カボチャの部屋

お菓子をいっぱい貰うためだよ(trick or treat!)

詭弁術

2013年08月29日 | 社会
なんかの記事だったと思うけれど、
「日本は海外からモノを輸入し、加工し、国内に売ることによる加工貿易によって経済成長を遂げてきた」
っていうような文章を見たんだけれど、加工貿易ってそんな意味で使われてたっけ・・・?
って思ったわけですな。
一般的には、海外からモノを買ってきて、加工して海外に売るっていうのを加工貿易として使われていた気がするんだけれど。。。
それまで加工貿易日本!加工貿易日本!って繰り返し言ってきたから言葉の中身を変えてごまかそうということなのかなぁ。。。

論理的思考と直感的思考③~思考力を鍛える~

2013年08月23日 | 社会
死刑とは別の題材で考えてみる。
今はほとぼりも冷めてきた原子力発電の是非を題材にしたいと思う。
さて。
原発賛成派は、主に以下のような主張を持っている。
・低線量の放射線は人体に影響がない
・原子力発電は火力にも勝るコストのよい発電方法である
・核物質を保有していることは、安全保障に貢献する
一方原発反対派の主な主張は以下の通り。
・低線量の放射線であっても人体に影響がないとは言い切れない
・原子力発電は、事故が起こった今となってはコストの高い発電方法である
・原子力発電所がテロの対象となる場合がある。それを考えればむしろ安全保障を脅かすものだ
このように、賛成反対両陣営で、その主張の理由も分断されているケースが少なくない。
けれど、これって実は奇妙な事なんだよね。
なぜなら、上記の理由は相互に関係がないから。
原子力のコストと、低線量の放射線が人体に影響を与えるかどうかはなんの関係もない。
このことは、自分の主張を補強してくれるものならなんでも採用してしまう人が少なくないことを示している。
もっとも、おおっぴらに聞いたら頷く人は希だろうけどねw
彼らの無意識の思考パターンは、原発に賛成/反対だから、~の理由が挙げられて、そして一層原発に賛成/反対の姿勢を強める。
こういうのは知性の劣化と思うんだけれど、今の日本だからそういう人が多いのか、昔っからこうなのか、世界中見渡してもこんなもんなのか気になるところではあるな。

しつこく死刑賛成反対を例に出すと、この賛否は大体の人が一瞬で結論を出せる話なんだよね。
例えばアメリカが金融緩和を続けることに賛成ですか?
って質問を受けた場合、多くの人間は即座に答えを出せず、その状態から結論を導こうと思ったら、メリットデメリットを勘案して「~のところでデメリットがあるけれど~のところでそれを補ってあまりあるメリットがあるから賛成」というような意見になるはず(ならない場合もあるだろうけど)。
価値観に関わるような問題においては、全面的に良いとか全面的に悪いとか極端な意見が生じやすいのよな。
全面的に、っていうのは、
極端な原発賛成派の主張を例にとると
・低線量の放射線は人体に影響がない
・原子力発電は火力にも勝るコストのよい発電方法である
・核物質を保有していることは、安全保障に貢献する
という感じでどの理由をとっても原発を肯定するものばかりということね。

絶対に自分の主張が変わってはいけない、それを揺らがすものは全て排除しなければならない、っていうなんとも強迫的なものを感じるなぁ。
議論の場においては特に、論破されたら違う論理を持ち出してくる、っていうことを延々と続ける人が散見されるけれど、自分の主張に筋が通らなくなった時のための保険として担ぎ出してくる感がある。
間違ってるんじゃないかと思ったら、素直に考え直せばいいのになぁ。。。
落ち着いて、いろいろ新しい条件を付加して考えれば、物事の見え方は全然違って見えることがあるわけで、以前だったらありえないと思っていたようなことだって当然のものとして受け入れられるようになる。
自分の思考の妥当さを検証しなおすのがめんどうなのかな。

論理的思考と直感的思考②~死刑にまつわる考え方~

2013年08月22日 | 社会
死刑について賛成反対っていうのは、自分としてはそこまで興味のあることではないんだけれど、これにまつわる考え方について考えるのが面白い。
死刑という問題については、多くの人間にとってセンシティブな問題で、そんなことはどうでもいいよっ、って人は少ないしね。
意見は尽きない。
まあ見たような意見だなぁ、っていうのはいつものことなんだけれど。
さてさて。
ここで考えたいのは、死刑そのものの議論じゃなくて、死刑の議論をするときに行われる人間の思考である。
具体的には、例えば「税金で犯罪者を養うのは馬鹿げている、だから死刑に賛成だ」という意見があったとする。
ならば問いたい。死刑に処す方がコストが高かったら、あなたは死刑に反対するのか?
あるいは「冤罪があるから死刑には反対だ」という意見があったとする。
それならば、どこまで冤罪の可能性が下がれば死刑に賛成できるのか?
多くの人間は、論理的に考えてなどいないのではないか?
直感的に選択を下し、それを支えるために適当な理屈を持ち出しているのではないか?

悲しいかな、死刑について、賛成派も反対派もそのほとんどがどのような環境に変化しても、未来永劫死刑に賛成/反対を主張しているように見える。
正直これじゃあ話にならんよな。
なにせ、どちらも永久に自分の意見を変える気がないんだから。
条件が変われば、条件に依存している結論が変わりうるのは当然だと思うんだけどなぁ。

論理的思考と直感的思考①

2013年08月19日 | 社会
人間は直感的生き物である。
多くのものを考えるとき、人間は直感から入る。
そして、その直感によって導き出された結論を保証する理屈を見つけ出し安心する。
人間の思考は概して直感的である。
直感的な人間の思考を、論理的な思考へと昇華させるためには、二つの問に答える必要がある。
一つには、どういう条件ならばその結論を変じさせることが可能となるか。
もう一つには、その条件に至るためには、どのようか過程が必要であるか。
具体例を挙げよう。
例えば、「死刑に賛成か反対か」を問われて、たやすくその結論を答えられる人間は少なくないはずだ。
「死刑に賛成する。死刑をやめたら犯罪が増える。」
しかし、もし、死刑が犯罪の抑止に効果がないという客観的データを示された場合、その人間は自分の主張を反転させることができるだろうか?
このようなケースに直面した場合、多くの人間がとる方法は結論はそのままに別の理由を持ってくることだ。
「被害者の気持ちを思えば、犯人を極刑にしなければならないのはあたり前だ。」・・・・・・・。
論理的思考のもとに、現状に対する問題の認識から結論へ向かって導き出された結論であるならば、結論は現状の変化に依存する。
導き出された結論が、存在する問題に対する手段であるならば、状況の変化に対してその手段は変化するはずだ。
万病の薬、万事に対する解決策などは存在しないからだ。
したがって、その結論を下すための条件が明確ならば、それは理論的思考に基づいた結論ではないか、と考えられる。
しかし、これには例外がある。
それは、その条件自体が現実には存在し得ない稀有な例、無理難題である場合だ。
同一の例えを持ち出すならば、「世界に犯罪が存在しなくなれば、意見を変えてもいい」というものだ。
世界に犯罪が存在しなくなるには、そもそも法律がなくなるか、人類が死滅することでもなければありえないであろう。
それはすなわち、半永久的に自分の意見は変わることはないということを意味する。
どのような環境の変化に対しても、自分が下した結論は変わらない。
一見芯の通った考え方のようにも思えるが、このような人間とは対話が成り立たない。
一方的に自分の主張を押し付けるのみであり、他人の意見を取り入れる気はさらさらないのである。
結論が環境に依存しないということから、これは直感的思考による判断とみなしてよい。
ここで、もう一つの条件を迫る必要性が生ずる。
その条件に至るためには、どのようか過程が必要であるか。
もし、自分の主張を展示させるような環境は、どのような条件下で発生するか。
これが空白であるならば、その意見は直感的思考の元に導き出された結論だと断じてよいのでないだろうか。
それは、直感的思考から脱し論理的思考へと思考の段階を繰り上げるための方法も、ここに存することを意味する。
どういう条件ならばその結論を変じさせることが可能となるか。
その条件に至るためには、どのようか過程が必要であるか。
その問いを、常に自分にぶつけることである。
それに答えられるようになって初めて、人間は自分と異なる意見を取り入れることが可能となり、自らの思考の精度を高めていくことが可能となるのである。



聞いたような話だなぁ、と思うだろうけど、論理的思考と直感的思考と題して論文っぽいのを書いてみた。
断っておくけど、死刑についての話は、論理的思考と直感的思考の違いを表す好例として取り上げただけで他意はない。
死刑反対派も結論ありきで話しているのがほとんどだしね。

論理的思考というのは現状認識から結果が導き出される。
直観的思考というのは本来結論を導出するための論理が、結論に対して従属している状態を指す。
もっと砕けた例でいけば、「江頭はどうにも受け付けない。なぜなら~」
っていう、なぜなら以下の論理をすべて論破したところで、その人が江頭さんを好きになるわけではないw
当然ではあるけど。
問題は、直観的思考そのものではなくて、直観的思考によって導き出された結論を論理的思考によって導かれた結論だと錯覚すること。
江頭さんの例でいえば、まずはじめに結論が出てきて、それに従属する形で理由が手繰られているわけだけれど、「理由があって結論が導き出される」という先入観が、論理的な思考の結果、江頭さんが嫌いだ、というように勘違いをさせる。
まあ、この例だと論理的に好き嫌いを考えるってことがおかしいのかもしれないけれど。

死刑反対論でも例を挙げると「冤罪の可能性があった場合、取り返しがつかない」とかっていうのがあるけれど、そっちについても分が悪くなると別の理由を持ち出すわけだな。
理由が否定されても結論には影響ないっておかしくないか?
その結論は一体どこから導かれたんだ?
と思うわけだが。
自分もつい結論ありきで考えてしまうことはあるはずだけれどね。
人間にはプライドがあるし、今まで頼ってきたイデオロギーを否定するのは少なくない苦痛を伴うからなぁ。。。

日本国憲法7条4号

2013年08月08日 | 政治
日本国憲法7条4号には誤植があるみたいだな。
7条4号は、『国会議員の総選挙の施行を公示すること。』
となっているんだけれど、総選挙は衆議院だけで、参議院は半数の改選だから総選挙じゃないのよねぇ。
だから、本来であれば「総」の字をとって『国会議員の選挙の施行を公示すること。』とするべきだった。

wikipediaに載っている解説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC7%E6%9D%A1#.E7.AC.AC4.E5.8F.B7
本号には「国会議員の総選挙」とあるが、衆議院議員に関する「総選挙」のみならず、参議院議員の(半数改選である)「通常選挙」も含まれる。
衆議院議員の総選挙の公示は、公職選挙法第31条第4項の規定に従い、総選挙の期日の少なくとも12日前になされる。参議院議員の通常選挙の公示は、公職選挙法第32条第3項の規定に従い、通常選挙の期日の少なくとも17日前に公示される。その方法としては、官報への公示に関する詔書の掲載という体裁をとる。
なお、「国会議員の総選挙」について西修は、「GHQの草案では一院制になっていたので『国会議員の総選挙』が存在しており、一院制を前提にした規定が二院制になった際に修正漏れとなったもの」と主張している(文春新書「日本国憲法を考える」)。

雑に作りすぎだろ日本国憲法・・・・・・

日本政府の長期債務残高と長期金利の推移

2013年08月06日 | 経済
三橋貴明先生の13年06月15日掲載のブログから拝借した図。
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/20130618-1.jpg


国及び地方の長期債務残高が増えるほどに、十年物国債の金利が下がっているというね。
普通企業や家計の債務がどんどんと膨らんでいけば、貸す方がびびって金利は上がっていってしまう。
どこの消費者金融も貸してくれなくなって、闇金に行くことを考えれば納得がいくかもしれないw
けれど、上記の図ではそれが成立していない。
なぜかというと、民間の資金需要が低下しすぎていることが挙げられると思う。

またまた三橋先生のブログから拝借。
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/20110908-1.jpg


ちょっとデータが古いというのはあるかもしれないけれど、これを見ると国民による銀行への預金が増えているにもかかわらず、その分を貸出にまわせず預金超過額が拡大していることがわかる。
つまり、銀行はデフレでカネ余り状態にあるわけね。
だからこそ低金利で政府は国債を発行できる。
デフレを脱却して、企業がどんどん銀行から融資をうけるようになったら?
そのときには企業がどんどん投資を行うわけだから税収が増えてしまうのよね。。。
まあそもそも日本の国債は100%日本円建てだから、デフォルトとかはないんだけれど。

麻生さんの発言について

2013年08月05日 | 時事ニュース
麻生さんの発言についての記事で、面白いのがこの記事かなぁ。
http://blogos.com/article/67505/
この記事によると、初出は朝日じゃないらしい(ここは勘違いしていたな)。
最初にこだわったのは共同通信記事で、朝日新聞は最初と方向を180度転換。
7月29日には
『■麻生太郎副総理

 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。(東京都内で開かれたシンポジウムで)』
としていたものを、8月2日には
『 麻生氏は先月29日のシンポジウムで、日本の憲法改正論議を「狂騒の中でやってほしくない」としたうえで、以下のように述べた。

 「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」

 普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない。事実認識にも問題がある。』
と報道姿勢をまさに反転させているわけだな。
『普通に聞けば、ナチスの手法に学ぶべきだと言っているとしか受け止められない。』wwwwww

麻生副総理の憲法改正めぐる発言について

2013年08月04日 | 時事ニュース
麻生さんの発言についてもはや安定すぎる朝日の報道だからおもしろみはあんまりないと思うけど。
まずは麻生さんの発言の詳細。
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html
『 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。

 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。

 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。

 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。

 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。

 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。

 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。

 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。

 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。

 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。

 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。』


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論理的に考えれば、麻生さんがナチスを肯定しているわけじゃないことは分かりそうなもんなんだがなぁ。。。
詳細から抜き出した話の展開は

『ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。』



『 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。』



『 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。』

できるだけ短くまとめようと思ったけど、うまくまとめるのは難しいな。。。

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さらに発言をまとめると、

『狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。』

『(狂騒のなかで)ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。』

『私どもは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない。』(主題の繰り返し)

発言の論理を追っていくとこのようになると思うんだけれどなぁ。。。
麻生さんがナチスを肯定しているというように発言をとるなら、ナチス憲法は静かに変わったということを前提にしないと論理的整合性がとれないんだけれど、この発言からそう解釈するのはちょっと無理があるんじゃないかなぁ。。。

憲法改正と自民党

2013年08月04日 | 政治
今の状態からの改正だと、96条からの改正になって改正のための改正という謗りを免れない。
自民党内にもそれは筋が違うんじゃないかって考えている人も少なくないんじゃないかな。
民主党みたいにぼろぼろと党内から脱退するってこともないだろうけど。

さすがに安倍政権の間に2回も改憲することはないだろうね。
96条を改正して改憲のための条件を下げたあといざ本丸とほかの条文を変えようと安倍政権が憲法改正を唱えたら、それこそ改憲のための改憲であったことを自ら立証することになってしまうというw