カボチャの部屋

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消費増税と政治

2013年10月17日 | 政治
西田昌司さんについて日本が日本であるためにから引用


『 なんと言ったって、そもそも西田昌司氏の基本的立場は、「消費増税に大賛成」でしょ? 以前から何度もそうおっしゃっておられたではないですか。というか、長期的には、もっと多くの種類の税の率を上げて行く方向性が、氏の立場であったはずです。
 つまり、西田氏は『今よりは大きな政府』を目指すべきだと主張していたわけですよ。そもそも『構造改革反対派』ですしね。
 ただ、デフレでの増税はタイミングが悪いので、現時点での増税には『消極的』だったに過ぎないわけです。



 さらに申せば、タイミング論として「デフレ下での消費増税」に反対ないしは消極的な立場を示す筋にも、大雑把に分ければ二通りの筋があるのですよ。


 一つは、デフレを解消するための「需要不足の解消」を「民なるものがより多く消費をしていく事」によって解決しようとする立場によるものです。この立場に立つ者にとっては、「民の消費を減らす要因」=「経済的な売国的行為」とすら思われるはずですから、消費増税に対する反対の姿勢は極めて強いものになるわけです。昨今、世間で騒がれている「デフレで増税ダメ論」はおおよそこちらの筋で述べ立てられているように見受けます。(俺から言わせていただくと、「自分達がより多く消費していくことが、デフレギャップを解消して国益になる」など、都合の良い愛国心もあったものだと感心してしまうのですが……)


 もう一つは、デフレを解消するための「需要不足の解消」を「政府がより多く支出する事」によって解消しようとする立場によるものです。つまり、政府の支出による需要不足の解消から、民なるものへの『雇用』を巡らせていくという立場です。この立場で「デフレ下での消費増税に消極的な姿勢を取る理由」は、概ね『財政ファイナンスの肯定』にあります。
 まったくもって世の中には、色々な『政府への文句の付けよう』がありまして、中には「政府はそんなに国債を刷るんじゃない! ましてや中央銀行に買い取らせるだなんてズルだ!」と騒ぎ立てる連中もいるのです。しかし、デフレの時に国債を刷って、刷った国債を中央銀行が買うーーとどのつまりは、政府が刷った円を政府が使うーーくらいの権限は、中央政府が持っているべきだろ、というのが「デフレにおける財政ファイナンスの肯定」です。
 つまり、この立場からの「デフレ下での消費増税の消極性」は、あくまで二次的な話なのですよ。だって、まず、「政府支出による需要の拡大」があり、「増税をしなくたって、政府には支出をする権限があって然るべきである」という指向に繋がるわけですから。
 そうなると、『デフレでの消費増税』への態度も、「何も、デフレの時期に慌ててやる必要は無い」くらいの弱い否定なのは当然でしょう? だって、そもそも需要不足を埋める論理は政府支出に重きを置いているのだし、ましてや「消費増税そのもの」には大賛成なのですから。


 そして、西田昌司氏は、明らかに後者の方の立場を示していたわけです。
 されば、消費増税そのものに大賛成なのは勿論、『時期』の話においてもそれなりに容認の姿勢を取るのは至極当然ではないですか。』

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安倍首相も、増税で景気の腰が折れることは懸念していたはずなんだけどな。。。
政治を眺める傍観者からしたら、そのときどきの時流に沿って、最適なんじゃないかと考えられる方法を、少しずつ進めていって欲しいと思う。
なんといっても、これからは共産主義だ ワーヽ(´Д`;)ノワー
と言って、やってみたけれど失敗しましたじゃあ洒落にならないからね。
共産主義にする、っていうなら、他の国の状況を見ながら、つま先から少しずつ制度を変更していって、仮に問題が生じたならば、その都度議論を設けて進退を決める。
これが、致命的な間違いを犯さない一つの方法だと思うんだけれど、現実の政治ではそうもいかないのだろうなー。

別に自分の判断の誤りを弁護したくてやってるわけじゃないんだけどね。
間違えたときには反省をしておかないと、また間違えることになってしまうからね。
日本の場合には、与野党で安全保障に対する統一的な合意がない。
軍隊を持つかどうかですら、合意ができないレベルだからねぇ。
何を言っているんだ、自衛隊は軍隊だろうが。
って思うかもしれないけれど、自衛隊は法整備上軍隊として機能できないし、軍隊じゃないと言っている政治家も少なくないわけだから、政治家全体として軍隊は当然必要だろう、という合意があるわけじゃない。
もし、政治家の間で軍隊は当然必要だろう、という合意があるならば、軍隊はいらないという民意は届かないことになりかねない。
しかし、最低限の安全保障についても合意がないということは、政権与党が脱落するということはすなわち、その最低限の安全保障をすら揺らがせることになってしまう。
これじゃあ他党に、あるいは次の政権に、仕事の続きを託すことができない。

次の政権担当者に信頼が持てないと、どうしても自分が政権を取っている時に自分がやろうとおもっていたことをできるだけ達成して、既成事実化を図らないといけなくなりやすいんじゃないかなぁ。
本来だったら、少しずつ少しずつ、状況を見ながら変えていくべきだと思うけれど、政権とっている間になんとかしようと思うと、変化が急にならざるを得ない。
政策を実行してから効果がでるまでには時間を必要とするわけで、ときにそれは政権を次の内閣に渡したあとにやっとその効果が現れることもある。
こうすればいい結果が現れるはずだと信じその空想上の結果に基づいて政策を進めることは、前を見ないで運転をするようなものじゃないか。
日本の政権担当者は近年すごいころころと変わっているけれど、自分の政権で改革を達成しなければ。という焦りが見える気がするのは気のせい?

今回の消費増税に関して、政権が今はその時期じゃないと認識しつつも容認したとするなら(そうじゃなかったら何も言えないんだけれど)、政策の論理ではなく、政治の論理を考えないといけない。
たとえば日銀の金融緩和を拡大するかどうかは、もちろん日銀の総裁含めた担当者の決断によるけれど、安倍首相が選んだ人事で、金融緩和の必要性を強く訴える人を選んだわけだから、これをコントロールすることは、増税を決定することよりも難しいことではないはず。
具体的にどの債権をどれだけ買ってくれとかは、安倍首相は指示できないだろうしさせてもろくなことにはならないだろうけれど、景気の落ち込みをなんとか防いでくれと言えば、日銀は緩和を拡大しようと考えるはず。
投資先のないところで緩和しているんだから、金融緩和ももういっぱいいっぱいだって話も聞くけれどね。
つまり、景気の調節弁としての増税はそもそも切れるかどうかもわからず、切れたとしても極端にしか切れないハンドルであって、たとえ回復しつつある景気の腰を折る可能性を負ってでも、小回りの効くハンドルを選んだんじゃないか。
金融緩和以外に補正予算で対策する、っていうのもあるんだけれど、思うように予算を成立させることは増税の決断以上に難しいんじゃないかな。
ってところで、上のような推論。
うん。デフレ下での増税を無理に擁護しようとすると、このようになったw

つまりは、使い勝手の悪い舵は、それが天国行きであろうと、地獄行きであろうと早めに切ってしまって、より使い勝手のいい舵で調整しようということですな。
で、その舵を反対側に切るというならまだしも、切るのを延期するという考えはなかったということですな。
そう考えるとすっきりする。
ご都合解釈ではあるけれどね。

ゲーム理論的いじめの考察

2013年10月16日 | 社会
大阪出身のろくさん氏によるいじめ問題についての考察2。

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いじめられっ子が、いじめっ子を打倒することによっていじめから脱却を図ることは有効なのだろうか?
このような話がある。
男が3人いて、殺し合いを始める。
それぞれ拳銃と1発ずつの銃弾を持っており、
男1は30%、男2は60%、男3は100%の命中率で誰かを殺すことができる。
男1が一番初めに引き金を引き、その後60%の男、100%の男と続くとき、男1にとっての最良の選択肢は何であるか。
100%の命中率を誇る人間にむけて、銃を打つことなのだろうか。
いじめの場合は、それが善悪の話に終始してしまっていて、実際におこっているいじめを論ずるにはかけ離れているように思うしなにより話していて面白くないw
戦略論的いじめの研究をもう少し掘り進めたいなぁ。

上の問題は、30%の男は天に向けて引き金を引くことが答えだったと思う。
そうすることで、60%の男は100%の男に向かって引き金を引くことが合理的な選択になるという話。
さてさて。環境は大きく違うし、また合理的に割り切れないところもあるわけだけれど、いじめられっ子君は、いじめっ子君にたいして引き金を引くことが正解なのだろうか?

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いじめは無くならないだろうなぁ。
アリの法則と同じで平和な男が100人集まったら何人かがいじめる側になるような気がする。

R氏の寄稿・いじめについての考察

2013年10月14日 | 社会
大阪出身のR氏によるいじめ問題についての考察。

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記憶の残滓から導くいじめについての考察

いじめの問題は、いじめそのものと正面切って戦おうという人間が存在しないことである。
いじめから脱出する方法は、いじめそのものを根絶することに限らない。
いじめられっ子にとっては、いじめっ子を成敗していじめを根治することも、身代わりを見つけ出してきて自らもまたいじめに加担することも、等しい価値を持っている。
ええっ!?って思うかもしれないけれど。。。
自分さえいじめられなければなんて思考は自分勝手ではあるけれど、人間というのは自分勝手なもので、だからこそ傍観者はいじめを見過ごし消極的にいじめの存在を肯定している。
誰だって、いじめが悪かと聞かれれば、悪と答えるに決まっている。
けれど、自らの身を担保にしてまで悪と戦いたくなんかない。
いじめられっ子だってそこはおんなじなんだよね。
とくに小学生のときには社会一般の道徳とか常識よりも、弱肉強食の論理が優先しやすい。
スポーツができて、喧嘩が強ければそれだけでヒーロー。
強者が弱者を虐げ食物にするというのは極めて当たり前の摂理であって、自分がいじめられるのは自分に力がないから。
憎しみはむしろ、不甲斐ない自分自身に向けられる。
強者が弱者を虐げる体制に同意するという点で、いじめられっ子はいじめっ子と一致をみせる。
精神的にも肉体的にも逼迫した状況のなかで、いじめられっ子の世界には不条理が存在していた。
いじめがあること?
違う。
自分より弱い人間がいるのに、自分がいじめられていることである。
いじめられっ子にとっての喫緊の問題は、いじめそのものを撲滅するか、身代わりを見つけてくるか。
どっちの方が難しいか、ということだね。
自分より力も体格も大きい人間たちに孤軍奮闘で決戦に挑み勝利を収めるか、あるいは周囲に漂っている傍観者の誰かをぶちのめし、食物連鎖のピラミッドの最下層に貶めるか。
どちらの方が、より成功率が高いかですな。
よく、いじめられている人間はいじめを働く人間に抗うべきだって主張を見るけれど、いじめを傍観していただけのくせに、いじめられて切羽詰っている当事者に正義の執行まで押し付けようなんていうのはなんとも厚かましい。
正義の執行なんか余裕のある傍観者がやってくれよ、こちとら今日を生きのびるのに必死やねん。
ってとこですわw
こうして見ると、いじめの問題を考えるときに、いじめっ子といじめられっ子という二極対立で考えるのは間違いなんじゃないかと思うね。
こうしていじめそのものと正面切って戦おうという人間がどこにもいないことを発見する。
道理でいじめがなくならないわけですな。

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なんというか、いじめはよくないだとか、いじめられる人間にも原因があるだとか、いじめを道義で語っている人間は多いんだけれど、現実的に問題を捉えている人がちょっと少ないんじゃないかなぁ、と感じる。
世界は平和であるべき、っていうのと一緒だな。
どこの国の統治者だって、平和を望んでいる(一部例外がありそうだけれど)。
そう考えてみると、国同士の争いというのは、小学生同士の争いに似ている。
親も先生もいない世界で、強国が小国を政治的に収奪する。
他の国は、その現状に不満を感じつつも傍観を決め込む。
傍観している国の中には、将来の保険のために強国に擦り寄る国も少なくない。
虐げられる国は、なんとか他の国を巻き込んで(場合によっては身代わりにして)苦境から脱しようとする。
国際政治というと陰謀渦巻くいかにも高級なイメージだけれど、やってることは小学生の喧嘩みたいなものですな。
大人が全力でやるあたりタチが悪いとも言えるけれど。

国家財政を家計に例えると

2013年10月04日 | 経済
国家財政を家計に例える言論人は多いけれど、これってやっぱり無茶があるのよね。
あえて国家財政を家計に例えると、父親は年を取らず、24時間休憩も睡眠も取る必要もなく収入を得られる。
その上、近所の住人をカツアゲすることで、お金を奪ってこれる。
母親は精巧な偽札を製造することができる。
もちろん年を取らないし、休憩もいらない。
特に最近の母親は偽札製造に余念がなく、そのおかげかこの家計の実質的債務は減少している。
ウルトラの家族なみだな。
ウルトラの家族はカツアゲも偽札もやらないだろうけどw
そもそも、ウルトラマンたちの目的は、突如として現れる怪獣たちから人類を守ることにある。
国民を犠牲にしてウルトラの家計が豊かになってもいかんよw

インパール作戦

2013年10月03日 | 国防
インパール作戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
『牟田口が補給不足打開として考案した、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成して共に行軍させ、必要に応じて糧食に転用しようと言ういわゆる「ジンギスカン作戦」は、頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形により兵士が食べる前にさらに脱落し、たちまち破綻した。また3万頭の家畜を引き連れ徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的であり、爆撃に晒された家畜は荷物を持ったまま散り散りに逃げ惑ったため、多くの補給物資が散逸した。さらに、急峻な地形は重砲などの運搬を困難にし、糧食・弾薬共に欠乏し、火力不足が深刻化、各師団とも前線に展開したころには戦闘力を大きく消耗する結果を招いた。』

食料にできるし、荷物も運ばせられるし、家畜と一緒に進軍すればいいじゃないかという牟田口の作戦は、鉄砲や飛行機のある戦争の前に無残に崩れ去った。
当たり前ですなw
こういう作戦をまじでやっちゃうあたり、知性を疑ってしまうようなことがありすぎるのがこの時代。
教える側に、なんでそんな失敗するのがわかりきった作戦をやったんですか?と聞かれると苦しい。
合理的な説明なんかできやしない。
戦前戦中の時代には、意味がわからない行為が多すぎて、教育的な説明をすることができない。
馬鹿な人たちが、馬鹿なことをやりました、というほかないことが多すぎる・・・。
ほんとは論理的に整合の付いた説明をしたいところなんだけれど、説明できないことが多すぎるんだよなー。。。
歴史の先生が戦争期の歴史を教えるのを避けたがる理由もわからないでもない。

ちなみに牟田口廉也、アンサイクロペディア
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F
ここまでひどいのは、アンサイクロペディアでも少ないんじゃないかなぁ。。。

安倍首相、消費増税決定

2013年10月02日 | 政治
残念すぎるなぁ。。。
経済政策が、安倍政権の支持を支える基盤だったというのになぁ。。。
まがりなにりも保守を名乗る安倍首相が誕生しただけでも奇跡的で、日銀人事や内閣法制局の人事で勝利して希望が大きかっただけに、ここでの失敗は絶望が深い。
ここで勝つために内閣法制局人事に介入したんじゃなかったのかよ・・・。
景気の落ち込みは、補正予算で埋めるしかなさそうだなぁ。
これにしても、木下事務次官のもとではたいして期待できないんだが。
民間の投資を増やしたいのに増税じゃあ投資意欲減退だよなぁ。。。