・・行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ・・

防災関連・物品・正しい情報など個人で追求している防災ブログです。備え は自分の為ではなく身近な弱者様用と考えましょう。

ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・2  宿泊所を選択 設営 管理 運営する

2024年02月14日 | ◆ボランティアセンターでの出来事
ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・2  宿泊所を選択 設営 管理 運営する。

川口町ボランティアセンターで活動したボランティアセンターの宿泊所についてです。ボランティア宿泊所は・

 ①魚野川・川原やボランティアセンター内(特養)内敷地に張ったテント 車内
 ②川口小学校給食室内・通称?「のぞみの館」
 ③小千谷市・ピンク色大型テント内小テント参考・同型テント
 ④川口町内・プレハブ

 と、移りました。<②川口小学校給食室内・「のぞみの館」>を町からお借りする際の苦労話など、たまたまその交渉にあたった方(大柄な当時ヒゲの赤い十字模様の白い服の方)に聞かせて頂く機会もありました。大変なご苦労があったとの事でした。

 また、私自身は<③小千谷市・ピンク色大型テント内テント>の場所を決定する前に当時の責任者様に同行し、候補地を見て意見を述べさせて頂く事が出来ました。
 候補の場所は 




という所だったのですが、私自身は

 ・保管した「ペットボトルの水」などが凍ってしまう。
 ・凍結する急な坂を送迎車、通う車などが毎日確実に通行出来るか怪しい。
 ・駅からの徒歩が困難。
 ・寒すぎる。

 と、現地で述べさせていただきました。宿泊地は<③小千谷市・ピンク色大型テント内テント>になったのですが、その様子はテントでも説明しています。

 また、あるコーディネーターHさん(A県社協)から小千谷の施設は何人くらい泊まれるか?どの位の時間で作れるのか?それによっては今後の大口ボランティア(S大学)受け入れ状況が決まり、返答する事も出来る。といわれたので自分がやった場合の見通しを述べさせて頂きました。

 


宿泊所設営ですが、川口町がその施設を借りる前に使用なさっていた、小千谷市ボランティアセンターの内部の機材、ゴミがそのまま残っており、その片付けから始まりました。

 小千谷市ボランティアセンターの機材とは、地面全面に敷き詰められたブルーシート、スタイロボード薄め、ゴミなどです。
 地面をブルーシートで全て覆っていたため、内部空間は結露が激しく天井から滴った水があちこちのブルーシート上に水溜りを作っており、上を踏んで歩けるようにと敷かれたスタイロボードも踏む度に割れてしまうような状態でした。
 これらスタイロボード破片などを一角に集め、知らん振りの小千谷市ボランティアセンター担当ボランティアに何度も催促して、たまたまいらした私個人のバイク仲間の小千谷市ボランティアOさんを通じて、捨てて頂きました。我々川口町では小千谷市ゴミ出しルールがわからなかった為です。

 我々が宿泊所を作っていた間にも小千谷市ボランティアさんも少人数が宿泊なさっていたのですが、小千谷市ボランティアセンター閉鎖時には朝まで宴会をなさってらっしゃいました。それを、どうこう言う気は無いのですが、その時にある方に貸した川口町ボランティアセンター所属の手回し充電ラジオが数年に度り催促しているのに未だ返されてはいません。
 泊まるのに良かれと思ってワザワザ建てて差し上げたテント内にも宴会ゴミが放置されたままでした。

 我々(総勢二人)は、新たに踏んでも割れない厚めのスタイロボードを運び入れ
地面に敷き、その上にスノーピーク様に頼んでお借りしたテントを張り(5人用25張り)テント内部にマットを敷き、寝袋、毛布を配置。女性用区画も設置。
 ボランティアセンターからも人を借りて割れていないスタイロボードを立てて壁面断熱に使用 さらに天井近くからブルーシートを内張りとして張り巡らせました。

 「のぞみの館」からボランティアも移って来るようになり、風呂屋の場所も調べ(数日後、雪害死亡事故あり)掲示しました。出入り口は二つ確保常時点灯施錠無し。消火器は5M置きに配置。(スパーク川口から独断で持ってきた。)大学生たちもやってきました。近くには惣菜屋さんもあり、そこのおばさんとも話してきましたし、場所も掲示しました。米もありました。

 ですが、初日の夜「まだ慣れず危険なので照明を点けたままですが、皆さん寝ましょう」となった後の事です。寝ろ(御就寝なさって下さい。)と言ってるのに、2つのテントを合体させて作った中央部の食事場テントから声が・・

 どうやら、ある者が若い女性ボランティアを口説いているようでした。どうやらというか、全員(女子高校生たちもいた。)に丸聞こえです。 そのうち「ねえねえ、いいじゃん。○○さん寝たからさぁ。」
 との事 ○○さんとは私の事 思わず「大変申し訳ありませんが、まだ寝てはおりません。何卒、おやすみになって頂きたいのですが・・」と呼びかけ、出入り口を除き照明は消す事にしました。

 次の日の事ですが、今度は深夜、仮設トイレの前で、火のついたヌンチャク(古武器・説明下部)を両手に持ち、振り回している者や、はやしたてながら見ている者数名がいらっしゃいました。となりの民間ボランティア団体の者のようでした。そのような者たちに注意するなど、とても恐しくて出来ません。腰にシースナイフやナイフスキャバードを装着の方、見るからに恐ろしげな髪型の方もいらっしゃいました。
 付近は住宅地であり、大型テント自体もそうなのですが灯油など可燃物も多かったのでO巡りさんに連絡、対処して貰いました。どうやら、となりに宿泊なさる予定の女子大生さんが急遽、こちらに宿泊場を変更した事で、腹を立てそのような示威行動をおとりになったようです。(引率者から相談あり。)ちなみにヌンチャク使用の有名な武術「ジークンドー」にはそのような教えはありません。
 
 ところで当時の私自身の食事ですが、何故か小千谷市ボランティアセンターに紛れ込んで食べたり、小千谷市総合体育館で避難住民用弁当の期限の切れたものを食べたり、前述した惣菜屋さんから買ってきたオカズと自炊した飯などを食べておりました。当時の作業時間が長かったので(寝る以外全部)、とにかく腹が減り続けていました。
 機材(女性トイレ汚物入れ・物干し道具・など)を揃える時に小千谷市のホームセンターコメリにて最大10合炊き電気炊飯器が格安(2600円)で売られているのを見つけ、コーディネーターのOさん(T県社協)に「あの炊飯器をボランティアセンターとして買って、ここで、米だけを炊き、その他オカズ、飲料などは惣菜屋さんか業務スーパー(小売店)で各自購入すれば、合理的ではないか?」と提案したのですが、

「保健所に怒られてしまうからダメ。コンビニ弁当などを各自買えば良い。」

との答えでした。実はコンビニ(セブンイレブン)は遠く、移動手段もなく(毎日大雪、送迎は小型バス)、私は実際自炊していましたので

「米を炊飯器で炊き、直後に食すれば何ら衛生的に問題ない。コンビニ弁当を皆が食いかけで何日も保管したり、各自のテント内で慣れない者が火を使う可能性がある方がよほど危険である。初期のボランティアセンターではボランティア用炊き出しが行われていたが、あの場合ではどうなのか?そもそも、この宿泊所は消防法的にどうなのか?」

「ボランティア用炊き出しは本当はいけない。やっちゃダメなんです。」

との答えでした。消防法関連については言及無し、私個人が炊飯するのはかまわない。(それもおかしい。)との事でしたので、大鍋で毎夜10合ほど炊飯し余った分は大学生たちに差しあげました。また、コンロなど火を各自のテント内で使うなと告知しても無駄でした。登山経験があると自称なされた方(高校引率者)が持参ガソリンコンロ(ホエーブス)などを使用してしまっていました。(プレヒート時に大きな炎がでる恐れあり。)

 後のプレハブボランティアセンターでは同一の型の炊飯器で何事も無かったかの様に集合炊飯がなされており、その方(Oさん)も平然と食していました。 

 一連のこうした活動は、何だかいつのまにかやっていた、という感じです。豪雪の中、精米(寄付された米は精米されていなかった)や、スタイロボード、テントなどをスパーク川口からラッセル(雪を踏みしめながら進む。)しながら橇で、またご自身の車で何往復も運んで頂いたEさん、お疲れ様でした。ヌンチャク事件時は一晩中寝ずでの警備・ありがとうございました。


※話言葉は表現を穏やかに改めてあります。ファイヤーヌンチャクダンスは動画ファイル(.WMV)あり。

(後から聞いた話・実は米はカビが発生していた。Eさんはコンバットゲームなどが元々お好きで実は楽しんでいた。S大学は家の近所である。・・)
 
****************************

 ヌンチャクは沖縄古武術の武器の一種。 形状は2本の同じ長さの棒を紐や鎖で連結したもので、本来定寸はないが一般では長さは25~45cm、太さは24mm~36mm。操法では、振り回して相手を殴打する技や、棍棒としての「打ち」や「突き」も含まれて、幅広い活用が可能となる。

起源は究明されておらず、沖縄発祥とする説、中国から沖縄へ伝播したとする説がある。語源については「両節棍」を福建語で読んだ「n=ng-chiat-kun」であるとの説がある。但し沖縄方言では福建語と同様の発音をする言葉があるため、これを起源に結び付けることはできない。

中国武術の二節棍などと混同される事があるが、二節棍は鎖で2つつないだ棍を指す言葉で、連接された棍の長さが違うものも含まれる。双節棍は棍の長さが両方同じであるがあくまで棍のバリエーションであるためヌンチャクよりも大きいなどの違いがある。 また棍ではないので多節棍には本来含まれない。

俳優ブルース・リーが映画『燃えよドラゴン』で使用したことから一気にポピュラーなものとなった。彼が映画撮影時に用いたヌンチャクはプラスティック製の軽いものである。リーの弟子、ダン・イノサントがリーに教えたと言われている。倉田保昭がリーにヌンチャクをプレゼントしたのがきっかけで、映画に採用したという説もある。 「リーの使用した武器は、正確にはフィリピン武術の武器である「タバク・トヨク」である」との説が見受けられるが、これは1980年に出版されたダン・イノサントの著書以外にその根拠となる資料が無く、論拠に乏しい説である。

携帯すると、軽犯罪法に触れる恐れがある。・・

ヌンチャク - Wikipedia より

截拳道 ジークンドー - Wikipedia

YouTube - Broadcast Yourself. 李小龍

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再掲・ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・9  車両救出用品を備える。

2024年02月11日 | ◆ボランティアセンターでの出来事


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ユンボも移動式クレーンです。


 



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ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・9  車両救出用品を備える。


’04年12月下旬 某日 18:00頃 川口町ボランティアセンター物資班ブースにいると車がやってきて人が降り大声で何やら言っている。聞いてみると「和南津~田麦山間の林道である県の社会福祉協議会の車が泥でスタックし立ち往生している。数人で押せば出られる。何人か手伝いに来て欲しい。」との事だった。隣の元バイク隊初代リーダーでもあった車両班リーダーkさんへもこの事を伝え、「牽引ロープなどはないか?」と尋ねた所、「無い。」という返事だったの(現場に行こうともしない)でとりあえず救援物資の中からロープを持って仲間数人と現場へ向かった。 

 そこは赤土で作られた台形の道で社協の車は雨でぬかるんだ泥に思い切りはまっていた。数人で押せば出られる所ではなかった。何人かで押したり総勢10人程で様々な事を試したが脱出はどうやら無理そうだった。「こりゃ重機で引くしかないな・・ 確か来る途中復旧現場の置き場があったな。・・」と思ったその時、活動班のF井さんがまさにその大型重機に乗って現れた。あまりの行動の早さに非常に驚いた。


 暗い中、ロープを車に架け重機は後退するカタチで牽引作業が始まった。途中で道はS字状になっており、重機のバックミラーに向かって誰か誘導する者が必要だったのでバイトで現場仕事経験のある私が行った。どちらか曲がる方向に向かって指を回転させながら誘導を行うのだが道は狭く、外れると路外に逸脱してしまうので緊張した。またロープは突然切れる場合もある。この時、スタッフだったある大学生Sが動いている重機のキャタピラに飛び乗り、現場を段取ろうと何やら叫んだ。


「降りろ!重機に近寄るな!」と私もより大きな声で叫んでしまった。


社協の車は脱出できた。ボランティアセンターに帰ってから手厚く礼を言われた。私もFさんを褒め称えたが彼はこう言った。


「ユンボの運転なんか簡単だよ~。」


作業に関わった者はFさん以外全員全身泥々になっていた。泥はパンツの中にまで入っていた。


3月には雪堀り祭りで自称ユンボの運転が出来るという人が重機を使って掘削作業をしていたが途中で雪にはまってしまい、動けなくなるという事態もあった。この時はゴム製キャタピラが滑り突然空転する恐れや斜面で機体自体が突然滑る恐れがあるのでは?と考え、遠くからしか脱出を手伝う事しかしなかった。


(重機のカギはパターンが少なく、無人の場合でもシート付近に置かれている事がありましたが盗難の相次ぐ現在ではどうなのかわかりません。)




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再掲・ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・3  他のボランティアセンターと連携する。

2024年02月11日 | ◆ボランティアセンターでの出来事

中越ジオン村

ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・3  他のボランティアセンターと連携する。

 04年11月の川口町ボランティアセンターで支援物資仕分けや、お届け活動を行っていたある日。何故か私の事をしばらく観察している女性がいました。その女性Sさんは同じ中越地震で被災したT日町市ボランティアセンターの部門統括をなさっている方で、「是非話がしたい。」とおっしゃるので話を伺いました。

 なんでもT市では、担当ボランティアYさん、SIさんを中心に物資仕分けのノウハウなどがすでに出来上がっており、それを是非早く川口町に伝えたい。また、いわゆる被災者に対してのケア手法も構築されており、すでにT市から密かに数名を川口町の被災者ケアチームに送り込んでいるとの事でした。詳しく話しを伺うとSさんは、札幌の若き女性心臓外科医の方であり、T市には他の自治体職員もその手法を学びに来ている、との事でした。

 当時川口町では、何故なのか他の自治体 例えば隣のO市の支援物資は貰わない!などといった状態でした。あくまでボランティアセンターが扱う物品についてですが、交流はありませんでした。どうしてこんなに仲が悪いのか帰宅後研究した程です。

 被災者さんの復旧作業や力仕事などを手伝う「活動班」にも持っているノウハウを伝え、連携したいとの事でしたので、当時あまりの行動力、行動のすばやさ、に私が注目、物品優先供与していた川口町活動班Fさんをボランティアセンターを全く通さずに、紹介する事が出来ました。Sさんには
「なんでそんな話を私に持ちかけてくるのか?」
と尋ねたのですが、
「誰が一番体を使っているかは見ていれば分かる。」
との事でした。」
 岡谷泥出し作業や雪掻きでもそうだったのですが、私はプロテイン乾燥パセリなどを持参、摂取しながら筋トレの代用のつもりで作業しているので、勘違いなさったのでしょうか。わはは

 数日後、こんどはC越(県中核)ボランティアセンターのSAさんとおっしゃる女性の方が、突然ヘルメットなどを大量に搬入なさるという事で
「これは何に使うのですか。」
と尋ねた所、
「後日ボランティア作業用に貸し出す為です。もっと色々な貸し出し用物品を搬入します。」
 との事でした。その時に担当のT京都狛E市社協のM藤さんやリーダーF原に
「他のボランティアセンターと連携する事はあるのですか?」
と尋ねてみましたが
「あり得ない。」
との事でしたので、先に着いてしまったヘルメットなどは、まるで「万里の長城」のような水ペットボトルダンボール箱群の内部に隠しておきました。物資班リーダーF原は、下着がないかと探しに来る高齢者施設スタッフに「替えの下着なんかなくても死ぬ訳ではない」と言い放つような人物でした。

 余談ですが、水ペットボトルダンボール箱群にはダンボール箱迷路を辿らなければ到達できない隠し部屋などもあり、重宝致しました。

 ある時にリーダーF原にヘルメットが見つかってしまい大声で
「これはなんだ!」
との怒声が聞こえ、その時はその場からすばやく走り去り、ツーリングライダーに変身し温泉などに行って参りました。
 (当時の物資班リーダーは大体一週間程度で皆さんお帰りでしたので、新任さんには詳しい流れは何も説明致しませんでした。一日で逃げるようにいなくなるようなキャンピングカーに乗ったリーダーもいた)


 私も一時リーダーをやってくれと頼まれ引き受けたのですが、就任した夜、すぐに巡回してみると、ある方(名目上、物資班リーダーだが、迷惑行為ばかりするおじさんH口氏。一度なったリーダーをやめてくれない。後にボランティアセンターから強制追放)が倒壊の恐れがある黄色判定の屋内で寝ていらした(当時そこで寝るのは禁止。)ので、ボランティアセンター責任者H瀬さん(S県の方)に、
「あの方に別な場所で寝る様に言って下さい。ミーティングでは毎日安全第一とおっしゃっられているではないですか。」
と頼んでみたのですが、そうしては頂けませんでしたので、リーダーは2時間でやめました。後でわかったのですが、そのおじさん(セローの樋◯氏)は、ボランティアセンターとなった福祉施設の内部片付けの為、仮置きされていた畳を自分が寝るためにテントに勝手に持ちこんで使用していました。当然の事ながら、施設から畳はどこに行った!との苦情があり、発覚しました。その方セローの樋口氏については8.給水用ポリタンク でも触れています。

当時の物資班リーダーとは、実質夕方のミーティング(2時間やる)のみの要員でした。

 班リーダー、人選の手法、経歴詐称者への対処などについては当時の仔細を細かく記録していますので、また別の記事に書こうと思います。「自称大工」さんには特に要注意です。釘も打てない「自称大工」さんを何人も見ました。

 話を戻しますが、T市Sさん、C越SAさん 川口Fさん がたまたま居合わせた時、皆さんにはタイミングを見て密かに物資置き場の影の仮設トイレ付近に行って頂き、
「色々話し合ってくれ」
とお奨めしました。
 何が話されていたのかはわかりません。

 その後ボランティア作業用品レンタルも始まりました。
ボランティア作業用品レンタル受付ですが、レンタル開始日朝、見つかるとうるさいので物資置き場の奥の方の目立たない場所に新たにつくられてしまったので、後日ゴミ片付け班の年配の方Kさんに手伝って頂いて2名で全てを運び直し従来の物資配布受付と無理やり統合しました。
 ボランティア作業用品レンタルといっても、川口町ではキノコセンター内作業によるアスペルギルス菌糸肺炎(カビや胞子などを含む、埃の吸引にて発症)でお一人亡くなられた方がいらっしゃいます。

 マスクなどの配布や種別や用途の理解は非常に重要な事です。

 土石流、水害のあった岡谷市では、たまたまミーティングに参加した際、「マスクが足りなさそうだが、何とかなるだろう」的な流れがあり、本部長Kさんに「それではマズいです。」とミーティング終了後、言いに行った事がありますが、うまく伝わったかどうかは分かりません。
 川口町のキノコセンターでは事故まで通算300名以上のボランティアが作業したという頂いた記録(日赤ボランティアコーディネーター氏から頂いた報告書)が手元にあります。

 川口町以外にお住まいの方や他自治体の福祉施設職員の方も川口町ボランティアセンターを訪れ、物品をお求めになられる場合もあったのですが、その物品が無い時にはT市ボランティアセンター、職員さんを介して快くお分け頂く事も出来るようになりました。ある時、T市からお分けいただいた下着を、お求めになられていた方にお渡しし、残りを陳列していました所、川口町社協職員の方に、
「こんなに下着があるんだったら、取り置きするので言って下さい。」
と言われて驚いた事があります。連携すれば済む話なのに・・
「命じて頂けたら、どこにでも、探しに行きますよ。」
と答えましたが、激しくお疲れだったのでしょう。

 隣のO千谷市とは終始交流がありませんでしたので、T日町市に物品を受け取りに行く途中で立ち寄ってみた時などには被災者さんの振りをして、その物品がないか伺ったり、また堂々と交流を持ちかけてみたりしましたがダメでした・・が、炊き出しの食事は頂いておきました。

 私はバイクで現地に入っていたので峠に雪が積もる前に帰らなければならなかったのですが、まさに帰り際、渋滞路で私のバイクの後ろにT市の方々の乗った赤い車がおられ、挨拶をすると降りてきて下さいました。これから、旧守門村などのあまり注目されていない山間地区の調査・援助にまわるとの事でした。
「一緒にやりませんか?」
と誘われたのですが、無理でした。今からその事でFさんに会いに行く所だとの事でした。

 数日して今度は同じく川口町に向かうボランティアEさんの車に同乗させてもらい、川口町をまた訪れ活動を再開したのですが、山間地区の調査や援助はT市3人組、Fさんにより、着手実行された後でした。Fさんの背には活動班機動隊と記され、頼もしい限りでした。どこかの機動何とか班とは大違いでした。
 このような事情でFさんに投光機などの様々な機材を優先的に供与したりした事を、後日当時の活動班リーダー掛川市のHさんや物品貸し出し元k沢さんに
「当時実はこんな事してました。」
とあやまっておきましたが、どうやら、このやり方で正しかったようです。
HさんはFさんが何か活動しているのは知ってはいたが、怪我の無い活動の様だったので別に支障は無かったとの事でした。

 川口町内には川口町ボランティアセンターの他に、田麦山ボランティアセンターという別な段取りで、立ち上げられたボランティアセンターがあったのですが、そこが’05年3月で活動を終了し、ボランティアセンターも撤収、田麦山地区でのボランティアは川口町ボランティアセンターが引き継ぐ。との事で、機材の撤収や片付けの手伝いに行った時の事です。

 片付け作業中、支援の必要な仮設住宅にお住まいの方の身体の様子などを詳しく記したプロ向け支援用地図などが、ありましたので、
「この地図を使って行われていた筈の被災者ケアの引継ぎはどうなっているのですか?」
と、当時の田麦山責任者Sさんに伺った所、そういう引継ぎは無い。との事でした。私の本職を告げ、それら地図を預かり、PCで再編集し、川口町ボランティアセンターで責任者社協関係者担当ボランティアでミーティングを開き、
「誰か田麦山地区を担当する者がいなければならない。」
という話し合いを致しました。
 驚いた事にその支援用地図を見て川口町社協職員のある方が、
「私、それ一度見てみたかったのよ。!」
との御発言でした。ここでも川口町社協職員さんの激務の様子が伺えました。

 田麦山地区のいわゆる被災者ケアについてはミーティングにて私が担当するという事になったのですが、川口町住民新規嘱託職員の方が担当するという事に急遽変更されてしまい、いきなり素人にそんな事を出来るのかとも思いましたが、それを受け、不本意ながら帰宅しましたので、その後の事は噂やニュース、当時の関係者さんに聞いた事、検索した事以外,詳しくは知りません。
 帰る間際、かつて田麦山でその活動を行ってらっしゃった看護師の方Nさんや、P看護大学の方が田麦山を再訪なされており、お姿を散見した時は、
「そのような方がいらしてますよ。」
と、その都度ボランティアセンターには電話しておきました。

 ボランティアセンター、ボランティアコーディネーター、部署リーダー、ミーティングって何の為にあるのか???偉い人にはそれが分からんのです!



支援物品の仕分けについては’トコトンハテナ’の正解2 フルフライテント4、5人用でも触れています。

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再掲・ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・5 夜間のボランティアセンター運営

2024年02月09日 | ◆ボランティアセンターでの出来事

過去記事 ボランティアコーディネーターのやるべき事 ・5 夜間のボランティアセンター運営


 11~12月の川口町ボランティアセンターでは物資班外の方も含め、有志数人が交代で大体夜10時頃まで、物資の分別や配布を行っていました。それが終わると更に有志3人で機動物資隊なる隊を半分冗談で作り、毎晩、ボランティア宿泊所「のぞみの館」や他所への物資輸送をしていました。

 夜間、有志が交代でといってもテントに泊り込んでいるボランティアは16:00以降は、川原の自衛隊風呂での入浴以外は別に用事もなく、行くところも無かった訳でもあったのですが・・。

 毎晩2時間ほども行われるリーダーミーティグ中や夜も9時頃になると様々な事情をお持ちの方がお見えになりました。

■生気の無い表情でただ、立ちすくんでいらっしゃる方 お話を伺うと「今後、どうしたら良いかわからない・・ 行くところも無い。」とのお答えでした。

 この時はマッサージボランティアの方がいらっしゃいましたので、「とりあえずいかがですか?」と御案内する事ができました。

■商店を経営なさってらっしゃる母娘さん 「立場上、昼間支援物資を貰いに行くには気が引ける。あの店は貰った物を売っていると言われそうで恐い」との事でした。→重点配布

■地震直前に事情があり、小さなお子さんと二人で夜遅くまで働きながら仮設住宅で暮らさざるを得なくなってしまったあまり日本語が得意ではない若いお母さん。(この方には機動物資隊として重点配布。後日手作り餃子を頂きました。)

■川口町在とは限らない介護施設にお勤めで仕事帰りの方々 「高齢者用下着、オムツ、紙コップはないか?」とほぼ毎晩

■若い女性 「生理用品はないですか」など 有志には女性数名もいらっしゃって下さいましたので対応して頂きました。

■ある時は、あるボランティアの方に夜中突然起こされる事がありました。

 時計を見ると深夜二時、何でもボランティアセンターから無理に頼んだ電気工事の方が、お見えになり、約束したボランティアセンターの担当者S川さんなる方が見当たらないので、そのボランティアがたまたま起きていたため、取り敢えず私を起こしたとの事でした。
 電気工事の方はその日の分の住民の皆様の工事が終了してから、わざわざボランティアセンターに起こしになられたという事でその方も大変お疲れの様でした。
「電気の切り替え工事をするのでボランティアセンターの電源を落としていいですか?」
と聞かれたので、
「私は担当では無いのですが、PCのバックアップ的に考えて駄目です。」
としか答えようがありませんでした。当時はPC担当者は机に突っ伏して寝ているような状態でした。
「それでは、こちらも困る。もう来れないよ。」
とおっしゃられたのですが、同じ返答しか出来ませんでした。


 機動物資隊の掟(当時)

■マスク、防塵ゴーグル、ヘルメットの着用啓蒙を図るため、行動時は常に着用

■どこに行くのでも必ず3人1組で自転車を使用 人力で移動する。(車両班も16:00で終了の為)

■常にペットボトルの水を持てるだけ携行し配る。

など・・

 ある夜、機動物資隊隊長E氏は掟どおりの服装で自転車にてスタイロボードを「のぞみの館」にピストン運搬中、パトカーに追尾されていました。 大いに笑わさせて頂きました。



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過去記事 倒壊の危険のある家屋にて 2007/4/15

2024年02月05日 | ◆行ってみました
過去記事 能登半島地震現地にて


▼輪島市門前の海辺の地区ではボランティアは一人リーダーを決め、4人1組で活動 活動内容は地区内をまわっていれば、まず住民の方から声をかけられる筈なので、それに従う というものだった。

 一軒目 明らかに酷く傾いた住宅 一人で家具運び出しに忙しそうな御主人。
 
我々・何かお手伝い出来ますか?
御主人・赤だよ。それでもやってくれる?
ボラA・自己責任で手伝いますよ!

と家屋内へ 表でためらうボラB(リーダー),ボラC、ボラD 話し合う。

 この傾きでは危険だ 風も出てきた Aが自己責任で手伝うと言っても、家が倒壊したら救出するのは自分たちだ。仮に家屋内に入るとしてもまず一周し家屋の状態を確かめ、隣家の状態なども確認。全員で入らずに、外からの家屋傾き監視役を置き、更にもしもの場合の連絡係り、連絡手段も必要だ。またAを家屋内に残し、3人で移動する事は出来ない。よってリーダーはAにそれらを説明、ひとまず連れ戻すべきである。さらにAが残るというのなら、ボランティア指揮所に、その事を伝えるべきである。
 
 リーダーはAを家屋内から連れ戻した。作業出来ないという事で納得した様だ。

 二軒目 それほど傾いてはいない住宅 しかし立ち入りは禁止 洗濯機だけ運び出して欲しいという奥さん。

 2名を外係りとして配置し、迅速に洗濯機を運び出せそうな2名を選ぶ。運び出し作業の前の者は万一についてや、前が見えないと柱などにぶつかる恐れがある事から洗濯機を後ろ手に持つ事にし、柱や壁には絶対に触れないという事にした。すぐさま運び出し、作業終了。洗濯機は廃棄との事。

 三軒目 それほど傾いてはいない住宅 しかし立ち入りは禁止 家族総出で家具運び出し中 軽トラに積み込み近くの倉庫に運ぶとの事。相談の上、A,Bは入り口近くの家屋内に入り、多くの箪笥を運び出し、C,Dは積み込み、箪笥の引き出し組み込みゴミ出しなどを行う事にした。ゴミ出し中、古びた鏡台があった、御高齢の奥さんの持ち物で何十年も昔の物だという。その奥さんは誰よりも激しく体を使い、作業を行っていた。

ボラ・捨ててしまっていいんですか。引き出しの中とかは調べましたか。ヘソクリとかないんですか?あったら貰いますよ(冗談で気を和ませようとしています。)
奥さん・そのまま捨ててください。

 念のため引き出しを引いてみた。外して奥まで見てみた。とても大事な捨ててはいけない小さな物があった。奥さんにその事を伝えると大切そうに懐にしまった。

 頑丈そうな大きな警棒を持った警官2名が巡回してきた。

警官・君たちこのお宅の中で作業してるの?
ボラ・入り口近くだけですよ!
警官・解ってるだろうけど気をつけてね。

 警官は涙ぐんでいた。軽トラで倉庫まで2往復すると帰る時間になった。住民の方に挨拶し、バス乗り場まで歩いて帰る途中、長野や新潟で御世話になった大きな災害ボランティア支援組織のある方に会った。しかしすぐに帰らねばならなかった。
 
 後ろの方で声がした。振り返るとその方がもう歩いてすでに遠く離れたというのに私のあだ名を大声で呼びながら大きく手を振っていた。

**************************
 
※応急危険度判定により危険と判定された建物へは立ち入りが制限されます。倒壊の恐れがある建物と隣接した建物等にも同様の判定がなされる場合があります。



DRT JAPANが被災地で活動中令和6年能登半島地震 | 消防・レスキューの専門サイト「Jレスキュー」

DRT JAPANが被災地で活動中令和6年能登半島地震 | 消防・レスキューの専門サイト「Jレスキュー」

さまざまな被災地支援活動を展開 災害ボランティア活動をする技術系NPO団体「DRT JAPAN」は、2024年

消防・レスキューの専門サイト「Jレスキュー」 |


私はこのような建物内にはALC住宅骨材の様な短軽鉄骨材を内部に組む事で問題が解決できるのではないか?と考えています。内部に骨組みのみの小部屋を作る訳ですが、材はホームセンターなどでも売っており作業時間も電動ラチェットさえあれば4畳数時間などです。・・多分 被災住宅に補強がなされたらバラして移動します。


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中越地震川口町で最も要望の多かった物品

2024年02月03日 | ◆Weblog

中越地震川口町で最も要望の多かった物品

中越地震時、新潟県川口町にて救援物資配布 解体 除雪 テント設営等に関わらさせて頂く事が出来ました。被災住民の方々から要望の多かった物品等のリストを当時仲間で作りました。


必需度 

1 バール(脱出用)
2 フルフライテント4、5人用
3 毛布寝袋銀マット
4 LEDライト&電池(単4以外)
5 AMFMラジオ&電池(単4以外)FMは重要
6 カセットコンロ&ボンベ多
7 ブルーシート
8 水 給水用18L以上ポリタンク
9 携帯電話予備電源&電池(単4以外)
10
11 ナイフ包丁等
12 トイレットペ-パ- ボックスティッシュ
13 乾ウドン&つゆ米味噌ふりかけ缶詰等
14 蓋付き鍋2~3個&おたま シャモジ 椀 等調理器具
15 ビニール紐の玉
16 下着靴下多
17 調味料多種
18 コーヒー茶等飲料
19 サランラップ
20 消毒スプレー
21 ビニール薄手手袋5
22 シャンプー
23 消火器
24 カッパ
25 長靴

コメント (2)
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岩泉台風災害②

2016年09月25日 | ◆行ってみました
災害ボランティア二回目行ってきました。盛岡より国道で行けます。











ここは旅行村Pだが第一駐車場の掲示物を流用。第3はトイレ遠すぎ 舗装に穴って羅臼かいな

おなじみのお隣さん 昭島市より


もう一人 広島ナンバーのボンゴのお隣さんがいたが、現場で飲酒し怒られたそうでいなくなってしまった。

寝床

ごはん 


米じゃないと腹がもたん 力仕事に特化したメニュー 米炊いてたら色々驚かれた

つわもの(?)がたくさん テントと洗濯ヒモ張りっぱなしは ひと組だけ 役人さんだそうだ。 他の方々は一々撤収しています。




ボラセン


 大阪よりのヒッチハイカー現場で転倒 歩行困難となる 朝の血圧170
気温は朝10度で寒いが、冬寝具や着替え 旅技術もなく、全財産8000円しかないため、ボラいくと言い張るが、盛岡まで半強制搬送措置とした。

車を開放しヒッチ氏の面倒を仕方なく見るナイスガイ 困り果てていた。

この日は、我われは現場出発が11時 もっとも遅いグループは14時出発でマジギレしていたそうだ。もっとも活動現場まで徒歩で400Mほどである。車で送られてもニーズは自分らで現地で探せといわれます。出発が遅れた理由は”受付書類がなくなった。”だそうだ。
 
数日泥出ししてたら、だんだん乗ってきて私の排出泥を運ぶ一輪車係がいなくなり、いつの間にかホイールローダーに変わった・・


ああつかれた。ローソンには弁当17時入荷だよ。

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岩泉台風災害①

2016年09月17日 | ◆行ってみました
近隣の岩泉町にボランティアに行ってきた。12日発宮古経由 5日間やって帰ってきました また行きます。今は盛岡からいけます。

岩泉町災害ボランティアセンター







川井















道の駅宮古にて車中泊中 ハードボイルドな食事内容









二日目 壊滅した道の駅岩泉にて車中泊 ボラ現場 例のグループホームも近く











ボラセン


ボラセンに大バール ジョレン 大ハンマー 貫通マイナスドライバー が一本もない。言っても用意してくれない。床を剥がせる人が少ない 貸し出し用スコップのアルミは曲がるので選ばないほうがよい(雪用だよ)ボラセンには駐車できません。丸のこなど道具がなくフローリングはお手上げ状態 龍泉洞Pなど3か所に駐車しバス 徒歩で移動

旅行村にて車中泊可 ベテランキャンパーボラ? 自衛隊も常駐 旅行村駐車場は大きな町営無料駐車場であり、きれいなトイレ水場あり 旅行村キャンプ場は休業中だが、安家地区で活動中のopenjapanが使用中 温泉無料 町のコンビニ スーパー ホムセン ドラッグストアでふつうに買い物可 社協の向かいはローソン フランスパンばかり食わんでもよい 




出来たらゴム手 安全靴 ヘッドライト(床剥がし用暗い)万一の傷洗浄用の水を持っていこう テント派は久慈に行こう 久慈情報係@久慈市浸水被害発信中!

今回、高校生ボラとその引率者(黄色いTシャツ)がガレキの前でピース!といいながら笑顔で記念写真を撮っていたり、被災家屋で家主のお母さんの目の前で仏壇をバールで激しく破壊していたり、という場面をみて驚きました。頭から泥かぶせたろか 社協は撮影時以外も毎朝ミーティングしろよ 対応悪くて結構久慈に流れとるよ


腕に覚えのある方はこちらへ 岩泉町災害ボランティアセンター小本サテライト




盛岡市よりの無料バス 災害ボランティアの募集について

ボランティア向け夜間休憩施設 岩泉、17日から3日間

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プレートの一端

2016年04月30日 | ◆Weblog
南太平洋のバヌアツの沖合で地震 情報収集進める

4月29日 5時16分

アメリカ地質調査所によりますと南太平洋のバヌアツで日本時間の29日午前4時33分、マグニチュード7.0の地震がありました。震源はバヌアツの首都ポートビラの北北西およそ209キロで震源の深さはおよそ35キロと推定されています。ハワイにある太平洋津波警報センターは、津波の可能性について現在、情報収集を進めているということです。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160429/k10010503201000.html

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野口建氏のテント村プロジェクト

2016年04月26日 | ◆テント ブルーシート 毛布 寝袋 寝具
以下引用

皆さまからのテント、寝袋等の物資支援、一旦、休止のお知らせ

大変多くの皆さまにご協力いただき、テント、マット、寝袋など、たくさんお送りいただきました。
現状、私達が支援している益城町総合運動場のテント村では、テント、寝袋の数はそろってきているようです。
よって、一旦、支援物資の受取りを休止させていただきます。

支援内容は、状況により、刻々と変わっていきますので、
現地の状況に合わせ、必要なものを支援していきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

野口建ブログ
今日nhkラジオで長時間聞いていたが、環境を整えるそうだ。(診療所とか)ペグ用にドリルで穴開けてまわったそうだ。
すごい男だ!
使用済みテントはメンテ&備蓄か返却してね♡ いい加減自分で備蓄しよう!

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東北六魂祭4

2012年05月29日 | ◆行ってみました
東北六魂祭(とうほくろっこんさい)は、東北6県の各県庁所在地の代表的な6つの夏祭りを一同に集めたお得な祭り。会場は東北6県の県庁所在地持ち回り 今年は盛岡市

青森ねぶた
盛岡さんさ踊り
仙台七夕まつり
秋田市竿燈まつり
山形県花笠踊り
福島わらじ祭り 等々・・

さんさ踊り


















竿燈まつり






















































































ああ・・面白かったでがんす うんだば、帰えっぺか

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東北六魂祭3

2012年05月29日 | ◆行ってみました
東北六魂祭(とうほくろっこんさい)は、東北6県の各県庁所在地の代表的な6つの夏祭りを一同に集めたお得な祭り。会場は東北6県の県庁所在地持ち回り 今年は盛岡市

青森ねぶた
盛岡さんさ踊り
仙台七夕まつり
秋田市竿燈まつり
山形県花笠踊り
福島わらじ祭り 等々・・

すずめ踊り

































わらじ祭り
































盛岡夏祭り



















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東北六魂祭2

2012年05月29日 | ◆行ってみました
東北六魂祭(とうほくろっこんさい)は、東北6県の各県庁所在地の代表的な6つの夏祭りを一同に集めたお得な祭り。会場は東北6県の県庁所在地持ち回り 今年は盛岡市

青森ねぶた
盛岡さんさ踊り
仙台七夕まつり
秋田市竿燈まつり
山形県花笠踊り
福島わらじ祭り 等々・・

やっと15:00になった・・

青森市市長とハネトが登場










ねぶたが登場






















花笠











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東北六魂祭1

2012年05月29日 | ◆行ってみました


東北六魂祭(とうほくろっこんさい)は、東北6県の各県庁所在地の代表的な6つの夏祭りを一同に集めたお得な祭り。会場は東北6県の県庁所在地持ち回り 今年は盛岡市

青森ねぶた
盛岡さんさ踊り
仙台七夕まつり
秋田市竿燈まつり
山形県花笠踊り
福島わらじ祭り 等々・・

昨年岩手県内に移住したので朝から電車で見に行った


駅前


向かってます・・




















石割桜


県庁前についた 山車が待機中













ねぶた格納庫

川原にチャグチャグ馬コの馬が繋がれている・・















10:00頃着いたが、パレードは15:00からである事が発覚 会場周辺を歩き回る事にする・・










ももりんは福島市観光キャラクター ○ッフィーではない・・












今夜はこれで餃子

腹が減った・・








11





ついに始まった・・



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東北へ行こう!北塩原村 西吾妻山の紅葉

2011年10月30日 | ◆Weblog











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