都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

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鎌倉街道を行く~文字でふり返る研修旅行~(その5)

2007年04月07日 11時40分04秒 | 【連載】鎌倉街道を歩く第2区
第3話:鎌倉橋と玉川上水
 青梅街道を渡り、南へと歩く。周囲の景色は・・・やはり家と畑。しかし、このあたりの土地は細長いところが多い。先生の話によれば、このあたりは、玉川上水の開削の後に新田開発をしたからだそうだ。なるほど・・・。ただし、新田といっても畑だが。
 再び通りと交差する。この先に道がなく行き止まりになっている。通りの向こう側の左右に道が1本ずつあった。さて、どっちに行けばよいのだろうか。地図によると右側の道に行くことになっているが、先生は、「そっちの道に鎌倉街道の標識があるじゃないか。」と左側の道を示した。おかしいなと思って再び地図を見ると・・・。地図を反対にしていたようだ。こりゃ失敬(笑)。
 気を取り直して南へ進む。このあたりの地区は津田町である。その通り、津田塾大学の裏側を歩いていた。この日はセンター(試験)2日目であり、津田塾大学も試験会場になっていた。ところで、先生は、3年生の担任である。さて、こんな日に部活動に連れ出してよかったのだろうか。(ちなみに上水生は中央大学で受験していた。)
 目の前には雑木林が見えてきた。この奥が玉川上水である。玉川上水は昨年の研修旅行のテーマであり、この辺りも研修先となっていた。ここで鎌倉橋を渡るのだが、この橋を目にするのは、私と先生は2回目だった。なので先生が、「この橋ありましたね~。」とおっしゃっていた。実は、地図上にはこの橋があったりなかったり(縮尺によって表示されない)とよく分からなかったので、この前日にここまで来てチェックをしていた。もしこの橋がなかったら・・・。大迂回を迫られていたのだろう。
 私たちは鎌倉橋を渡って、玉川上水をあとにした。
(つづく)

研修旅行コラム
玉川上水
玉川上水は、江戸時代に開削された水道用水路である。小平の辺りは、もともと水が出ない土地であり、玉川上水が開削されるまでは人家などほとんどない荒涼とした土地だったそうだ。上水開削後は、新田開発が進み現在に至り、この辺りの土地が短冊状なのは、その名残りである。
(おわり)
著者:研究関連担当代表