わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

おかゆの牛 ベトナム便り 67

2006年05月24日 | 日本語教師
こちらv-603.
日本語を教え始めて半年がたち、少しは慣れてきたはずなのに、教室に入る前は非常に緊張します。はたして、一時間半の授業をまともに教えられるのかどうか不安になります。
この仕事が好きだとか、やりがいを感じるとか、そういうことが書かれた日本語教師のブログやHPを見ることがありますが、それを感じたことのない私は、つくづくだめな教師だと思ってしまいます。
よく、現地の学生に食事に招待されたりどこかへ案内されたりしたとき、この仕事をやってよかったと思う、などと聞くことがありますが、それは仕事の成果とはちがいます。
日曜日(5/21)、ベトナムの古典楽器を聞きながら食事をしませんか、と1人の学生が夕食を誘ってくれました。以前私が、古典音楽を聞きたいと言っていたのを彼は覚えていてくれたのです。一弦琴を中心にした古典楽器3つの弦楽器による演奏を聴きながら、ベトナム料理をごちそうになりました。この楽器の名前を聞いてくればよかったのですが、うかつにも聞き忘れました。(あとで調べます)
今日(5/22)はあるクラスの中間試験(アチーブメントテスト)が無事すんで、授業が一日休みになるのでみんなでヤギ鍋を食べに行くことになり、行って来ました。
男性が多いクラスなので元気にもりあがって、あっけらかんとした楽しい夜でした。
学生と言っても、社会人がほとんどですから、どこにどんな店があるのか、庶民食堂から高級レストランまでよく知っています。
こういうとき、私もお金を出したいといっても、学生達は決してOKしません。
割り勘が原則なのですが、見ていると、経済的に余裕のある人が、だいたい全部払っています。
大学生などは、まず払いません。当然のように、飲んで、食べて、カラオケで歌って、じゃまたと言って帰っていきます。
年齢からいったら、私がお金を出して当然なのですが、それができないのがとてもつらくなります。
でも、いまのところ、成り行きにまかせています。
それでも、日曜日にご馳走になった時の支払いは400,000ドンでしたから、ちょっと心配してしまって、だいじょうぶですか?と聞いてしまいました。40万ドンといえば、レストランのウエイトレスの給料の半月分にもなります。

さて、先日こんな発話がありました。
~のとおりに~します/しました。 という文型を教えていたときのことです。

このケーキ~さんが作ったんですか。
ええ、友達に教えてもらったとおりにつくったんです。
とても、おいしいですねえ。
そうですか、よかった。

という会話を自由に発話させていたとき、
Hさんがこう言いました。

このおかゆの牛、Nさんが作ったんですか。

このクラスは日本語を始めてちょうど一年経ったクラスです。
『おかゆの牛』
これは、修飾語と被修飾語の倒置が起きているのが問題なのですが、ベトナム語では後ろに修飾語を置くので、こういうまちがいが起きてしまいます。
この修飾語の位置のついては、実は日本語を教え始めてすぐの2回目ぐらい(つまり1年前)で教えているのです。
これは、わたしの本です。
これは、日本の車です。
この基本的なことが、むずかしい表現を次々に覚えだしてころ、忘れていってしまいます。実はこの現象が、Hさんだけでなく、私とメールで勉強しているSさんやQさん(Hさんと同じクラス)にも起きているのです。
そこで、このクラスは急きょ日本語の第一歩を復習することになりました。

ところで、『おかゆの牛』・・・ なんだか、わかりますか???

これは、『牛肉のおかゆ』です。
日本でおかゆといえば、米をたっぷりの水で炊いて、中には何の具も入れないか、入れてもわずかな野菜程度と私は思っていましたが、ベトナムのおかゆは雑炊そのもので、肉もたっぷり入れるようです。
このおかゆは病気の後でも出されます。かぜをひいた後でも、お腹をこわした後でも、とにかくこの栄養満点、でも消化の悪そうな『おかゆの牛』を食べるのです。
いいえ、事情はちょっと違うようです。
この『おかゆの牛』をちゃんと食べられるようになったとき、その時が病気が治った時と考えた方がよさそうです。
それまでは、いくら栄養満点でも、からだが受け付けませんから・・・。
そう考えると、日本のおかゆは、おもゆから始まって、病人にとっては手厚すぎるほど手厚くできているように思えます。


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