よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

~ベトナムからカンボジアを思う~ がんばれカンボジア!

2006-09-28 11:07:50 | Weblog
お盆休みに私はカンボジアを脱出し、隣国ベトナムへと行って来た。バスでいっしょになった外国人旅行者が私に言った。「僕のイメージだとベトナムもカンボジアもなんとなく同じなんだよね。アジアのエキゾチックな国という程度しか知識もないし。ベトナムとカンボジアってやっぱり同じなの?」以前の私は彼と同じ意見であった。でも、今ははっきりとNOと言うことができる。それは日本と韓国くらいに、似て非なるものである。宗教も性格も人々も両者は大きく違う。そして、経済力も大きく違う。もちろん国土の広さも人口もまったく違うので、両者を一概に比べることはできないが、やはりベトナムはカンボジアを大きくリードしたようだ。私が初めてベトナムを訪れたのは今から10年以上も前の話だが、そのころならまだしも、いまやベトナムはいろいろな問題はあるにせよ、大きく前進している。ベトナムとカンボジアの発展度がどれくらい違うのだろうか。

身近な例をあげよう。カンボジアではカンボジア通貨のリエルもアメリカドルもほぼ同様に使える。それは便利な反面、それだけ、リエルが弱いということだ。かつてのベトナムは同じであった。しかし、今はどうだろう。ベトナムで友だちとレストランへ行ったときのこと。会計になって私がついついカンボジアのくせでドルを出してしまった。友だちは「やめてくださいよ!ここはベトナムなんだから!カンボジアじゃないんですよ」とあわてて一言。まだベトナムドンに両替していなかった私は結局友達にごちそうになった。もちろん今でも外国人向けのホテルやレストランなどは米ドルを歓迎し、米ドルで支払ったほうがうれしがるし、ドルで支払えないこともないのだが、一般のベトナム社会はすでにドンで動いているのだ。スーパーへ行っても、コンピューターの店へ行っても表示はすべて、ドン表示。ベトナムの会社員はいまや自分の給料はATMでベトナムドンで引き出し、カンボジアの会社員はしわしわの米ドル現金で給料をもらう。カンボジアのふつうの会社員は、ATMのカード、いや銀行口座すらないであろう。それくらいの差が両国にはある。

ホテルに帰ってテレビを見ていてまたもや気がついたことが一つ。ベトナムのケーブルテレビはいまや、日本と同じようにほとんどのプログラム(主に英語のチャンネル)にきちんとベトナム語字幕がついていた。これは驚きだ。ディスカバリーチャンネルも、スターチャンネルも、きちんとベトナム語字幕がついているではないか。日本やタイのテレビで当たり前のことも、一昔の前のベトナム、そして現在のカンボジアでは考えられないことである。カンボジアもケーブルテレビの加入率は首都プノンペンにおいてはかなりの高さ。ちなみに学校はケーブルをひいていないのだが(泣!)、この前クラスで学生に聞いたら、全員のうちにケーブルテレビがあった。みんなNHKを見られるのに、教師の私だけが見られない・・・。しかし、英語チャンネルは英語のまま、中国チャンネルは中国語のまま・・・。もちろん英語の勉強にはなるかもしれないが、ここでも両国の差を見せつけられた気がする。ケーブルテレビにカンボジア字幕がつくのはいつの日であろうか。がんばれカンボジア!!!

シェムリアップにて

2006-09-26 15:06:53 | Weblog
先日、カンボジアの連休を利用して、同僚の先生とシェムリアップへ行ってきました。同僚の先生はシェムリアップが初めてということでアンコールワットやトム、タ・プロムなど、王道の観光コースを行きました。久々に見る遺跡群は素晴らしく、来てよかったと心底思う旅行でした。初めてカンボジアに来た時感じたゆったりした気持ちとか、遺跡から見た景色に声を失ったことなど、色々なことを思い出す旅行となりました。

が、旅行で来ていた頃とは違い、住んでいる今、当時とはずいぶん違う気持ちにもなりました。まず、外国人料金の高さにびっくりです。「アサヒが1本1ドル!?ふざけんな!」「この距離で2500リエル!?プノンペンだと1000だよ!!」など、プノンペンの物価を知っている私達には喧嘩をうっているようにしか感じられない高さでした。そして改めて、シェムリアップでは暮らせないと確信しました。プノンペンと同じ物が平然と高値で売られているこの衝撃・・・怖い所です。
次に、なんて日本人が多いんだろうということです。行くところ行くところ、それはそれは日本人だらけでした。あまりにも日本人を見過ぎて、同僚の先生は少しホームシックにかかったようでした。しかもやはり日本人の若者はお洒落で綺麗だったため、カンボジア人並みのガン見をしてしまいました。そんな自分に少し悲しかったです。私にはあんな綺麗さはもはやない・・・
最後は、どんなに旅行していても国内旅行の私達。うちで見ていた韓国ドラマが気になるため、レストランの食事を持ち帰ってホテルで食べ、最終回を見逃すまいと予定を組んだ辺りは、なんだかいかにも在住って感じがしました。
振り返ると、また違った思いをしたシェムリアップ旅行となり、おもしろい旅だったように思います。
プノンペンに帰った時なぜかほっとしたことも新しい気持ちです。

交流って何だろう?

2006-09-17 11:13:32 | Weblog
先日、日本の大学生のサークルが学校にやってきた。学生を集めて小さなパーティーのようなものをやった。カンボジア人と日本人の交流会だという。ゲームをやって、歌を歌って、最後は彼らがもってきた日本の駄菓子を食べて歓談。カンボジア人の学生は大喜び。ふだんあまり日本人と話す機会もないし、同じ年ごろの日本人が9名も来たので、みんなわれもわれもと一生懸命話していて、ほほえましかった。会自体は大成功?で日本から来た大学生も満足しているようであったのでよかったと思う。

教師人は当日は当然裏方作業にまわるわけだが、日本語教師として会を見ていておもしろかったのは、日本の大学生が何かというと「交流」「交流」を連発することだ。「今日はみなさんと交流したいと思います!」「まずはこのゲームをやって交流しましょう!」「みなさん交流できたでしょうか?」「お菓子を食べながら交流してください!」「さいごは歌で交流してみたいと思います」「今日はみなさんと交流できてよかったです!」等々。2時間ぐらいの会の間に、彼らはいったい何回「交流」と言っただろうか。一方、カンボジア人学生はいったい何人が「交流」という言葉を理解できたのか?そして彼らのいう「交流」とはいったい何だったのだろうか?特に大きな事故もなく、双方の学生が楽しんだことで、教師としては満足だが、「交流」の意味だけがわからないまま会は無事に終了した。


カンボジアのお盆突入

2006-09-15 17:51:13 | Weblog
そろそろカンボジアのお盆「プチュンブン」である。この時期はみんな帰省したり、お寺に行ったりする。去年は学生といっしょに寺に行ったっけ。祝日は今年の場合9月21日から3日間だが、今回は土日をはさんで5日間。しかし、お盆の期間はすでに9月8日から始まっているという。信仰にあついおばちゃんなどはもうお寺にいっているらしい。こっちの人がお寺に行くときは、本当にみんなきれいにしていくので、すぐわかる。特に女の人は老いも若きも正装できれいなクメールの伝統的な衣装に身をつつんでいる。信仰心のない外国人にとってはただの休みだが、嫌なのはこの時期にすべてのものが高くなることだ。野菜なんて、まだお盆の休みの前なのに、「お盆だから」と難癖をつけてすごい値上がりよう。休みになるのはうれしいが、バスのチケットやバイクタクシーなど交通機関ものきなみその期間だけ高くなり、道も大渋滞、そしてどこへ行っても込んでいるとなると、プノンペン人を見習って、家にこもるほうがいいのかも・・・。

グッバイ ジーザス!

2006-09-15 17:50:20 | Weblog
仏教国カンボジアだが、意外にキリスト教徒も多く、学生にもぱらぱらとキリスト教徒がいる。ちなみにうちの学校の新しいセキュリティの男の子2名もキリスト教徒である。週末は日曜学校にも行っているようで、なかなか敬虔なクリスチャンかなと思っていたのもつかの間、仕事にもだんだん慣れ始めた昨今、神聖だった?キリスト教徒ボーイズにも異変が見え始めた。彼らに立ち向かう強大な敵が現れたのである。

彼らが信仰するイエスキリストをも打ち負かそうとしている敵とは、現代の情報源、インターネット。彼らもカンボジア人の健康な男子としての当然のごとく、エロ画像とチャットにはまってしまった。セキュリティは夜も学校に寝泊りしているのだが、ことの発端は新しくインターネットカフェ(学校はインターネットカフェも併設している)に新しく男のスタッフが入ったこと。元来、セキュリティーの二人はコンピューターも得意なほうではなく、まったくインターネットカフェのエリアにも立ち寄らなかった。それが、夜ふと見ると、インターネットスタッフとセキュリティスタッフ計3名の男子が1台のコンピューターの前にがん首をそろえてすわっている。年ごろの男たちがにやにや見ているものといえばただひとつ。エロサイトである。そして、インターネットスタッフよりチャットの手ほどきをうけていた。
ボスが問いただすと「見ていない」の一点張りだが、そこはコンピューターのすごさよ。しっかりエロサイトの履歴が残っている。そこまで知恵がまわらない浅はかさよ。コンピューターをうらめ。そしてキリストに懺悔せよ。エロサイトにおぼれ、うそをついた自分をはたしてイエスキリストは許してくれるのか?

禁断の果実をかじってしまった彼らの頭の中はもはや、女の裸でいっぱいのはず。懺悔もいざ知らず、最近は毎夜、インターネットの画面にかじりついている。ああ、敬虔なクリスチャンの精神はどこへいってしまったのであろうか?
グッバイジーザス!ウェルカムヴィーナス!