何でも自分が知っているかのような評論家然となってしまう記者も中にはいる。「自分もそうではないか」と自問自答することもよくある。

 イラク報道が減り続ける中、玉本さんは今春、現実を切りとるために治安の悪いイラク北部のモスルに入った。フリージャーナリストと新聞記者との立場や役割は違う。それでも、玉本さんは現場にそそぐ目線の大切さ、独善に陥る危険性をやんわり教えてくれる。

 玉本さんの取材活動をつづった「玉本英子の現場手帳」は以下のアドレスへ。テレビや雑誌のほか、各地の講演会でもコツコツと発信している。

 http://www.asiapress.org/apn/archives/0001/1053/


  ×   ×

<関連記事>

■アングル「現実の“かけら”を提示」

 ◇アジアプレス・ビデオジャーナリスト、玉本英子さん(41)

 今のイラクは、誰が正義で誰が悪なのか分かりにくい。だが、人を殺したり首を切ったりしているのが、私たちと同じ普通の人間であることを知ってほしい。
 米同時多発テロ(01年9月)以降に8回、イラクで取材した。今年4月には武装勢力が流入したモスルへ入ったが、市民が公園でピクニックを楽しんでいた04年当時の様子は一変していた。ある女子中学校の学級では、半数以上の生徒が親友や家族を米軍やイラク軍の兵士などに殺されたと答えた。日本が支持した「自由のための戦争」が人々を苦しめている。
 イラク軍の夜間パトロールに同行した。「テロリストをたくさん殺した」と語る兵士は、携帯電話の娘の写真にキスをした。4年前、バグダッドの武装勢力は布で顔を隠し「自衛隊も米軍同様に攻撃する」と気勢を上げたが、彼らも普通のおっちゃんで、下着のシャツとステテコ姿でビデオに映っている。普通でないのは、無抵抗の家族を米軍に殺されるような体験を持っていることだ。
 政府側に拘束された武装グループの副隊長に話を聞いた。日雇い労働で家族4人を養う生活は苦しかった。爆弾を1発仕掛けて100ドルという高報酬にひかれたという。彼の仲間は05年5月に自爆攻撃を行った。狙いは警察官の採用面接会場。犠牲になった50人の多くは職を求める貧しい家庭の青年たちだった。
 私は現実の“かけら”として映像を持ち帰り、提示し続けている。戦争は何をもたらすのか、断片をつなぎ合わせ、考えてもらいたい。【聞き手・花岡洋二】


続アラフォー

2008年08月18日 03時28分40秒 | Weblog
 続く北京五輪での「アラフォー」女性の活躍。米国の41歳の水泳代表、ダラ・トーレス選手が50㍍自由型とメドレーリレーで銀メダルを獲得した。米国競泳史上最年長。4泳法の中でもっとも体力差が反映され、スピードが要求される50㍍自由型。そんな「若さで勝負」のような種目に無謀にも挑み、結果を出した41歳は偉大としかいいようがない。

 2度の引退を経た5度目の五輪。離婚、出産も経験し、プールに戻り、10代の選手と言いわけなしの勝負に挑む。7月の五輪選考会の前の記者会見。彼女は「初めて挑戦する16歳の気分だ」と話し、「年齢はただの数字よ」と言いきった。性別を超え、文句なしに格好いい。


 長時間労働に酒、夜更かし・・・。いまだに、ひたすら「不健康が勲章!」という古臭~い体質が残っているのが新聞業界だ。他業界に比べて、仕事へのプライドや情熱が比較的高い人間が集まっている気がする一方、プライドという絶対的な言葉の陰でたくさんの「甘え」が充満しているのも確か。もっと踏み込んで言えば、そんな体質が、極度の横並び、冤罪や誤報を生む独善的な競争などなどを放置し、自己批判を許さないぬる~いい業界を支えている要因のひとつでもある。
 果たして、ビールを飲みながらこんな時間にブログを書いている自分が言えるのか(笑)。五輪による衝動といわれてもいい。3日坊主でもいい。週末は久々にプールに行こう!

  ×   ×

<関連記事>

■41歳トーレス、二つの銀に涙〔五輪・競泳〕

 米国のママさんスイマー、41歳のダラ・トーレスが最終日に50メートル自由形とメドレーリレーで2つの銀メダルを獲得。今大会の銀3個で五輪通算獲得メダル数を12とし、ジェニー・トンプソンと米国競泳女子の個人最多に並んだ。
 50メートル自由形はわずか100分の1秒差で自身個人種目初となる金メダルはならず。しかし、「会心の泳ぎだった。きのうの夜、つめを切るべきでなかったわ」とジョークを交えて振り返る余裕も。1984年ロサンゼルス大会に初出場して以来、2度の引退を挟んで24年間で5度目の五輪。2度の表彰式では感極まって涙ぐんだ。 北京時事 2008/08/17-15:39


アラフォーの強さ

2008年08月17日 18時27分00秒 | Weblog
 注目の北京五輪女子マラソンは、野口みずきが欠場した上、日本人選手の惨敗で終わった。結果は残念だけど、「暑い夏」を言いわけに毎日ビールばかり飲んでるおっさんに、あれこれ言う資格はないんだろう(笑)。勝手な分析ややじは簡単だけど、日本の女子長距離陣の練習量、層の厚さは世界トップレベル。多大な努力にまずは「おつかれさまでした」

 TBSの「アラウンド・フォーティ」なるテレビドラマが話題(だった?)らしい。一度も見たことがないけれど、今日のマラソンでも30歳代後半の「アラフォー」の女性たちのドラマが目立った。優勝したのは、予想外のコンスタンチナ・トメスク(ルーマニア)。同い年の38歳での偉業! 男女五輪マラソン通じて最年長の優勝で、脱帽するしかない。

 明暗が分かれたのは、英国の2選手だ。驚異的な世界記録を持ちながら、アテネ五輪で無念の棄権をしたポーラ・ラドクリフ(34)※もうすぐアラフォー?。アテネ以降は結婚、出産を経てNYマラソンで優勝するなど見事に復活しながら、北京でまたも失敗。何度も立ち止まり23位に沈んだ。嗚呼不運。

 一方、着実な走りで見事6位に入賞したのは、日本人の夫を持つマーラ・ヤマウチ(35)だった。オックスフォード大を卒業し外交官に。10年前、駐日英国大使館への赴任で、本格的なランニングはやめるが、日本人男性と結婚して英国に戻り、再び走り始めたという異色の経歴だ。現在は休職して日本でトレーニング。会社をやめた夫が競技をサポートしている。「外交官とマラソン」「日本と英国」というダイナミックな「複線」人生は本当に魅力的だし、競技者の妻と支える夫という関係も面白い。

◇マーラ・ヤマウチさんのブログ
http://marayamauchi.blogzine.jp/japanese/3_schedule/index.html


未復員

2008年08月15日 17時11分55秒 | Weblog
 63回目の終戦記念日。戦没者追悼式に参列した約4600人の遺族の7割は、戦死者の子や孫で、父母の参加はゼロという。長い年月が経過。本当の悲惨さを知る戦争体験者への取材は、あと何年できるだろうか。焦りを感じる。

 3年前の夏、平和関係の取材に力を入れた。戦地で心を病んで入院、帰国し、終戦を迎えたまま、社会に戻れない「未復員」兵士の存在を知った。彼らは、兵士としてはいわば「落伍者」のレッテルを張られた存在だが、異常な軍隊や戦場という状況下で一体だれが「正常」でだれが「異常」なのか。
 60年以上経った今も、心の傷が癒えず、多くは病床で眠っている。家族に見放された人も少なくない。戦場で何があったのか、何を見たのか。そして今、一番何を伝えたいのだろうか。

  ×   ×

<関連記事>



■第二次大戦:精神障害負った元軍人ら84人、今も入院 通院は59人――厚労省調査

 ◇60年間ずっと
 第二次世界大戦中、戦地での過酷な経験や軍隊生活によって精神障害を負った元軍人・軍属が、全国各地の病院に84人(今年3月末現在)入院していることが、厚生労働省の調査で分かった。戦後60年たった現在も心に深い傷を負ったまま、多くは家族との交流もない状態という。研究者らは「あまり知られていない戦争の悲劇の一つだ。ぜひ記録にとどめるべきだ」と訴え、今後、実態調査に乗り出すことも検討している。【鵜塚健】

 同省援護企画課などによると、福岡県の8人を最高に、千葉・宮崎両県各6人、鹿児島県5人、東京都3人、京都府1人などで、入院先は36都道府県の病院に及ぶ。大半が60年以上にわたって入院生活を続けており、多くが80歳以上。近年は、毎年10人以上が死亡しているという。これ以外に、地域の病院に通院する元軍人らも59人いる。
 戦争と障害との関連を研究している清水寛・埼玉大名誉教授によると、精神に障害を負った軍人らの大半は戦時中、国府台陸軍病院(現国立精神・神経センター国府台病院、千葉県市川市)に送られ、1937~45年度に1万人以上に達した。
 戦後、多くは出身地に近い病院などに転院したが、大半は症状が改善せず入院を継続。こうした元軍人らに対し、国は戦傷病者特別援護法に基づき、入院や治療の費用を支給してきた。しかし社会の偏見も強く、家族から見放されたまま病院で亡くなった人も多数いるとみられる。
 清水名誉教授は、治療にかかわった精神科医や看護師らと連携し、このほど、東京都内の病院で治療や看護経験に関する報告集会を開いた。「戦争が人生を大きく変えてしまう現実を私たちはきちんと受け止めるべきだ。今後も報告会を続けたい」と話している。

 毎日新聞 2005年12月4日 大阪朝刊 1面


イラクは今

2008年08月13日 13時09分36秒 | Weblog
北島康介選手の世界新2連覇が弾みとなり、北京五輪が盛り上がりを見せてきた。五輪取材は、記者にとっても4年に1度であり羨望の的だ。競技自体を専門的に取材する運動部だけでなく、人間模様や国際情勢を絡めて記事化する社会部や外信部の記者も加わる。

 一方、本社でテレビ観戦しながら(悲しい!)、日本人選手の家族や関係者の取材をする「国内取材班」もいる。私は4年前のアテネ五輪で、国内取材を担当。メダル獲得者の周辺取材が主な仕事だが、あえて大躍進をとげて4位になったイラクのサッカーに着目。在日イラク人の声や、陸上自衛隊が駐留したイラク南部サマワでの取材経験も加えて記事化した。

 あれから4年。報道は少なくなったが、イラクの混迷は依然続く。今回の五輪にはイラクから陸上とボートの4人しか選手が出場していない。裸足でボールを追っていた少年は、まだ希望を失っていないだろうか。

  ×   ×

<関連記事>

■アテネ五輪:サッカー ベスト4イラク、若手奮起で躍進--お土産は希望

 ◇混乱と悲しみの祖国に届けたい
 アテネ五輪のサッカー男子3位決定戦で28日未明(日本時間)、イラクはイタリアに0―1で惜敗し、メダルを逃した。「平和の祭典」といわれる五輪期間中も、イラク各地では武力衝突が続いている。ベスト4入りしたサッカーチームの活躍は、混乱と悲しみに打ちひしがれるイラク国民や在日イラク人に、きっと未来へのメッセージを伝えたに違いない。「夢」と「希望」。そして「平和」――。

 イラクサッカーの五輪出場はソウル大会以来16年ぶり。ポルトガル、コスタリカを破り、リーグ1位で決勝トーナメントに進出し、豪州に勝って4強入り。準決勝で南米の強豪パラグアイに1―3で敗れ、3位決定戦に臨んだ。
 サッカーの活躍は、在日イラク人の間でも大きな関心を集めた。
 東京都八王子市の翻訳業、サリム・アッバース・モハメドさん(38)は「悲しいことが多い中で、国民にいいニュースを伝えようと、若い選手たちが特別に頑張っているのが伝わってきた」と話す。
 70~80年代に強かったイラクのサッカーは、湾岸戦争後の経済制裁やフセイン元大統領の長男、ウダイ・サッカー協会会長(当時)による身勝手なチーム管理で弱体化したという。しかし、今回のアテネ五輪は若手を多く起用して大躍進した。
 サリムさんは「今も戦闘状態が続き、練習も十分にできていないはず。ここまで戦っただけで大きな意味がある」と、その健闘をたたえた。

 五輪期間中も、米軍はイラク中部のナジャフやクーファを武力攻撃し、連日、多数の犠牲者が出た。イラクが準決勝進出を決めた試合後のインタビューで、選手の1人は「この勝利はナジャフ市民への贈り物だ。米軍の占領は終わりにしてほしい」と米軍を批判した。
 私は4月、陸上自衛隊宿営地のあるサマワの町を取材した。郊外の荒れ地では、裸足やサンダル履きの子どもたちが夢中でサッカーボールを追っていた。「イラクの代表になって、五輪に出たいんだ」。目を輝かせていた12歳の少年にも、きっと彼らのメッセージが届いたはずだ。【鵜塚健】

■写真説明 サッカー男子3位決定戦で、ボールを追って激しく競り合うイタリアとイラクの選手=AP
 毎日新聞 2004年08月28日 大阪夕刊

  ×   ×

■あなたの愛の手を・40年:(その2止) あの子も、わが宝

 ◇働いて、たくましき夢--サマワ
 米英軍との衝突が続くイラクには、学校にも行けず働く子どもたちが大勢いる。自衛隊が派遣されているイラク南部のサマワで出会った子どもたちも例外ではない。でも、将来の夢を語る時に笑顔がこぼれた。
 小さなカップに、慣れた手つきでチャイ(紅茶)を注ぐフセイン・ダクヒル君(13)。市中心部の商店街を行き来して、1杯50イラク・ディナール(約4円)で日に100杯ほど売り上げる。約20キロ離れた自宅から毎日通い、午前6時半から午後6時まで働き詰めだ。「仕事はきついけど働けるのは僕だけ。小学校は4年でやめた。将来は医者になりたいんだ」
 市南西部の住宅街の近くで、サッカーをしていたフセイン・アルサダ君(12)。父親は2年前に死亡し、母と兄妹の4人暮らし。4年生の時から小学校に行かず、午前中は商店街でアメやガムを売っているという。母子家庭への福祉が手薄なイラクでは、学校に行かず働くケースが多い。フセイン君は「サッカーの代表チームに入りたい」と笑った。【鵜塚健】
 毎日新聞 2004年5月5日 大阪朝刊


五輪の陰で

2008年08月11日 13時39分54秒 | Weblog
「五輪開幕日」に始まったグルジアとロシアの軍事衝突。華やかな五輪の陰で、毎日犠牲者が出続けるのは悲劇だ。舞台となったのは、分離独立を求める人口わずか7万人の南オセチア自治州。背景には欧米対ロシアのエネルギー問題を巡る対立があるようだ。そんな利害とは離れ、表彰台にはドラマがある。「戦争を起こすのも止めるのも・・・」。

  ×   ×

<関連記事>

■五輪射撃:銀ロシア、銅グルジア…女子選手が友情の表彰台

 10日の北京五輪・射撃女子エアピストルで、ロシアのナタリア・パデリナ選手(32)が銀メダル、グルジアのニーノ・サルクワゼ選手(39)が銅メダルに輝いた。戦闘が激化している国同士だが、両選手は表彰式の後、互いに歩み寄って抱き合った。

 サルクワゼ選手はソ連代表として88年のソウル五輪に出場。2種目で金、銀メダル各1個を手にしている名手。「前夜は国のことを考えて眠れなかった。精神的に影響を受けた」と打ち明けたが、銅メダルをかざすと「小さな勝利だが、こういう時だから母国にとって価値がある」と話した。
 国際大会でもよく一緒になる2人は、仲のいい友人同士。記者会見の間も笑顔を交わし合い「何事もわたしたちの友情は壊せない」「2人は政治とスポーツを混同したことはない」と口々に言った。
 「戦争を起こすのも止めるのも政治家。ちゃんと話し合ってほしい」とサルクワゼ選手。記者の1人から「彼らはあなたたちに学ぶべきだ」と声がかかると「それができていれば最初から戦争は起きない」と答えた。(共同)

毎日新聞 2008年8月10日 20時05分


  ×   ×

「政治とスポーツは別」 7年前には大阪でこんなドラマも。


■世界卓球大阪大会 旧ユーゴ紛争で引き裂かれた名コンビ 国境のネット超えた友情

 1991年の世界卓球選手権千葉大会の男子団体で準優勝した旧ユーゴスラビアチーム。その原動力となり、ソウル五輪ダブルスの銀メダリストにもなった2人の選手が、大阪市内で開催中の同選手権大阪大会で、ユーゴとクロアチアの別々のチームで参加した。かつての名コンビは千葉大会後の旧ユーゴ紛争で引き裂かれ、練習の場の確保にも苦労を重ねたが、世界の舞台に再びそろって立った。「政治とスポーツは別さ。今でも友達だからね」。試合会場で会った2人は抱き合った。 

 ユーゴスラビアのイリヤ・ルプレスク選手(33)とクロアチアのゾラン・プリモラッツ選手(31)。2人の戦績は輝かしい。87年インド・ニューデリーの世界選手権でダブルス準優勝、団体3位。88年のソウル五輪でもダブルスで銀メダルを獲得するなど、欧州を代表する旧ユーゴの強豪コンビとして鳴らした。
 しかし、千葉大会直後の91年6月、スロベニア独立戦争から端を発した約4年半にもおよぶ旧ユーゴ紛争に突入。99年にはルプレスク選手の自宅に近いベオグラードがNATO(北大西洋条約機構)軍の空爆に見舞われるなど、2人は歴史に翻弄(ほんろう)された。
 卓球に打ち込む環境を奪われ、2年前にはユーゴは世界卓球選手権の開催地を返上。ルプレスク選手は米国に渡り、プロ選手として生きる道を選んだ。プリモラッツ選手も練習の場を求めて、欧州を転々としたが、今では世界ランキング7位の実力だ。
 会場の大阪市中央体育館で会ったプリモラッツ選手とルプレスク選手は顔を笑みでくしゃくしゃにした。ユーゴもクロアチアも団体戦ではメダルに届かなかったが、大会は個人戦とダブルス戦に入っている。ルプレスク選手は「同じチームで戦うのは無理だけれど、いつも(プリモラッツ選手は)ここにいるから」と胸に手を当てた。 【粟飯原浩、高尾具成】

毎日新聞 2001年05月02日 大阪朝刊




おいしいコーヒーの苦み

2008年08月11日 01時17分28秒 | Weblog
映画「おいしいコーヒーの真実」を見た。トールサイズのコーヒー1杯330円のうち、エチオピアの農家が手にするのはわずか3~9円程度という。映画の前に飲んだ「ヴェローチェ」のアメリカンは170円だったが、農家が得る賃金収入はさらに少ないのだろう。普通に暮らしていては気づかない経済のグローバル化による搾取。昨年見た「ダーウィンの悪夢」に続いて、身近な自分の食生活、消費行動を考えさせられる。
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/

今年5月、横浜であった「第4回アフリカ開発会議(TICAD4)」を取材した。テーマは、日本の開発支援のあり方だが、アフリカ側の本音は「いつまでアフリカを援助の対象にさせておくのか」だった気がする。
今もセーシェルの大統領が怒りを込めて発した言葉が耳に残る。
「我々の国が捕獲し、安く出荷したマグロをEU(欧州連合)は高い価格で市場で売り、莫大な利益を上げている。自由貿易の恵みはどこにあるのか」
ほかにも、貿易の不公正を訴えたり、アフリカ産品に付加価値をつけて先進国に対抗する必要性を強調するアフリカ首脳が少なからずいた。

「我々が求めているのは援助ではなく、公正な貿易による取引だ」
映画の終盤で、WTOの会議に出席したアフリカの代表が怒りをぶちまけた。先進国は、自国の農業保護、企業利益確保に血道を上げるが、途上国重視の貿易への転換をはかる気は毛頭ない。
アフリカの輸出が1%伸びれば、援助総額の5倍に相当する金が入るという。
先進国の開発援助は、途上国への「贖罪」の材料にすら見えてくる。




難民キャンプから北京へ

2008年08月09日 02時21分21秒 | Weblog
昨夜、北京五輪が開幕。壮大で鮮やかな開会式に興奮! 商業主義やドーピングなど問題は山積みだが、人間の可能性が詰まった五輪はやっぱり魅力的だ。

00年のシドニー、04年のアテネの両五輪では、高校の陸上部の後輩が110㍍ハードルの選手で出場。高校時代は東京都大会の決勝にも進めなかった男が、世界最高峰のトラックに。会社を休んで応援に行ったシドニーの観客席では心が揺さぶられた。

さて、今回の開会式で米国の旗手を務めたのがスーダン難民の陸上選手だ。紛争下のスーダンからケニアに抜け出し、難民の子どもを救うプログラムで米国へ。陸上の才能を開花させ、見事米国代表に。大きな格差、歪んだ覇権主義。米国は多くの問題を抱えるが、人間の可能性や夢を開花させる国でもある。北京五輪では、そんな多くのドラマが見られたら。

  ×   ×
 
<関連記事>

■北京五輪:米国旗手にスーダン難民のロモング選出--あす開会式

 ◇6歳で武装組織にさらわれ監禁…脱出

【北京・高橋秀明】8日の北京五輪開会式で、米国選手団の旗手にスーダン難民のロペス・ロモング(23)が選ばれた。6歳のころ、武装組織にさらわれて家族から引き離された末、監禁場所から脱出して米国に渡り、この夏、陸上男子千五百メートルで米国五輪代表の座に輝いたロモングは「開会式は生涯最高の瞬間になると思う」と感慨に浸っている。
 内戦中のスーダンで武装組織にさらわれたロモングは、少年兵としての養成などを目的とする収容所に監禁された。ある日、仲間とともに意を決して脱出し、3日間さまよった末にケニアの難民キャンプにたどりついた。以後10年間をそこで過ごしたある日、ロモングは00年シドニー五輪の話を聞き、街頭テレビ見たさに8キロの道のりを突っ走った。
 白黒画面には、男子四百メートル金メダルのマイケル・ジョンソンら米国陸上界のスターの姿が映し出され、星条旗が揺れ、国歌が流れた。この時の強烈な印象が、ロモングの人生を変えた。1年後、「ロスト・ボーイ」と呼ばれる内戦孤児支援プログラムで米国に渡り、ニューヨーク州の家庭に引き取られた。ここで陸上の才能が開花し、昨年7月には米国市民権を取得。家族とも再会を果たし、今年7月に米五輪代表という「夢」を実現した。
 ロモングは「米国チームが旗手に選んでくれるなんて信じられない。星条旗は私という人間を象徴するものであり、私の人生のすべてなんだ」と語った。

毎日新聞 2008年8月7日 東京夕刊