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空海展(奈良国立博物館)

2024-06-06 21:45:38 | 日記

空海展(奈良国立博物館)

 高野山にある曼荼羅は、長いこと線香の煙にいぶされて真っ茶色で、あれでは何がかいてあるのかさっぱりでありがたさは感じるが知識が増えない。そこで私は折角高野山の麓に住んでいるのに電車を乗り継いで遠路はるばる江戸時代に描かれたというまだ煙にいぶされていない曼荼羅を拝見に出かけた。

 やっと分かった。例えるに会社に入る新入社員に会社の組織図を示して、社長はここ部長はここ課長はここと示し、貴君はこの一番ヘリにあるここにいると説明する図が一枚。さらに、貴君はこの順番に仕事をして出世するのである、上りは社長とする出世双六がもう一枚である。各曼陀羅の仏たちは繊細優美に描かれている。もちろん位が高くなるほど大きくて立派になる。おそらく新しい信者に自分が所属する集団の様子を図で説明するためのものであろう。弁の立つ口のうまいお坊さんが棒で示しながら新しい信者に説明するためのものではないか。加持祈祷の煙でいぶしては説明に使えなくなるではないか。それから、ヘリに近いところにある仏さんは若くて何となく艶めかしいように描いてある。これならこの艶めかしいのとはやくお近づきになりたいと修行の意欲もわこうというものである。(ただし遺憾ながら上位の仏さまからは艶めかしさは消えていく)

 

 むかし空海の三教指帰の一部を読んで、その地球が燃え尽きるという終末観をとんでもない美文(たぶんこれを四六駢儷体というのであろう)で書いてあるのに感心したことがある。(ついでにこの人うつ病を発症していたんだとわたしは思っている。あんな思想に取りつかれたら人生楽しくないようになってしまう。)今回も御請来目録の文章が示されていたが、大上段に振りかぶった畳みかけるような美文で、反論しようという意欲を失わしめるような文章である。こんな文章を書く人には友人ができないのではないかと他人事ながら心配する。この人の文才はもし現代にお生まれになったら持て余すことになるだろう。

 なにより感心するのは、誤字脱字なく長い文章を美しい字で書き連ねることである。余程の気力体力を長時間にわたり維持し続ける人だったと見られる。長い長い文章を、はじめからおわりまで同じ気合の文字で書き続ける、もうそれだけでこの人ただものでない。

 密教は、インド北西部の商業に従事する富裕な民の間で広まったという。中に書いてあることは今一つ分からないが、曼荼羅にも仏像にも空海さんのお書きになったお経にも「富裕にお願いします」とお祈りをしてきた。



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