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野田の「福田村事件」 85年後の「再会」

2008年04月19日 | ◆災害時の防犯
野田の「福田村事件」 85年後の「再会」
2008年04月19日


吉田刑事の墓参りをする関係者ら=野田市の明浄寺

 関東大震災直後、香川県から薬の行商に来ていた男女15人のうち9人が福田村(現野田市)で惨殺された「福田村事件」。生き残った少年の一人が保護してもらった警察官の自宅に招かれもてなしを受けたという心温まるエピソードが、陰惨な事件の中に残る。今年に入りこの警察官の身元がわかり、双方の親族ら関係者が18日、野田市で対面した。2人はすでに故人となっているが、85年の時を経て、遺影となって「再会」を果たした。(小松重則)
 この少年は大前春義さん。事件当時13歳だった。94年に84歳で亡くなるが、生前、保護された時に世話になった「吉田刑事」にお礼が言いたいと話していたという。
 当時、九死に一生を得た大前さんは警察に保護され、「吉田」という刑事から「うちにも同じ年ぐらいの息子がいるから、家へ行かんか」と自宅に招かれ、2泊させてもらった。そのことが忘れられず、大前さんは、義理の娘廣子さんに「一言礼が言いたい」と話していたという。
 「福田村事件追悼慰霊碑保存会」(市川正廣代表)が03年から本格的に「吉田」さんを捜し始め、今年に入り、当時、松戸署野田分署の刑事だった吉田栄太郎さんと分かった。吉田さんは事件の2年後の25年、52歳で亡くなっていた。
 18日午前、吉田家の墓がある野田市野田の明浄寺で関係者が対面した。体調を崩している廣子さんの代わりに、弟の森川武利さんや大前家の知人らが、香川県三豊市から出席。吉田家からは栄太郎さんの孫の主税さん、龍二さんらが参加した。
 森川さんは「香川では00年に事件の調査会を立ち上げ、香川と千葉を結ぶ懸け橋となっている。おじと吉田刑事の再会を果たし、お礼をいうことができた」と話し、廣子さんからの手紙を吉田さんの親族に手渡した。
 吉田龍二さんは「不安定な世相の中で人の心を持った人がいた。それが私の祖父と知って、心の中に温かい灯がともったような気がした。お礼を言いたいと、ずっと思っていた春義さんの心も含め、こうした人たちの心を受け継いでいきたい」と話していた。
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 福田村事件 関東大震災の5日後の1923年9月6日午前10時ごろ、行商で同村を訪れた香川県三豊郡(現三豊市)出身の15人が、利根川河畔で福田村や隣の田中村(現柏市)の自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9人が殺害された事件。原因は未解明だが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などとデマが飛び交う中で朝鮮人に間違えられたという説がある一方、日本人と分かっても「よそ者」を排除する動きに巻き込まれたとの見方もある。香川県の「真相調査会」と、野田市の「福田村事件追悼慰霊碑保存会」が真相の解明を続けている。

asahicom野田の「福田村事件」 85年後の「再会」-マイタウン千葉

福田村事件-四国新聞社

第5回千葉人権展/無くそう差別・県民の広場

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