西部邁 澤村修治 浜崎洋介 『日本人とは、そも何者ぞ』
1 生きざまという言葉は気持ち悪い。死にざまが本来の言葉?
日本在住のロマノ・ヴルビッタさんという、自分はファシスタ党の党首であるという方が、こう言っている。
「平家没落について、あれだけ美しい物語を書けた日本人が、なぜ大東亜戦争の敗北について、美しい物語を書けないのか、しないのか。異様な精神の屈折なり腐敗なりが、このたび起こったのではないか」と。
「日本人は没落していくものの「あはれ」を、悲しみとは捉えなかった。昔は生きざまなんてほとんど言わなかった、死にざまです。没落の死にざまに見る人間性の本質について、非常に深く洞察する力があった」と。
死への恐怖感を持つ日本人の表れではないか。今の生しか関心がない。これも会社に買い慣らされた由縁か。
2 スマホで感情をなくして、すぐに忘れる日本人?
「いまや日本人は知識人を先頭にして、屁理屈で平板になっていき、ローラーにかけられたペラペラな存在になった。感情を無くして、みんなスマホを見て、世界の情勢を黙々と見て、すぐ忘れる。これが現状です」と。
テレビで、早口で、あたかも何事もわかったように、機関銃のように話す人を見かける。見ている方もそれが知的だと、思っているようだ。
真似をして、自己啓発本が売れる。
しかし、読んだ内容はあっという間に忘れる。こうして、一年が過ぎ、今年も早くおわったな、で終わる。この繰り返しで死に向かう。
3 言葉を音楽のように話してみては?
「音楽的に心地よいか、というのは、言葉が残されていくために重要です。
音楽的に変な言葉を喋っている国民がいる。一方、英語は、色々な言葉をミックスして成立している。なかなか使い勝手がいいし、音の調子もいい。そして、音楽的に英語を上回るのがフランス語です」と。
何気なく言葉を使うが、相手の言葉を聞いて、ああ、きれいなだ、と思う人とそうでない人がいる。
また、おおよそ、誰かを罵倒している人の言葉は聞き辛い。とても美しいとは思えない。
人間の表情は正直なもので、罵倒している人の顔は悪魔に見える。言葉と表情は比例している。
反対に言えば、表情が美しければ、言葉も美しくなるのではないか。
4 何もしないことができるか?
「道元は、目的と手段の関係から脱する必要がある、と思った。そこで、道元は、「今、ここ」に集中する必要を説く。
「今、ここ」に集中する最も効果的なものが、「座禅」と、掃除洗濯料理などの日常的な作務を見出すことになる。
只管打座はひたすら座禅するだけで、座っているだけではないか、と思われるが、何もしない、ということをするのである」と。
よく考えると、一日で何もしない、というのはできそうで、難しいのではないか。
電車の中で何もしない時は、スマホを見るか、本を読むか。何もしないというのは、世間ではマイナスの評価につながる。
常に何かそわそわしていないと、生きて行けない状況になった。
5 中世の人は一瞬の贅沢をして、あっさりと死ぬのが美徳と考えた?
「南北朝から戦国の世が始まる頃の人間は、死が間近にあった。己の人生の道行きには、生きるか死ぬかのドラマがあった。死の匂いが芬々としている。そういう状況の中で生まれたのが婆佐羅だった。
婆佐羅大名の佐々木道誉は、無茶苦茶の行動をする。宴会では、虎や豹の毛皮を敷き、勝負事をする。最後には豪華な珍しい物も、カネにしたって、「どうでもよい。僕はいらん」とばかり白拍子や猿楽師にやる。自身は手ぶらで帰る。派手ではあるが、暑苦しくない。突き抜けたイキなところがある。
派手な中にある「あっさり、すっきり」が格好よい。相手にもその意味がよく通じる。明日は戦場で死ぬかもしれない二人が、イキなエール交換をする。こういう態度が中世にはあった」と。
この文章を読んで、思ったことは、今、もし、日本がどこかの国と戦争をしていて、特攻隊で明日死ぬとしたら、若い兵士は戦場でスマホを片手に愛のエール交換を行うだろう。あっさり、死ねるか。部隊を逃亡するか、恨みつらみをスマホで述べて、死んでいくのではないか。
そして、格好良い死に方とは何か。すぐに死ぬことがわからないで、一瞬のうちに死ぬ突然死ではないかと、思った。
6 中世の人は死ぬことを当たり前と考えたのか。
「鴨長明は、養和の飢饉で、飢え死にした死体は処理されず、においが大変だったと、方丈記に書いてある。
その中に仁和寺の坊さんは、死体の額に字を書いて仏縁を結ばせた。数えると、4万だったとか、よくも数えられたものだ。鴨長明はそれを淡々と、感情を交えずに記録している。ある種の透徹したニヒリズムです」と。
死体を最初に見ると、びっくりするが、段々と慣れて来るのだろう。そのうちに、獣の死体を扱う様な感覚になるのではなかろうか。
かつての太平洋戦争中も、食べるものがなくなると、戦友の死体を食べた、という話をよく聞く。
7 日本人は天国と地獄の振り分けを信じなかったから、キリスト教は定着しなかったのではないか?
「フランシスコ・ザビエルたちが、現代で言えば、新品のスマートフォンを持ってきたみたいだった。これまでにない教えだと。現代人がスマホにみんな飛びついたように、日本人はすぐ飛びつくだろうと。でも、日本人にしてみれば、もうとっくにいろんな思考実験をやってきたので、似た話じゃないか、となり、蹴飛ばされた」と。
日本人はいろいろな物に関心を持つのは大昔からのようだ。
実験してよければ、取り入れるが、合わないと、捨てる。宗教もやるだけよってみようじゃないかと。
僕自身、そういう「日本人らしさ」は好ましいし、「あの世が、仏が、絶対が、超越が」って形而上を持ち出すヤツがいると、「嘘だろう」と言いたくなる。
「人間、わざわざ死んでもしようがない。死ぬまで生きていようぜ」と。
生きている限り自分の能力いっぱいで、競馬を見たり、木に登ったり、酒をくらったり、俳句を詠んだりして、楽しむというか、時間をやり過ごすというか、いろいろあるでじゃないか。日本人は無常だと言いながら、そうやって、生への執着を表現していった。
8 日本人は美意識で宗教を選ぶ?
坂口安吾の『イノチガケ』によると、殉教者が増えていくと、キリスト教の信仰者は増えていくという。なぜか、殉教者は「かっこいい」からです。死や滅びの美しさを放っていて、みんなを惹き付ける。
それはまずいので、徳川幕府は、「穴つるし」の拷問に変えた。穴に逆さつりにする。血流が下がってきて、顔が真っ赤になって膨れ上がって、醜く死んでいく。
そうやって醜さに追い詰めると、キリスト教に帰依する人が、どんどん少なくなったと。
「醜さを追い詰めると、キリスト教に帰依する人が少なくなった。日本人のキリスト教を受け入れるかどうかは、教義とは関係ない。美意識だった。自然に与えられた死や滅びの事実を、どう潔く引き受けるかといった点で、日本人の美意識は成り立っている」と。
殉教に憧れたのは、特攻隊も同じではないか。日本人は、どこかで人に見られている、と言う意識があると、正義のための死をあっけなくするのではないか。
9 小説とは?
「小説というのは、坪内逍遥が作った言葉ですが、どうして、小説か。
これは、小さな説ということ。
明治はまだ江戸時代を心の中で引きずる。男たるもの、江戸時代なら主君のために命を賭していたが、明治になると、「お国」のためになる。戦争もあるから、男のやることとなる。
しかし、文学者は、男にあるまじき、小説などを書いている。中身を読むと、女性に惚れたとか、振られたとかという話ばかり。男のやるべきことではないと。
だから、近代文学者は、世間の皆さん、小さな説に過ぎませんから許してください、男のくせに女々しい文学をやっています。でも小さな説だから勘弁してください。
小説を英語でいえばノーベルです。新しいという意味。イノベーションinnovationのnovですから。Novelすなわち、新しい説。
ところが、日本では、これを新説と訳さなかった」と。
だから、明治の内村鑑三などは、小説を嫌ったのかもしれにあ。
もし、新説と訳していたら、もっと、日本人は小説を読んでいただろう。なにせ、新しい物が好きな国民だから。
10 もし、現代、刀着用を許されたら?
「初対面の相手にものを言う時の、向こうの緊張感のなさが気になった。武士の時代だったらそうはいかない。武士は刀を持っている。初対面で、無礼の度が過ぎるとグサッとやられる。
だから、武士は絶えず他人との距離感を測って付き合った。刀が距離感を作り出した。モラルも作った。
モラルの語源は「モーレス」で、習慣、習俗の意。英語になってモラル、道徳になった。
刀がある時の習俗は良かった」と。
今、もし、刀を持ってよい風潮になれば、どうなるだろうか。
少し、気に障れば、すぐに、斬ってしまうだろうか。
反対に、言葉を慎重に選び、引き締まった社会になるだろうか。
最初は、死者も多数出るだろうが、そのうちに治まって来る来ると思う。そして、行動も言動も優雅になるのではないか。
反対に、目に見えないネットではもっと、苛酷な言動が増えるかもしれない。
明治四年の散髪令と明治九年の廃刀令で、武士の魂が傷ついた。
姿かたちの変化は大きい。精神性と関係しますから。
普段何気なくしている格好で、知らないうちに自分の精神が形作られている。
自分のあこがれの人の姿を真似ることは、その人に近づくことになるだろう。
11 変わった事を言う人は要注意?
「変化への警戒。自分を変えるのも、社会を変えるのもグラヂュアリズム gradualism、漸進的で行けと。
急進的なことは、たまにあってもいい。目の前にどう見てもひどい人がいたら、ラディカルに殴りかかるかもしれないが、そういうことは滅多にない。
自分勝手に、明日からこうなると、急激な変化を起こそうとする連中には警戒した方がいい」と。
急に変な事を書いたりする著者がいる。常識では考えられないような事を。
例えば、脳が10倍速くなるととか、これを食べれば、百寿者になれるとか。そういう本は本当に警戒した方がいい。
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