よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

一年の計は元旦にあり

2006-01-13 14:55:39 | Weblog
と、新年のカレンダーにあった。みな年頭にあたり、何か計画を立てているのだろうか?カンボジアでは新年という実感がわかないが、こちらでも日本人に会うと「あけましておめでとうございます、今年もどうぞよろしく」なんて挨拶をいちおうかわす。言っている間も実はあまり実感がわかないのだけど、まあそのときは正月を思い出す。

そして日本の、海外の友人からもメールやカード、手紙をもらったりしてわずかばかりの正月気分に浸る今日このごろ。友人たちからの便りはやはりいいものである。私はパソコン通信でメールをやっていたくらいだから、たぶん同世代の人に比べてもインターネット歴はけっこう長いほうで、メールさまさまの人間だが、やはりアナログの手紙はいい。最近は手紙を書く人がめっきり減ったというが、直筆の文字を読むのはいいものだ。今日は友人からの便りでいいなあと思った言葉をひとつ。

「国際結婚なんて大変だよね。と考えているけど、日本人どおしだって理解し合わなきゃならないのだから、みな宇宙人と結婚したつもりで相手を理解し、受けいれないと。」

彼女は結婚して幸せに暮らす2児の母。とはいえ、平凡な暮らしのなかにもそれなりに大変なことがあったのだろう。だからこそこの言葉には実感がこもっている。これはたまたま結婚についてのコメントだが、結婚うんぬんにかかわらず、友人や同僚、親戚づきあい、近所づきあい、そして異文化交流まですべての対人関係においていえることではないだろうか。そしてこれこそが、人とうまくやっていくコツかもと思い、ふむふむと手紙を読みすすめる。それにしても世界を飛び越え「宇宙」とはなんて広い心だろうか。

友達のメールや手紙を読んでいても、恋愛に悩む人があり、友人に悩む人があり、家族との関係に悩む人があり、会社での仕事や人間関係に悩む人がありとさまざま。日本の社会は複雑に絡み合った人間関係にみな悩み、生きていくのはなかなか大変なようである。上の友人の言葉は、こうした人間関係に悩むすべての人にあてはまるなあと思いつつ、手紙をもう一度しみじみ読む。

ここカンボジアもまた同じ。異国で暮らす以上、日本と比べればやはり生活習慣は違い、考え方も違う。まあそれが楽しいことでもあるのだが、頭でわかっていても、どうしてこうなるのだろうか?と思うことが日々の生活の中や、教えている学生を見ていてもしょっちゅう。まあいろいろなことがあるものだ。通常の理解レベルをこえていて笑えることや、もうあきらめの境地に達していることもあるが、これもまた、みな宇宙人と思って相手を理解し、受け入れないと。

情報化社会が発達する一方でコミュニケーション下手の人が増えているという。宇宙人はカンボジア人だけでなく、日本人同士でもまた同じ。そして自分もまた相手にとってみれば宇宙人なのである。国籍や老若男女問わず、相手を宇宙人と思って接し、理解し合い、受けいれれば、確かにたいていのことにはあまり腹をたてずにすみそうである。あなたの隣にいる宇宙人はどんな顔をしていますか?

今年の目標:楽しい日々を過ごすために、みな宇宙人と思い、相手を理解し受けいれよう!

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