チェーン たまに道路に落ちてます。
■土石流災害長野県岡谷市ボランティアセンターでの出来事
2006年8月某日 長野県岡谷市小田井沢
その日の作業は、土石流で流されたガレキを人力で土中から引っ張り出し、廃棄するという作業だった。土石流が流れた後の地面には流れで削られた大きな谷間がいくつもあり、重機やトラックは入ってこられないのだ。作業するボランティアは150名ほど、ガレキは重機によって大きな袋が並べられた仮の堤防まで運ぶそうだ。
作業が始まった。毎日晴天で気温は30度位、大小の木々や農具、鉄パイプ 腐ったカボチャ、など様々な物が泥に埋もれている。一つずつ手で引っ張り出し運ぶのだ。ガレキの中にはまだ使えそうな物もあり、どうするのか 地元の人に聞いてみたが、ここでは発災時、消防団の方が亡くなっておられ、そうした場所の物は鉄パイプなどを除き全て捨てるとの事だった。そこには花が手向けられていた。隣には小さな畑もあり、農機具小屋もあったが、それらも全て捨てるのでは運んで欲しいとの事だった。作業は女性の方々にはちょっと大変だろうと思われた。砂ホコリが凄かった。
昼休みになり、あらかじめ必要だろうとボランティアセンターから持ってきた大きなブルーシートを敷き昼食になった。見ると少し離れた所で別のグループが休憩を取ろうとしている・・ そのグループの所にもブルーシートを持っていき使って貰えるよう、話しかけてみた。名古屋から来たどこかの会社グループとの事だった。
「このブルーシート使って休んで下さい。」
「ありがとうございます。」
グループの皆さんがシートに移動して腰を下ろしたので言ってみた。
「御休憩はお一人様一時間1200円になります。」
結構ウケたので嬉しかった。
昼休みにはボランティアセンター支所になっている小学校まで歩いて帰って昼食をとる方々も多くいたのだが、作業が再開されると、戻ってきた方は多くはなかった。
見ていると一人一人ガレキを運んでいたのでは非常に効率が悪いように見えた。そこで提案し数名のガレキ引っ張り出し班とガレキリレーで運ぶ班に分かれてもらい、リレー班には おそらく100メートル以上 並んでもらった。
ガレキ引っ張りだし班は、ずらっと並んでいるリレー班から常に注視されているためか、皆張り切っていた。流す必要のない小さなかわいいカボチャ 小枝などを、たまにわざわざリレーさせるとあちこちで笑いが漏れていた。驚くべき早さで作業は進み、後は一見人力であつかうには無理の様に見える半分泥に埋もれた大木などが残るだけになっていた。
土中からロープが出てきたので、その大木にかけて動かせるか挑戦してみたが、やはり無理だった。作業中知り合ったM君と二人でもう一回挑んでみた。大木は少しだけ動いた。だが、もう少しの所でロープが切れた。二人とも大きく尻餅をついてしまい皆に大笑いされた。午前中に土中からチェーンが出てきていたのを思い出し持ってきて木にかけ、また挑戦してみた。今度はなんと大木を引っ張りだせた。何度もやっている内、隙間に空気が入ったらしい・・。M君と二人で堤防まで大木を引きずって行こうとしたら、二人とも力が尽き果ててしまった。四人の大柄な方々がやってきて大木の枝を持って持ち上げ運んでいった。 見ていたある年配の方が運んでる途中に言った。
「そんな物まで運ぶ必要はないのに・・」
運んでいる方々はこう答えた。
「これは我々の趣味の世界ですから・・」
ガレキは、すっかり無くなったようだった。
先ほどのチェーンを後ろ手に手首に巻きつけ、M君に引いてもらい、まるで荒野の奴隷と看守のようなフリをしてみた。
だが今度はウケなかった。
あの痛ましい災害を忘れることないように・・ 新しいページ 1
■土石流災害長野県岡谷市ボランティアセンターでの出来事
2006年8月某日 長野県岡谷市小田井沢
その日の作業は、土石流で流されたガレキを人力で土中から引っ張り出し、廃棄するという作業だった。土石流が流れた後の地面には流れで削られた大きな谷間がいくつもあり、重機やトラックは入ってこられないのだ。作業するボランティアは150名ほど、ガレキは重機によって大きな袋が並べられた仮の堤防まで運ぶそうだ。
作業が始まった。毎日晴天で気温は30度位、大小の木々や農具、鉄パイプ 腐ったカボチャ、など様々な物が泥に埋もれている。一つずつ手で引っ張り出し運ぶのだ。ガレキの中にはまだ使えそうな物もあり、どうするのか 地元の人に聞いてみたが、ここでは発災時、消防団の方が亡くなっておられ、そうした場所の物は鉄パイプなどを除き全て捨てるとの事だった。そこには花が手向けられていた。隣には小さな畑もあり、農機具小屋もあったが、それらも全て捨てるのでは運んで欲しいとの事だった。作業は女性の方々にはちょっと大変だろうと思われた。砂ホコリが凄かった。
昼休みになり、あらかじめ必要だろうとボランティアセンターから持ってきた大きなブルーシートを敷き昼食になった。見ると少し離れた所で別のグループが休憩を取ろうとしている・・ そのグループの所にもブルーシートを持っていき使って貰えるよう、話しかけてみた。名古屋から来たどこかの会社グループとの事だった。
「このブルーシート使って休んで下さい。」
「ありがとうございます。」
グループの皆さんがシートに移動して腰を下ろしたので言ってみた。
「御休憩はお一人様一時間1200円になります。」
結構ウケたので嬉しかった。
昼休みにはボランティアセンター支所になっている小学校まで歩いて帰って昼食をとる方々も多くいたのだが、作業が再開されると、戻ってきた方は多くはなかった。
見ていると一人一人ガレキを運んでいたのでは非常に効率が悪いように見えた。そこで提案し数名のガレキ引っ張り出し班とガレキリレーで運ぶ班に分かれてもらい、リレー班には おそらく100メートル以上 並んでもらった。
ガレキ引っ張りだし班は、ずらっと並んでいるリレー班から常に注視されているためか、皆張り切っていた。流す必要のない小さなかわいいカボチャ 小枝などを、たまにわざわざリレーさせるとあちこちで笑いが漏れていた。驚くべき早さで作業は進み、後は一見人力であつかうには無理の様に見える半分泥に埋もれた大木などが残るだけになっていた。
土中からロープが出てきたので、その大木にかけて動かせるか挑戦してみたが、やはり無理だった。作業中知り合ったM君と二人でもう一回挑んでみた。大木は少しだけ動いた。だが、もう少しの所でロープが切れた。二人とも大きく尻餅をついてしまい皆に大笑いされた。午前中に土中からチェーンが出てきていたのを思い出し持ってきて木にかけ、また挑戦してみた。今度はなんと大木を引っ張りだせた。何度もやっている内、隙間に空気が入ったらしい・・。M君と二人で堤防まで大木を引きずって行こうとしたら、二人とも力が尽き果ててしまった。四人の大柄な方々がやってきて大木の枝を持って持ち上げ運んでいった。 見ていたある年配の方が運んでる途中に言った。
「そんな物まで運ぶ必要はないのに・・」
運んでいる方々はこう答えた。
「これは我々の趣味の世界ですから・・」
ガレキは、すっかり無くなったようだった。
先ほどのチェーンを後ろ手に手首に巻きつけ、M君に引いてもらい、まるで荒野の奴隷と看守のようなフリをしてみた。
だが今度はウケなかった。
あの痛ましい災害を忘れることないように・・ 新しいページ 1