よもやまカンボジア

カンボジアの日本語学校で起こった不思議な出来事を…。

アンコールワットへ行ってきました。

2006-02-19 20:22:05 | Weblog
カンボジア滞在も2年を過ぎたが、アンコールワットを見ていなかった。なんとなく機会がなくずるずると時が過ぎ、みんなに驚かれながらも行かないままだったが、今回日本から母と妹が遊びに来るというので、それならと行って来た。アンコールワットやシェムリアップについてはみんなからかなりの情報を得ていたので、行くにあたりとくにすごい期待や不安というのはまったくなかったが、今回の旅行で驚いたことをいくつか。

1. シェムリアップはあまりに田舎であった。
これまで、シェムリアップはすごいいい!!と言う声を多々(特にシェムリアップ出身者などから)聞いてみたが、町はとにかく小さく一言でいって田舎であった。想像絶する田舎。というか勝手に私が想像していたのがいけないんだけど、なぜかみんなの話を想像するに、プノンペンよりいいところだと思っていたのだが、桃源郷はやはり存在しなかった。確かにホテル、レストランはかなり立派なものが多く、サービスレベルもプノンペンよりは高かったが、田舎であることにかわりなし。人々もやさしく、おだやかでいい人が多かったが、いかせん私には田舎すぎ。きらいな町ではないし、遊びに行くにはいいが、私には住めない。ちなみにシェムリアップには信号が2つしかない。単純にその事実に驚き。母は、町の中心部に来ても「いったいこの町の中心はどこにあるの?」とまだどこかほかににぎやかなところがあると信じていたようだ。

2. シェムリを制するのは韓国人か?
2005年のアンコールワット観光客トップは、韓国人。本当に韓国人が多く、レストランなども大変なことになっていた。あちこちにハングル文字が!韓国人は食事なども保守的なため、ツアー客もほぼ韓国料理しか食べないらしい。納得。それでも韓国語ガイドは不足していて、というかいなくて、ほとんどは韓国人ガイド(韓国語と英語)とカンボジア人のツアースタッフ(英語とクメール語)がセットでまわっているらしい。カンボジア人韓国語ガイドというのはほとんどいないらしい。やる気満々の日本語ガイドにどうして韓国語を学ぶ人が少ないのか?と尋ねたところ、まず第一に韓国語の学習機関が不足しているのと(シェムリアップで韓国語は初級程度しか学べないらしい)、韓国人ツアーを案内するより、日本人や欧米人のほうがいいらしい。言葉を濁していたが、ツアー中ずっと韓国料理のため、さすがのカンボジア人ガイドも辟易とか。ガイドいわく「ちょっとあれではおなかがたいへん」。それに国民性とか性格とか、まあいろいろあるのだろう。それにしても韓国人のビジネスの広げ方もすごく、もう少しするとシェムリの町はハングルだらけになるかもしれない。

3. やっぱりすごいぞ、アンコールワット
アンコールワットの遺跡自体はだいたい思っていたとおりで、ほほう!という感じだったが、これをカンボジア人たちが作ったかと思うと、正直心底驚いた。毎日接している、見ている現在のカンボジア人からはまったく想像ができない(失礼!)すごさである。その建築レベルの高さ、芸術性などどれもなかなかのものだ。本当にこんなものを何年もかけて人力で作り上げた当時の人々はいったいどんな人達だったのか?と思う。しかし、わが母と妹がひとこと。カンボジアの人って食べるものも豊かだし、特に何も考えていないようだから、帰って強く王様なんかに「これをやれ!」と命令されれば、文句なく毎日その仕事だけを黙々とやるのではないか?それこそ、町中みんなが同じ作業をやっていれば、だれ一人文句をいうことなく、こつこつと石を積み上げ、何の疑問も抱かないのではないか。一般のカンボジア人がすごいんじゃなくて、それを指揮した人達がすごいのであって、やっていた人達は何も考えずに、ただただ石を運んでいたのではないか?ということ。彼らにとってはそのほうが幸せだったのでは???
ちょっと納得。今でもそこらへんで、ごろごろしている人に食べ物と住居と少しのお金を与えるから、石を運べ!といったら喜んでやるに違いない。そして全員がそういうことを何年、何十年、何百人というスパンでやれば、そりゃあ中には数人、絵が上手だったら、彫刻のすごい人がでてくるかもしれないんじゃない?。するどい。たしかにそうかも。。。そこらへんでぼーっとしている若者やおっさん、ストリートチルドレンを集めて、衣食住を与えれば、それこそ朝から晩まで、石を運ぶぐらいはできる???

4. 日本語ガイドはまだまだ不足している
世界遺産らしく、日本人旅行者は本当に多かった。ふだんプノンペンでは旅行者の日本人にはめったにあわないが、シェムリアップでは遺跡はもちろん、ホテルもレストランもどこでも日本人はいた。それにともない日本語ガイドも多い。母と妹を案内していたガイドも日本語能力的にはたいしたことはなかったが(うちの中級の学生と同レベルか。漢字は100も書けなさそうだった)、毎日日本人に接しているせいか、驚くほど会話は流暢であった。自分の学生と比べると、かなりへこんだ。しかし、文法上の簡単なミスも多く、ついつい日本語教師的な目でチェックしてしまった。しかし、一般のお客さんはそんなことは全然気にならないようで、それよりも、そのものごしのやわらかさや、接客態度というものに目がいく。それを考えるにつれ、自分の学生を思い出し、彼らがガイドになる日は、日本語よりもそうした一般常識や接客という面で道がかなり遠いような気がした。ガイドはつねに集合時間よりも早く来てきちんと客を待っていた。日本人にとってはあまりに当たり前だが、カンボジア人にすっかりなれてしまった私にはそれだけで驚き!この人はすごい!と思ってしまった。学生を思い起こし、彼らにはちょっと無理と・・・。シェムリアップの観光業の人々は、生活がかかっているだけあって、本心は別にしても、一般の客に対する態度はプノンペンとは雲泥の差で、みなよくがんばっていた。しかし、シェムリアップのガイドでさえも、しっかり勉強しているのは本当にアンコールワット時代のみで、そのほかの質問をしても、全然答えられなかった。現在のカンボジアや世界情勢についてもしかり。がんばって勉強してくれ!!!!!

5. シェムリアップへの道は本当にきれいだった。
プノンペンからシェムリアップへの道はかなりきれいであった。バスでもすいすい。でも、バスは休憩時間が長くて、無駄な時間が多め。休憩所のご飯もいつもだったら1500リエルって感じのご飯が7000リエルもして、かなり不満。まあ、バスのチケットは安いから仕方ないけど。となりのおばちゃんは親切な人でよかったが、前後に座っていてカンボジア人がずっとゲーゲーはいていたのが、嫌だった。まあ、いつものことだけど。道がいいので、自分たちの車でいったらかなり早いんじゃないかと思う。ちなみに帰りは飛行機で帰ってきたが45分であっという間だった。ふだんバンコクやベトナムから飛ぶのとは違うルートで、空港へ向かって、自分が住んでいるプノンペンの町の真上を飛ぶのがいい感じだった。次回はトンレサップを通って船で行きたいものである。




カンボジアでいやなこと Vol.3 どろぼう

2006-02-06 16:34:44 | Weblog
どろぼう。この国に来るまでこの言葉を使わなかったような気がする。日本でもいまや強盗、ひったくり、ピッキングといった言葉はよく聞いても、このなんともまぬけなにひびきが残る「どろぼう」という言葉を聞かなくなってひさしい。しかし、ここカンボジアではバリバリの現役である。

どろぼうは本当に多くて、うちの学校だけでも何人もやられている。何もとられなくてもどろぼうはしょっちゅう来ている。これは何も日本人だから、外国人だからということではなく、カンボジア人であっても日常茶飯事だ。そしてどろぼうには、とられたほうが完全に悪い。訴えたところでどうすることもできず、どうにもならない。すべてはその人の自己責任である。

信じられないことにカンボジアの家の窓はどろぼう対策で、全部鉄格子が入っている。もし、地震や火事などがおこれば、絶対に脱出できず、アウトである。でもどろぼう天国のこの国で鉄格子なしの家に住むことは、どろぼうさんいらっしゃい!といっているようなものだ。なんせ、鉄格子があったって、その間から手をつっこんでくるのだから。

ある先生は窓際にかかっていたズボンのポケットに入っていたお金と窓際のテーブルに置いてあった電話と時計をやられ、ある先生はスカートやシャツ、ジーンズなど、隙間からでもするするととることのできる洋服類をすべてやられた。しかも、電気がついていて、人がいる部屋にである。人がいようといまいと、電気がついていようと、やつらは手を、棒をしのばせる。棒がなければそこらへんにあったハンガーを棒状にして、つっこむ。そして鉄格子のすきまからとれるもの、手が棒が届くありとあらゆるものをもっていく。

初めて聞いたときには本当に驚いたものだが、いまや驚くよりも対策をすべし。仕方がなく、私は1年中暑い部屋をしめきって、鍵をしめて寝ている。そして、夜中は何があっても部屋から出ない。ときどきとなり近所の「どろぼう!」というこえで目が覚めるが、恐いので見に行かない。私の部屋は3階だが油断はできない。平気で部屋の前を後を屋根をどろぼうが歩いている。朝おきると、足跡があってびっくりする。ときどき休憩でもしたのか、くだものの種などがちらばっていると、正直あきれる。だから、鍵かけはつねにチェックをおこたらず、2重ロックが欠かせない。このくそ暑い国でしめきってねるのは、本当につらい。もちろんエアコンはないので、蒸し風呂状態である。扇風機を回したところで、室内が異常に暑いので、結局回っているのも暑い空気である。あー、一度でいいから夜、窓をあけて涼しい風のなかで、寝てみたいものである。



カンボジアでいやなこと Vol.2 洗濯

2006-02-05 12:35:31 | Weblog
学生によく「先生、カンボジア人はどうですか」「カンボジアの生活はどうですか」とかよく聞かれるが、正直返答に困る。、カンボジア人を目の前にして、しかも彼らの限られた語彙で答えはいうのは難しいものである。教師としてうそをつくのもなんだけど、あんまり悪口をいっても気にさわるだろうし、そうかといってべた褒めというわけにもいかず。

私はカンボジアが嫌いではないが、カンボジアで生活していていやなことのひとつに、「洗濯」がある。こちらの単身赴任や独身男性の駐在員などが現地の女の子に落ちるひとつの代表例として「洗濯をしてくれる」というのがあるらしいが、その気持ちがよくわかる。こちらでは洗濯機はあることにはあるが、一般家庭にはまずない。最近でこそだいぶ普及してきたが、今まで100人以上の学生を教えてきて、洗濯機がある人はまだ一人も出会ったことがない。エアコンがあって、車を何台をもっている人も洗濯機は持っていない。たいていそういううちには何人もお手伝いさんがいるから、洗濯機なんて必要ない。人件費は洗濯機に比べて何倍も安いので。。。もちろん私たちの学校にもない。よって、手洗いである。日本では二層式からいまや全自動が当たり前、乾燥機付きだって珍しくない昨今、これはつらい。ひまなときはまだいいけど、疲れているときとか、ためてしまったとき、そしてジーンズなどの大物は本当にしんどい。私はどんなに仕事がうまくいかなくても、カンボジア人にむかついても、この国が嫌になることはないし、そこから日本へ帰りたい!とはあまり思わないが、ときどき洗濯をしていると、本当に日本に帰りたくなる。洗うのはまだいい。問題は絞るときである。シーツなどをしぼってもしぼっても水がしたたるのを見ていると、泣きたくなる。

とはいえ、人件費が安い分ランドリーサービスも安い。だいたいTシャツやズボンなどがひとつ500リエル(10円くらい)。カンボジア人も独身男性などはよくランドリーサービスを利用しているようだ。とはいえ、これも全部出すとなると馬鹿にならない。けっこうな金額になってしまう。そして、もちろんランドリーサービスも手洗いである。安い分、その扱いもすごい。洗っているところを見ると、ときどき出すのをひるむ。知らない人の真っ黒なズボンと自分の白いシャツがまじっているところを想像するだけでおそろしい。ついでに知らない人のパンツも汚いシャツも何でも全部一緒である。そして、何よりよく洗濯物がなくなり、ときにはアイロンでこがされたり、変な色をつけられたり。同僚もズボンをなくされたといっていた。こうしてランドリーからも足が遠のき、けっきょくまた自分で洗う。ああーしんどい。これでは洗濯してくれる女の子がほしくなるのも無理はない。



カンボジアでいやなもの Vol 1停電

2006-02-02 22:04:37 | Weblog
ここのところ毎日停電である。昨日は2時から5時までと6時半から8時半まで。ちなみに昨日は水もストップした。かなりブルー。そして今日もまたまた停電。今日は6時半から。停電にももうなれたし、誰にも文句をいうこともできないので、どうすることもできないが、困るのは授業。日中は暑ささえがまんすれば、どうにかなるが、夜はさすがにむり。みのまわりのことは懐中電灯やキャンドルでどうにかできるが、クラスとなるときびしい。それでも以前はろうそくをたててがんばったりしたものだが、こうして毎日の停電となるとつらい。旧正月あけでやっと授業がはじまったばかりというのに、夜のクラスはまだ1度も授業ができない。ああ、またすすまない。

頭にくるのは、この停電が意図的に行われていることだ。災害やトラブルでやむをえなくというのならわかるが、こちらは限られた電力を有効的にまわすため、意図的に各エリアの電気を切っている。今日もはかったように6時半に電気が切れた。一方ですぐ近くであっても、おそらく誰か偉い人がすんでいるだろうエリアは絶対に停電にならない。停電にするな!ともいえないが、せめて意図的な停電であれば事前に知らせてほしいものである。わかっていればほかの時間にするなり、事前に告知するなりできるのだが。。。授業を準備してさあやろう!と思っていきなり停電はもう簡便してほしい。日本のようにちょっとした工事であっても、事前に各家庭にお知らせをくばるのが無理であっても、せめてテレビやラジオで今日は○時から○時まで●●エリアが停電です、などとアナウンスをしてくれればいいのだが。。。

学生はなれっこのようで、ふつうにやってきて、停電とわかるとふつうに帰っていく。でも学費も安いわけではないので、あまりに連日停電が続くと、なかには文句をいう学生も少しは出てきた。

明日は授業ができるだろうか?

来たくて来ている人と来たくないけど来ている人

2006-02-01 16:12:44 | Weblog
旅行者はカンボジアへ来たいから、遊びに来る。アンコールワットを見たい、アジアを放浪したい、タイのついでに寄って見る、理由はともあれそれなりの時間があり、お金があり、余裕があって、来たいから来る。日本語教師である私も自分で求人を見て応募し、ここへ来ているのでまあ好き好んでこの地に来ているうちの一人だろう。嫌なら別に帰ればいいわけで、そもそも来たくないなら、応募しなければいい。

ここプノンペンにも意外に日本人は多く、いろいろな日本人がいる。いろいろな志をもって活動しているNGO職員や国際機関の職員、研究者、留学生といった人たちも、多かれ少なかれ、自らチョイスしてきているわけだから、まあいいだろう。青年海外協力隊もしかり。もちろんカンボジアが好きでこちらに来ている人も問題ない。なかにはいわくつきの理由がある人もいるだろうが、その人たちも何らかの理由があってここにしかいられないのだから、まあ仕方がない。

でも、一方で同じ日本からカンボジアへ来ている人でも駐在員やその家族など、必ずしも自ら欲してこの地に来ている人ばかりではない。もちろん人によってさまざまな背景があるだろうが、おそらく上からの辞令では、基本的に選択の余地はないだろう。私も日本のサラリーマンをやっていたので、そこらへんはわかる。最近は制度もかわりつつあるだろうが、ここカンボジアへ駐在員を置くような大きな会社はやはりまだまだ日本体質がぬけていないに違いない。そのうえその家族と来たら、お父さん(お母さんもまれにある)の仕事の都合で何もわからないままやってくる。奥さんはもちろん、子どもに選択の余地はほとんどない。

薄給の私たちに比べればその人たちの生活は豪華アパートメントやヴィラでの、運転手付きの夢のような生活だが、それは私たちが来たくて来ているからこそ、うらやましい生活であって、しぶしぶ来ている人にはいくらメイドやコック、運転手がいても、やはりつらい生活はつらい生活であろう。意外にもこちらの生活になじんでいる人、楽しんでいるの人もいるにはいるが、会社の命令である以上、あきらめている人、任期の間はがまんする人など、人によっていろいろあるだろうが、やはり自ら来ている私に比べれば大変なことが多いに違いない。アメリカやヨーロッパ、アジアでもバンコクやシンガポールならいざ知らずここカンボジアでの生活は現代においてもいろいろ大変であろう。ここ数日「沈まぬ太陽」(山崎豊子著)を連日深夜まで読みふけりつつ、僻地への赴任は大変だろうなあとしみじみ思う今日このごろ。