本の感想

本の感想など

奈良興福寺の迦楼羅像から読み解く国家運営

2024-03-04 12:52:13 | 日記

奈良興福寺の迦楼羅像から読み解く国家運営

 興福寺の仏像はいずれも美術品の意味合いが強くて、例えばお稲荷さんのようにここで心願成就のお祈りをやろうという気にならない。ここには、名前の後ろに羅のつく像がたくさん並んでいてその中で迦楼羅像は鳥を連想させるお顔立ちである。京都三十三間堂にも同じ名前の嘴があって横笛を吹くかわいらしい像があってこれも迦楼羅像と書いてある。

 たぶん当時の奈良は国際都市で、ヨーロッパアメリカアフリカは無いと思うが世界中のあちこちから人がやってきた。その人々の集団はそれぞれ、自分たちの先祖に関する神話を持っていたに違いない。そのシンボルになる動物が鳥であって音楽が得意な民族がいた。たぶんガルーダがもとの名前であるインドネシアからやってきた民族の象徴がこの迦楼羅像になったと考えられる。ガルーダは大きな鳥らしいが、迦楼羅になると小さくなって他の小さな羅のつく像と一緒に並んでいる。今はないけど当時は多分中心に大きな観音像が置かれていたに違いない。

 多民族国家だとそれぞれが利権争いして紛争が絶えない。そこで藤原不比等であったか誰かは分からないが藤原氏の氏寺の長は、各民族の象徴を観音像の周りに集めた配置にして見せることで、皆は観音さんの保護のもとに平和に暮らしていると目に見えるように示そうとした。さらに観音さんが一番偉いということを目に見える形に表そうとした。美術品はこのように政治に利用するとのお手本のような作戦である。宗教や美術を政治に利用するとはこのことかと思い当たるところがあった。また、政治権力の中心に美術品がたくさん集まるのはこれが原因だろう。(空海の創設した寺院の仏像配置にも同じような意味があるのかもしれない。)

 権力闘争では利用できるものは何でも利用しようとする。新聞でも映画でもテレビでもネットでも利用する。当時は、このように美術品を利用したのだろう。うまい手である。せっかくのうまい手にもかかわらず、平城京は決して平和ではなく陰謀だけでなくテロの嵐が渦巻く街であったらしい。これだけのことをしても効果はたいしてなかったということで、人の世の権力闘争の根深さに思いを馳せることになった。

 どうやらインドネシアは今経済発展が凄いようで、この迦楼羅像の周りにもインドネシアのお客さんが大勢見物されている。果たしてこのお客さんが、この像をガルーダと同じであるとご存じなのかどうかと尋ねるわけにもいかないまま、あれこれ考えているうちに上のような思いを持った。

 迦楼羅に限らず羅のつく像はみなかわいらしいので、諸外国も含めて中年の女性に人気である。1250年も経つと藤原の氏の長者の初期の思惑は、遺憾ながらもう何の効果もない。単にきれいで可愛いのである。