むすぶ つなぐ

「悪の枢軸」とされる国から思いつくまま……。

いいわけ

2010年11月26日 03時58分35秒 | Weblog


イランでは突然、政府が宣言して休日が増えることがある。

水曜日もそう。
理由は、大気汚染がひどいため。
政府機関や会社、学校が急きょ休みになり、木、金を合わせて3連休に。

休みが増えると、国民はだれもが嫌な気はしない。
政府の狙いはきっと、不満をためている人々の「ガス抜き」のためだろう。
休みを少し増やすだけで、デモや革命が防げればお安い御用だ。
休日の理由はおそらく「いいわけ」にすぎないのだ。




夏に帰国した時に苦労してギターを持ち込んだものの、音叉もチューナーもない。
昼間、近くの楽器屋を訪ね、いいチューナーを見つけた。
その後、店の兄ちゃんと話しこんだ。

「何か楽器やってるの?」
「ピアノ弾けるよ。自己流だけど」

頼んで弾いてもらうと、ひげづらの兄ちゃんは、しなやかな指さばきで幻想的なメロディーを奏でてくれた。
最近カチカチだった自分の心に水が流れて行った感じ。
潤いをもらった。



驚いた。かなりの腕。
音楽大学も行ってないし、知り合いの先生から少し教わりあとは独学。
規制もたくさんあり、決していい環境とは言えないイランで、好きなことを極めるのは大変だ。
「いいわけ」しない人間はどこにでもいる。




夜は、怪しい日本語を話す若者と少しだけ外をぶらぶら。
ちょっと調子がいい感じで、最初は警戒したものの、完全な誤解だった。
16歳で国を出て、英国と日本で苦労して現場で働き、イランへ送還。
国に完全に愛想をつかしながらも、ひたすら金をため、将来に備えている。
日本をとことん好きになり、今も文例を紙に書きだしたり、携帯に打ち込んだり、コツコツと勉強を続けていた。
目の輝きを数値で測れたら、きっとメーターが振り切れるかもしれない。
「いいわけ」なしに、未来を信じて頑張る25歳は、まぶしかった。




しばし、「開店休業」状態だった。
イラン生活が1年を過ぎたが、公私とも思った通りには行かない。
そんな現実をつきつけられ、ふといろんなことから逃げたい気分になった。
けれど、やっぱり気付かされた。
どんな状況でも「いいわけ」を探すことからは何も始まらないと……。


渋滞の激しいテヘランの空は、確かに見通しが悪い。
そんな中でも前を向いて……。

書き込みに感謝!
ぼちぼち復活します。

誇り

2010年11月12日 05時10分37秒 | Weblog
イラン人はとにかく誇りが高い。

世界中ではみごにされるようになり、半分いじけながら、やっぱりこれだけは負けないというものにこだわる。



これもひとつの例。
サフラン、バラ水、ピスタチオ……。
イランの「一番」を詰め込んだデザートだ。


なぜか記事のリンクが張れない……?
「バスタニ」「イラン」で検索してみてください。


かくご

2010年11月06日 04時22分37秒 | Weblog
互いに入国ビザが取りにくくなり、どんどん距離が遠のく日本とイラン。
けれど、20年前には日本行きのビザ獲得は容易で、数万人のイラン人が日本に行った。


そこで知り合ったイラン人男性と結婚し、イランに住む日本人女性は200人以上いる。
そんな日本人の奥さんたちは、自分の将来、子供の教育、いろんな悩みを抱えながらも、イランで暮らす「かくご」を持って、元気に生きている。
みんな苦労しながらペルシア語を完全に習得し、どっぷりとイラン人社会にうまく溶け込んでいる。


漢字で書く「覚悟」ほど固いものではないけれど、どこかいさぎよい感じ。
短期間で帰ることが前提の日本人ビジネスマンコミュニティにはない、前向きなエネルギーだ。

「慣れてしまえば楽ですよ。こんな温かい社会はない」
既に永住を決めている日本人女性にそう言われた。




先日、日ペルシア語を自由に操る尊敬する4歳児、ラナちゃんの親戚宅におじゃまし、夕食をごちそうに。
20人近くの親戚一同から、ペルシア語のシャワーを浴び、歓迎してもらった。

人をもてなすことを最上の喜びとするイラン。
前回の書き込みには、イラン人の勝手さばかり強調したけれど、自分勝手=孤独、冷淡では決してない。
わがままだけど、めちゃくちゃ人とつながろうとする。

冷たい秋風が染みる中、そんな温かさが大きなエネルギーになる。
自分に足りないのは、柔らかい「かくご」だと思った。