災害弱者一目で把握
2008年12月19日
架空のデータを基に作成したソフトの画面のイメージ。対象者の住居の間取りや全身写真まで詳しく入力できる
【障害者自らパソコンソフト開発】
●東海4県 18自治体試用へ
地震や台風などの時、パソコン画面のクリック一つで、体などに障害がある人やお年寄りたち一人ひとりがどこにいるのかが一目で分かるソフトを、障害者自身がつくった。障害者の視点で使いやすくしているのが強みといい、東海4県の18自治体が実験的に使う意向を示しているという。(柿崎隆)
開発したのは、名古屋市昭和区の社会福祉法人「AJU自立の家」の障害者就労支援事業所・わだちコンピュータハウス(水谷真所長)。四肢まひなど重度の障害を持った人たちがコンピューターを使って経済的な自立を目指す団体で、行政や企業からデータ入力や加工を受注するほか、障害者向けのITサポートなどに取り組んでいる。
中心メンバーの菅沼良平さん(58)によると、被災地を訪ねて障害者や高齢者の避難生活を支援しながら情報収集していくうちに「災害弱者」を普段から把握するシステムの必要性を痛感し、今回の「GIS災害時要援護者避難支援システム」(仮称)の開発を思い立ったという。
開発したソフトで支援する対象者は、体に障害がある人や独り暮らしのお年寄りなど、災害時に自力で避難するのが難しく、助けが必要な人たちを想定している。
支援が必要な人たちの血液型や世帯人数を始め、居住建物の構造や部屋の間取り、寝室の位置、かかりつけ医療機関、全身写真など多岐にわたる詳細な情報を入力し、パソコンの画面上の住宅地図を開いて、家屋やマンションをクリックすれば探したい人のデータが自動的に分かる仕組みだ。
助けが必要な人の名簿やデータづくりについては、各地の自治体が取り組んでいるが、個人情報の扱いの難しさもあり、対応はまちまちだ。
AJU自立の家は、静岡県を含む東海4県の全市町村にアンケートを実施し、名簿を整備しているかや、避難支援システムを導入する意向があるかなどを質問した。その上で、名簿作成済み、もしくは計画中の自治体を選んでソフトを配ることにした。県内は大府、知多、知立、高浜の4市、甚目寺、幡豆の2町の計6自治体に、岐阜県は3自治体、三重県は4自治体、静岡県は5自治体にそれぞれ配る。
「わだち」は今後、各自治体の行政担当者から話を聴きながらソフトを使いやすく調整し、来春までに運用をスタートさせたい考えだ。
菅沼さんは「いざというときに短時間でシステムが立ち上がり、防災、避難支援で活躍できるようにしたい」と話す。将来的には十数万円台の価格で販売し、社会福祉協議会や地域防災団体にも売り込みたいとしている。
asahicom災害弱者一目で把握-マイタウン愛知
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AJU自立の家 災害時要援護者支援プロジェクト全134ページより(第一部のみ)
AJUからの提言
「災害時における障害者支援に関する提言
-東海豪雨災害による被災状況等調査をもとに」(2008/11/05)
平成13 年度社会福祉・医療事業団 高齢者・障害者福祉基金助成事業
災害時における障害者の早期対応のための社会的システム開発報告書
平成14年3月
社会福祉法人AJU自立の家
災害時における
障害者支援に関する提言
~東海豪雨災害による被災状況等調査をもとに~
災害時における障害者支援に関する提言
~東海豪雨災害による被災状況等調査をもとに~
目 次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1部 そのとき障害者は ~ 障害者からみた豪雨災害・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
1. 災害発生初期・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
2. 災害の発生と避難勧告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
3. 災害発生から一夜明けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
4. 災害状況の継続と暫定的な安定化に向かう中で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
第2部 災害時における障害者支援について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11
1. 障害者の生活と災害-災害の中の女性、子ども、お年寄り、病人、そして、障害者・・・・12
2. 安否確認・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15
3. 支援の中核となる避難所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18
4. 当事者と行政だけでは、完結しない災害支援・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
5. 再度、障害者からの情報発信・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
第3部 調査結果報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27
1. 調査目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28
2. 調査方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28
3. 調査結果と分析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31
3-1.回答者のプロフィール31
3-2.災害の状況36
3-3.水害が発生してから水が引くまでの状況41
3-4.水が引くまでの期間でほしかった情報59
3-5.被災時の行動 67
3-6.家の片づけをしている時の状況90
3-7.家の片づけが一段落した後の状況 92
3-8.全般的意見94
4. 提言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100
4-1.「緊急時は情報、安定時は移動」100
4-2.情報提供のあり方101
4-3.災害初期における支援の態勢102
4-4.避難所のあり方102
4-5.中・長期的な支援104
4-6.障害当事者との協同104
4-7.災害弱者名簿作成とその活用104
4-8.日頃からの防災意識および地域防災組織の形成105
4-9.今後の課題105
5. 資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・107
5-1.調査1 調査協力依頼状107
5-2.調査1 調査票 108
5-3.調査1 調査員名簿 119
5-4.調査2 調査協力依頼状 120
5-5.調査2 調査票 121
5-6.調査2 調査員名簿 133
5-7.被災者手記134
1. 災害発生初期
(1) 状況認識の実態
平成12年9月11日、東海地方をおそった集中豪雨。
鉄道や道路が寸断され、帰宅途中に苦労する人が多かった11日の夜。避難勧告前までの様子について、被災した障害者からは次のように語られた。
一方、床上浸水が心配される人では「車で帰宅途中、自宅付近の冠水状況からたいへんなことになると思った。本人と臨月の姉がいたので、様子をみていた。床上まできたら、何とかしなくてはと思っていた。午後8時頃すでに、床下20cm。あと10cmで床上。車や人が外を通ると床上に水が入り、バスタオルをたくさん用意していた。避難所に行くにしても、おぶる自信はなく、舟がいる。どうしよう、でも、なんとかなるかと思い、この時点ではどこへも電話していない。」
この時点では、どのような事態になるかを予測、心配する程度の差は大きかったものの、「まだ大丈夫」との思いが強かった。「本人も家族も寝ていて災害に気がつかない」まま、翌朝目覚めて床上浸水に気づいた視覚障害者もいた。
なお、災害時の備えとして「本人がいるので、日頃から薬や水を入れた避難袋は用意していた」という家庭は1件だけであった。
・ ただの大雨だと思った。
・ 夜にかけてどしゃ降りの大雨が降り続き、誰もがなんとなく心配をしていた。テレビをみんなで見ながら「庄内川で危険水位を超えていたらしい。このあたりは、大丈夫よ」などと話し合ったりしている。心配というわけではないが、テレビを見ながら遅くまで起きている。大変だな-と思うが、まだまだ観客でいた。
・ 夕方、町内会から避難の連絡はあったが、ひどくはならないと思い自宅に留まる。
・ ひどく雨が降っていたが、道は冠水しておらず、避難しようという気はなかった。雨がひどかったので、寝てはいなかった。
・ 夜中トイレに行くたびに外を見た。
・ コンビニハウスから安否確認の電話があったが、電気も切れていなかったし、冠水もなかったので、大変なことになると思わなかった。テレビをつけっ放しにしていた。
・ 夜、一時、水が引いたので家族が車を少し高い所へ移動して、寝た。
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2. 災害の発生と避難勧告
(1) 避難勧告~届き方の限界
巡回する消防車や広報車、自治会長や町内会組長、近隣からの電話、テレビ、そして、町内の役員や近隣の訪問によって「避難勧告が出ました」の声を届けられた人たちがいた一方で、約4分の1の人は避難勧告を知り得ていなかった。
広報車については「『避難…』の声で目は醒めたが、何をいっているのかよく分からなかった」「音が小さかった」との声が聞かれた。広報車の巡回回数やルート等の検討と共に、複数の伝達手段を確立することが必要である。
また、聴覚障害者においては、概して災害の認知が遅れる傾向や、健聴者の家族に依存する傾向が多く認められた。
(2) 避難を留まざるをえなかった事情堤防決壊を機に一気に水かさが増し、浸水による身の危険を感じたり、避難すべきか自宅に残るかの判断に迷いながら、結局避難を留まった障害者が数多く存在した。
・ 広報車や自治組織からの避難勧告があっても避難せず、家族による浸水の確認や、家族の事情を知るより身近な人からのメッセージ(電話、訪問)で避難を決意したケースが多かった。…101,111,115,118,124,125,204,141,206,213
・ 健聴者の家族に起こされた、浸水を知らされた…301,302,304,306,310
・ 健聴者の妻が避難勧告を聞いて本人を起こし避難した…301
・ 夫婦ともに聴覚障害者で避難勧告に気づかず、深夜0 時に帰宅した娘に知らされ避難した
…304
・ 健聴者の夫が朝の5:00 玄関の浸水を発見…302
・ 雨天時はふだんから外出しない(TV は観ていたが重大さに気づいていない節がある)…303
・ 車いすなので(あるいは車いすを使えないくらい重度なので)避難できないと判断…
106,126,127
・ 避難所は自分がいられる場所ではないと判断…112
・ 外はすでに首までの水かさで逃げようがなく、2階で過ごした…116
・ 家族が親戚や友人と連絡を取り合う中、災害119 番を勧められ、救助要請をするも「ボートがないので」と断られ2階で過ごすことにした…141
・ 避難するとかえって危険、2階以上にあがって過ごした…205,207,208,210
・ 本人は視覚障害、父も足が不自由、避難所へ行く手段がない…205
・ 夫の心臓が悪いので避難できないと判断…302
・ 聴覚障害の本人が大勢集まるところに行きたがらず、避難をめぐって1時間家族会議…
310
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(3) 障害者が避難するとき~避難時の困難とそれを支えた動き
降りしきる大雨、胸までつかる水位、川のように流れる道路…。わずか数時間の内に表情を一変した街の中、被災者が避難するには、成り行きに任せての行きずりの支援を求めるしかない実態があった。また、障害があるが故の困難を訴える者が多かった。その一方で、外部からの支援が届く前に(災害初期)、被災した障害者がリーダーシップを発揮して、自ら支援を組織する動きが見られた。
3. 災害発生から一夜明けて
(1) 障害者や高齢者への対応がとれた避難所が存在した
整備も管理組織も整わない避難所が多い中、障害者や高齢者への対応がとれた避難所が存在した。
・ 往き来するボートをつかまえて避難…101,102,141
・ 大柄な障害者がいることを伝えるなど複数回の救援要請に呼応して、2階から専門家4人がかりで救出をし、ボートで避難所へ避難。力仕事なので父親の付添を要請された…102
・ 気管切開しているので雨が機関にはいると発熱するので、仰向けにして抱けなかった。吸引機、アンビュ(人工呼吸器)、おむつを持って小学校へ避難した…143
・ 自治会長から電話で避難指示を受け、組長である自分(視覚障害)が町内の人にはぐれないよう一緒に避難することを呼びかけた。車何台かに分乗して中小田井小学校に避難した。自分の車には足に障害のある人と知的障害の人を乗り合わせた。視覚障害の仲間を仕切ってきた経験が生きた…206
・ 障害者と高齢者には特別の部屋が用意してあり、恵まれていた。クーラーやTV 完備、車いすが用意してあり、トイレもすぐそばにあった。看護婦がいて必要なことを手伝ってくれた。一家8人がそこで世話になり2泊した…101=庄内小学校
・ 大部屋ではなく、特別室(落ち着いた小部屋)高齢者と一緒にで過ごす。不便だけどトイレは母親付きなのでなんとかできた。保健婦の訪問もあった…102=庄内小学校
・ 避難所ではトイレに行けないとあきらめ我慢していたが、近隣の友人がトイレに連れていってくれたり、救援物資を自分のもとに持ってきてくれた…206=視覚障害
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(2) 障害者対応になっていない避難所での困難
最低限の生命の維持を図るために開設される避難所生活。誰もが不便を強いられるが、障害者の場合は、彼らの日常生活を支えてきた個別的で全体的な、必須の仕組みが絶たれた中で、重度であればあるほど、長期的な滞在が困難な状況がみられた。
(3) 避難所での情報伝達
避難所での情報不足は、これから先どうなっていくのかという不安につながり混乱の原因となったことが伺えた。
・ 避難所にTV がなく情報が入らない…111
・ 何が、どこで対応してもらえるのか分からずに混乱した…
・ TV の災害情報にはテロップが入りよかった…310,311
・ 洋式トイレがなくて大便ができなかった…109
・ 尿瓶の使用は人が大勢いる場所ではやりにくかった、車いす生活者には不便と感じた…
124
・ おむつを替える場所がなかった。図書館の台の上で人気なくなってから替えた…143
・ 浸水の進行により避難所の2階に上がるように言われたが、2階には洋式トイレがないの
で1階にとどまった…115
・ 避難所の1階の水位が膝上となるが、2階にはトイレがないのでサンホープへ2次避難を決意…136
・ 装具なしで避難してきたので介助が大変だった…123
・ 膝が痛くて床に座れず、いすも車いすもなくて避難所には居場所がない。自宅の2階の方がましだと判断して一夜明けた昼前に家族とともに帰宅…137
・ 避難所ではいすの上に寝かされたがリウマチなのでいすが固くて眠れなかった…115
・ 燕下障害があり(ぬるぬるしたものしか食べられない)、出されるパンもおにぎりも食べられなかった。夜中の10:30 頃ようやく割子そばが出たがタイミングが悪く食べれなかった…143
・ 不便な避難先でも家族が一緒にいることで何とか対応することができた…101,102,123
- 10 -
4. 災害状況の継続と生活の暫定的な安定化に向かう中で
(1) 避難および移動の困難
(2) 障害をもつ自分だけは自宅に戻れない
水は引いたが自宅での生活が再開または継続できない状況が見られた。とりわけ、健常者の家族と離れて二次避難、三次避難を決意したケースがあった。
・ 車が水没し移動に困った…103,124
・ ボートで脱出した…124,301
・ 他の家族は自宅に戻ったが、本人は母親とともに妹家族に身を寄せた…101
・ 母親とともに友の家第3に二次避難した…102
・ 家に戻れないので単身サンホープへ二次避難、サンホープの紹介で杜の家に三次避難…
118
・ 中小田井小学校からいったん自宅に戻るが、2階で生活できない自分だけ杜の家にショートステイを申請して二次避難…124
・ 家族3人で小田井小学校に避難したが、避難所1階に浸水してきた。母は自宅に戻り、祖母は避難所2階にとどまり、本人はサンホープに二次避難。帰宅後「今回、自分が何も間に合わないどころか、どれだけみんなに迷惑をかけるか分かった。この先一人になったらどうしよう、施設に行かないかんのかなぁ」と悲観…136
・ 水が引いてもEV 故障により車いすの自分は家から出られない…103