カンボジア滞在も2年を過ぎたが、アンコールワットを見ていなかった。なんとなく機会がなくずるずると時が過ぎ、みんなに驚かれながらも行かないままだったが、今回日本から母と妹が遊びに来るというので、それならと行って来た。アンコールワットやシェムリアップについてはみんなからかなりの情報を得ていたので、行くにあたりとくにすごい期待や不安というのはまったくなかったが、今回の旅行で驚いたことをいくつか。
1. シェムリアップはあまりに田舎であった。
これまで、シェムリアップはすごいいい!!と言う声を多々(特にシェムリアップ出身者などから)聞いてみたが、町はとにかく小さく一言でいって田舎であった。想像絶する田舎。というか勝手に私が想像していたのがいけないんだけど、なぜかみんなの話を想像するに、プノンペンよりいいところだと思っていたのだが、桃源郷はやはり存在しなかった。確かにホテル、レストランはかなり立派なものが多く、サービスレベルもプノンペンよりは高かったが、田舎であることにかわりなし。人々もやさしく、おだやかでいい人が多かったが、いかせん私には田舎すぎ。きらいな町ではないし、遊びに行くにはいいが、私には住めない。ちなみにシェムリアップには信号が2つしかない。単純にその事実に驚き。母は、町の中心部に来ても「いったいこの町の中心はどこにあるの?」とまだどこかほかににぎやかなところがあると信じていたようだ。
2. シェムリを制するのは韓国人か?
2005年のアンコールワット観光客トップは、韓国人。本当に韓国人が多く、レストランなども大変なことになっていた。あちこちにハングル文字が!韓国人は食事なども保守的なため、ツアー客もほぼ韓国料理しか食べないらしい。納得。それでも韓国語ガイドは不足していて、というかいなくて、ほとんどは韓国人ガイド(韓国語と英語)とカンボジア人のツアースタッフ(英語とクメール語)がセットでまわっているらしい。カンボジア人韓国語ガイドというのはほとんどいないらしい。やる気満々の日本語ガイドにどうして韓国語を学ぶ人が少ないのか?と尋ねたところ、まず第一に韓国語の学習機関が不足しているのと(シェムリアップで韓国語は初級程度しか学べないらしい)、韓国人ツアーを案内するより、日本人や欧米人のほうがいいらしい。言葉を濁していたが、ツアー中ずっと韓国料理のため、さすがのカンボジア人ガイドも辟易とか。ガイドいわく「ちょっとあれではおなかがたいへん」。それに国民性とか性格とか、まあいろいろあるのだろう。それにしても韓国人のビジネスの広げ方もすごく、もう少しするとシェムリの町はハングルだらけになるかもしれない。
3. やっぱりすごいぞ、アンコールワット
アンコールワットの遺跡自体はだいたい思っていたとおりで、ほほう!という感じだったが、これをカンボジア人たちが作ったかと思うと、正直心底驚いた。毎日接している、見ている現在のカンボジア人からはまったく想像ができない(失礼!)すごさである。その建築レベルの高さ、芸術性などどれもなかなかのものだ。本当にこんなものを何年もかけて人力で作り上げた当時の人々はいったいどんな人達だったのか?と思う。しかし、わが母と妹がひとこと。カンボジアの人って食べるものも豊かだし、特に何も考えていないようだから、帰って強く王様なんかに「これをやれ!」と命令されれば、文句なく毎日その仕事だけを黙々とやるのではないか?それこそ、町中みんなが同じ作業をやっていれば、だれ一人文句をいうことなく、こつこつと石を積み上げ、何の疑問も抱かないのではないか。一般のカンボジア人がすごいんじゃなくて、それを指揮した人達がすごいのであって、やっていた人達は何も考えずに、ただただ石を運んでいたのではないか?ということ。彼らにとってはそのほうが幸せだったのでは???
ちょっと納得。今でもそこらへんで、ごろごろしている人に食べ物と住居と少しのお金を与えるから、石を運べ!といったら喜んでやるに違いない。そして全員がそういうことを何年、何十年、何百人というスパンでやれば、そりゃあ中には数人、絵が上手だったら、彫刻のすごい人がでてくるかもしれないんじゃない?。するどい。たしかにそうかも。。。そこらへんでぼーっとしている若者やおっさん、ストリートチルドレンを集めて、衣食住を与えれば、それこそ朝から晩まで、石を運ぶぐらいはできる???
4. 日本語ガイドはまだまだ不足している
世界遺産らしく、日本人旅行者は本当に多かった。ふだんプノンペンでは旅行者の日本人にはめったにあわないが、シェムリアップでは遺跡はもちろん、ホテルもレストランもどこでも日本人はいた。それにともない日本語ガイドも多い。母と妹を案内していたガイドも日本語能力的にはたいしたことはなかったが(うちの中級の学生と同レベルか。漢字は100も書けなさそうだった)、毎日日本人に接しているせいか、驚くほど会話は流暢であった。自分の学生と比べると、かなりへこんだ。しかし、文法上の簡単なミスも多く、ついつい日本語教師的な目でチェックしてしまった。しかし、一般のお客さんはそんなことは全然気にならないようで、それよりも、そのものごしのやわらかさや、接客態度というものに目がいく。それを考えるにつれ、自分の学生を思い出し、彼らがガイドになる日は、日本語よりもそうした一般常識や接客という面で道がかなり遠いような気がした。ガイドはつねに集合時間よりも早く来てきちんと客を待っていた。日本人にとってはあまりに当たり前だが、カンボジア人にすっかりなれてしまった私にはそれだけで驚き!この人はすごい!と思ってしまった。学生を思い起こし、彼らにはちょっと無理と・・・。シェムリアップの観光業の人々は、生活がかかっているだけあって、本心は別にしても、一般の客に対する態度はプノンペンとは雲泥の差で、みなよくがんばっていた。しかし、シェムリアップのガイドでさえも、しっかり勉強しているのは本当にアンコールワット時代のみで、そのほかの質問をしても、全然答えられなかった。現在のカンボジアや世界情勢についてもしかり。がんばって勉強してくれ!!!!!
5. シェムリアップへの道は本当にきれいだった。
プノンペンからシェムリアップへの道はかなりきれいであった。バスでもすいすい。でも、バスは休憩時間が長くて、無駄な時間が多め。休憩所のご飯もいつもだったら1500リエルって感じのご飯が7000リエルもして、かなり不満。まあ、バスのチケットは安いから仕方ないけど。となりのおばちゃんは親切な人でよかったが、前後に座っていてカンボジア人がずっとゲーゲーはいていたのが、嫌だった。まあ、いつものことだけど。道がいいので、自分たちの車でいったらかなり早いんじゃないかと思う。ちなみに帰りは飛行機で帰ってきたが45分であっという間だった。ふだんバンコクやベトナムから飛ぶのとは違うルートで、空港へ向かって、自分が住んでいるプノンペンの町の真上を飛ぶのがいい感じだった。次回はトンレサップを通って船で行きたいものである。
1. シェムリアップはあまりに田舎であった。
これまで、シェムリアップはすごいいい!!と言う声を多々(特にシェムリアップ出身者などから)聞いてみたが、町はとにかく小さく一言でいって田舎であった。想像絶する田舎。というか勝手に私が想像していたのがいけないんだけど、なぜかみんなの話を想像するに、プノンペンよりいいところだと思っていたのだが、桃源郷はやはり存在しなかった。確かにホテル、レストランはかなり立派なものが多く、サービスレベルもプノンペンよりは高かったが、田舎であることにかわりなし。人々もやさしく、おだやかでいい人が多かったが、いかせん私には田舎すぎ。きらいな町ではないし、遊びに行くにはいいが、私には住めない。ちなみにシェムリアップには信号が2つしかない。単純にその事実に驚き。母は、町の中心部に来ても「いったいこの町の中心はどこにあるの?」とまだどこかほかににぎやかなところがあると信じていたようだ。
2. シェムリを制するのは韓国人か?
2005年のアンコールワット観光客トップは、韓国人。本当に韓国人が多く、レストランなども大変なことになっていた。あちこちにハングル文字が!韓国人は食事なども保守的なため、ツアー客もほぼ韓国料理しか食べないらしい。納得。それでも韓国語ガイドは不足していて、というかいなくて、ほとんどは韓国人ガイド(韓国語と英語)とカンボジア人のツアースタッフ(英語とクメール語)がセットでまわっているらしい。カンボジア人韓国語ガイドというのはほとんどいないらしい。やる気満々の日本語ガイドにどうして韓国語を学ぶ人が少ないのか?と尋ねたところ、まず第一に韓国語の学習機関が不足しているのと(シェムリアップで韓国語は初級程度しか学べないらしい)、韓国人ツアーを案内するより、日本人や欧米人のほうがいいらしい。言葉を濁していたが、ツアー中ずっと韓国料理のため、さすがのカンボジア人ガイドも辟易とか。ガイドいわく「ちょっとあれではおなかがたいへん」。それに国民性とか性格とか、まあいろいろあるのだろう。それにしても韓国人のビジネスの広げ方もすごく、もう少しするとシェムリの町はハングルだらけになるかもしれない。
3. やっぱりすごいぞ、アンコールワット
アンコールワットの遺跡自体はだいたい思っていたとおりで、ほほう!という感じだったが、これをカンボジア人たちが作ったかと思うと、正直心底驚いた。毎日接している、見ている現在のカンボジア人からはまったく想像ができない(失礼!)すごさである。その建築レベルの高さ、芸術性などどれもなかなかのものだ。本当にこんなものを何年もかけて人力で作り上げた当時の人々はいったいどんな人達だったのか?と思う。しかし、わが母と妹がひとこと。カンボジアの人って食べるものも豊かだし、特に何も考えていないようだから、帰って強く王様なんかに「これをやれ!」と命令されれば、文句なく毎日その仕事だけを黙々とやるのではないか?それこそ、町中みんなが同じ作業をやっていれば、だれ一人文句をいうことなく、こつこつと石を積み上げ、何の疑問も抱かないのではないか。一般のカンボジア人がすごいんじゃなくて、それを指揮した人達がすごいのであって、やっていた人達は何も考えずに、ただただ石を運んでいたのではないか?ということ。彼らにとってはそのほうが幸せだったのでは???
ちょっと納得。今でもそこらへんで、ごろごろしている人に食べ物と住居と少しのお金を与えるから、石を運べ!といったら喜んでやるに違いない。そして全員がそういうことを何年、何十年、何百人というスパンでやれば、そりゃあ中には数人、絵が上手だったら、彫刻のすごい人がでてくるかもしれないんじゃない?。するどい。たしかにそうかも。。。そこらへんでぼーっとしている若者やおっさん、ストリートチルドレンを集めて、衣食住を与えれば、それこそ朝から晩まで、石を運ぶぐらいはできる???
4. 日本語ガイドはまだまだ不足している
世界遺産らしく、日本人旅行者は本当に多かった。ふだんプノンペンでは旅行者の日本人にはめったにあわないが、シェムリアップでは遺跡はもちろん、ホテルもレストランもどこでも日本人はいた。それにともない日本語ガイドも多い。母と妹を案内していたガイドも日本語能力的にはたいしたことはなかったが(うちの中級の学生と同レベルか。漢字は100も書けなさそうだった)、毎日日本人に接しているせいか、驚くほど会話は流暢であった。自分の学生と比べると、かなりへこんだ。しかし、文法上の簡単なミスも多く、ついつい日本語教師的な目でチェックしてしまった。しかし、一般のお客さんはそんなことは全然気にならないようで、それよりも、そのものごしのやわらかさや、接客態度というものに目がいく。それを考えるにつれ、自分の学生を思い出し、彼らがガイドになる日は、日本語よりもそうした一般常識や接客という面で道がかなり遠いような気がした。ガイドはつねに集合時間よりも早く来てきちんと客を待っていた。日本人にとってはあまりに当たり前だが、カンボジア人にすっかりなれてしまった私にはそれだけで驚き!この人はすごい!と思ってしまった。学生を思い起こし、彼らにはちょっと無理と・・・。シェムリアップの観光業の人々は、生活がかかっているだけあって、本心は別にしても、一般の客に対する態度はプノンペンとは雲泥の差で、みなよくがんばっていた。しかし、シェムリアップのガイドでさえも、しっかり勉強しているのは本当にアンコールワット時代のみで、そのほかの質問をしても、全然答えられなかった。現在のカンボジアや世界情勢についてもしかり。がんばって勉強してくれ!!!!!
5. シェムリアップへの道は本当にきれいだった。
プノンペンからシェムリアップへの道はかなりきれいであった。バスでもすいすい。でも、バスは休憩時間が長くて、無駄な時間が多め。休憩所のご飯もいつもだったら1500リエルって感じのご飯が7000リエルもして、かなり不満。まあ、バスのチケットは安いから仕方ないけど。となりのおばちゃんは親切な人でよかったが、前後に座っていてカンボジア人がずっとゲーゲーはいていたのが、嫌だった。まあ、いつものことだけど。道がいいので、自分たちの車でいったらかなり早いんじゃないかと思う。ちなみに帰りは飛行機で帰ってきたが45分であっという間だった。ふだんバンコクやベトナムから飛ぶのとは違うルートで、空港へ向かって、自分が住んでいるプノンペンの町の真上を飛ぶのがいい感じだった。次回はトンレサップを通って船で行きたいものである。