僕について

人生も半ば? 誰かの役に立つかもしれないから、自分自身について語っておこうと思って。超私的blog。他2つもよろしく。

いつかは誰でも・・・

2006-07-13 19:00:00 | Weblog(まあ日記です。)
甲斐智枝美さん自殺だった!不整脈に悩む (日刊スポーツ) - goo ニュース

僕の身近でも昔そういうことがありました。当時は人間いずれ必ず死ぬのだから自ら命を落とすなんてとずいぶん思いました。しかし、本人は生前よく言っていたのを思い出します。健康で年を取って、ポックリ逝きたいと、病気で周りに迷惑をかけるような死に方はしたくないと。年老いて迷惑をかけることがいやだったようです。醜い生き様をさらすより、潔く死にたいという気持ちがあったようです。今考えると有言実行だったわけです。

しかし、僕には未だにその気持ちを理解する至っていません。

甲斐智枝美さん、僕と同じ43歳。やはり僕の知り合いと同じ気持ちだったのでしょうか。

人は生まれたときには親に全面的に面倒を見てもらわなければ生きて行けません。年を取って、体の自由が利かなくなればまた誰かの世話になります。病気や怪我をすれば誰かに助けを借ります。病気や怪我から障害になれば、誰かに頼らなければならない場合もあります。生まれながらに障害を持っていれば、より長く親の世話になります。場合によっては一生かもしれません。

自ら命を絶ってしまうことが潔いことなのでしょうか。未だに悟り開けず。

やはり僕は楽天家のようです。
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4 コメント

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意気地なしなんで (にっと)
2006-07-13 20:12:31
にっともま~ なかなか自分で命を絶つなんて 想像もできませんね^^;



どちらかというと “生"にしがみついていそうです^^;



幼稚園児のときに 祖父の死を見て 初めて 死ぬということを 知ったのですが どうにも 未だに あの 焼かれる(イスラム教徒ではありませんが)というのに 抵抗を感じています^^; 昔にくらべると まだましですけどね^^



ま~ 魂のようなものが 死んでも 残っているっていう 感覚があったのでしょう 自分自身が消滅することが理解できなかったんですね^^;



だとしたら 熱いですもんねw
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同学年ですよね (jungle)
2006-07-13 22:26:39
43歳,男だったら後厄なんて言われて,身体の調子が崩れる時のようですね。



少し前まで,死というものをそんなに意識したことはありませんでした。



ところが,子供が出来てからというもの,あと何年生きられるのかとか,病気になったらどうしようとか,やたらと気になるようになりました。



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にっとさん (joyuki)
2006-07-14 16:57:57
僕も自分で命を絶つなど想像もつきません。でも、日々、電車へ飛び込む人が絶えませんね。



僕が死に直面したのはずいぶん遅いんです。父方の祖父母は遙か昔に他界していたので、母方の祖父が亡くなったのが最初でした。会社に入って数年してからです。そのときは初めてのことでショックでした。その後、父。これはものすごくショックでした。次に、叔父、祖母となくなりましたが、変な言い方ですが、父の死で慣れてしまいました。死よりも生きている人を方が相手にする方が遙かに大変だということが、わかったからかもしれません。
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jungleさん (joyuki)
2006-07-14 17:04:19
そうですね。同じ年の人が亡くなるのはショックです。厄年もようやく終わりです。父親のなくなったときは、死と言うことを意識した時期もありました。最近はまたあまり意識しなくなりました。体が弱って、死が近づいたときに、自分自身の心がどう変化するかなのでしょうね。



一応自分が死んだら、家のローンは保険で全て支払われるし、家族はその家を売って、フィリピンへ移り住めばいいので、安心です?
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