わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

浮き草 ベトナム便り 90

2006年07月14日 | 日本語教師
こちらv-603.
日本語教師が、決して充実した毎日を送っているわけではない、という話をします。
この12日で、ベトナムに来て8ヶ月になりました。当初は半年持てばいいと思っていましたし、万が一 8ヶ月続けば、その時点で帰国しても、まあ一応の責任が果たされたとみなされるだろうと考えていました。(この辺は、過去の記事をご覧になってください)
8ヶ月。
よくここまで来たものだと、感心しています。
最近になって、ようやく、一週間のたつのが早く感じられるようになりました。つまり、一定の流れができてきたということでしょうか。あとは、工夫を加えて日本語の学習の興味を増させる流れを作っていくか、あるいはマンネリの流れにして淀みにしてしまうか、ということでしょう。
でも、任期の1年が見えるところまで来ていますから、可能な限り学生に何らかのインパクトを与えて、日本語が面白いと感じてもらえるような授業でこの与えられた期間を全うしたいと考えます。

ところが、授業というのは生ものですから、腐りかけてきたりするときがあります。
Aのクラスではスムースに行って盛り上がった教案が、Bのクラスでは何も理解されず面白さの意味もわからずしらけてしまうこともあります。
休みが多いクラスでは、授業をしながら今日休んだ学生のことを考えてしまうこともあります。

昨日は、授業中になんとも空しい感情におそわれました。
いま、自分は何をしているのだろう。こんな所で、こんなことをしていて、自分はどこへ向かって歩いているんだろう、と天井を仰いでしまいました。

サイゴン川だけでなく、メコンでもどの川でも、この辺りの川にはたくさんのホテイアオイが流れています。浮き草です。
海まで行って、絶えていくのでしょう。あるいはどこかの岸辺に引っかかって遊んでいる時もあるでしょう。
演歌の文句じゃないけれど、なんだ、結局おれも浮き草だ、と思いました。
私だけじゃなく動物はみんな。

だから、旧い大きな木にひかれもします。
大地に強く根を張った木に、畏れを抱きます。
あたりまえの、ありきたりの事実。



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1 コメント

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せっかく予約されたからには、…更においしくなっていきましょう。 ()
2006-07-14 23:18:22
◆ タイに関心を持って以来、動・植物を問わず、生き物たちがずいぶんと身近に感じられることの喜びのようなもの(裏を返せば現日本国の或る貧困)を時々感じてきました。「生きもんは育つ。育ちよるか わしは」という やや破調の句も作りました。

◆ ご近所の庭の草木も いつの間にか邪魔くさいほどに茂ってきたり、タイの路上でところかまわず、ごろーんごろーんと寝っ転がっている犬たちも、ちょっと見ないうちに ずいぶんと大人っぽくなっていたりします。

◆ 彼らは取り立ててどこへも「向かって行き」ませんけれども、すこしずつ、確実に、大きく育っていることだけは、疑いようのない事実ですよね。

◆ いつか日本の図書館か本屋ででも、谷川俊太郎の「かぼちゃ」という詩を立ち読みしてみてください、ずううっと以前から、僕のあこがれの境地なんです。「きのうからぼくはかぼちゃになったので、もう何も考えることはない。なにも考えなくても、僕はすこしずつ大きくなる。……」といった詩です。(ごめんなさい、今ちょっと原文が見あたらなくて……)



















せっかく予約されたのに
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