鑑真和上 その2
鑑真さまは
688年
中国
揚州の江陽県に
生まれました
14歳で
揚州 大雲寺の
仏像に感動し
出家します
洛陽 長安で天台を学び
戒律の学を究めます
40代で
「受戒の大師」として
揺るぎない名声を得ています
戒を授けた弟子は
4万人ともいわれます
さて そのころ
日本から
聖武天皇の
天平5年 (733年)
遣唐使として
栄叡と ようえい
普の僧が派遣されます
日本の
招聘を受け
和上は
国禁を破り
5度に亘って
渡航を試みますが
密告や難破により
失敗します
しかし
753年
ついに6度目にして
無事に九州の
坊津に上陸します
それには
和上が渡航を決意してから
12年の歳月が過ぎていました
また
難航を極めた航海により
和上の両目は失明し
盲目となっていました
ときに
和上67歳でありました
唐招提寺戒壇
私も
以前
鑑真さまの
坐像をお参りさせていただきました
結跏趺坐の
静かなお姿に
感動し
涙が止まりませんでした
鑑真さまは
日本仏教界にとって
大恩の大師です
坐禅のお姿で亡くなられました
御影像の
無事造立を願います
鑑真和上
唐招提寺さまでは
2013年
鑑真さま1250回忌に
あわせ
御影像が造立されます
私も
大震災の
御霊の鎮魂と
人々の安寧を
お祈りし
結縁の
お写経を
させていただきました
鑑真和上と
大勢の弟子が対面し坐っている中
日本の僧 栄叡は
「伝戒の師の推薦を賜りたい」と申し出ます
鑑真は言います
「だれか日本へ渡り、戒法を伝えるも者はいないか」
彦という僧が
「海を渡るのに百に一度もたどりつかぬと聞きます・・・」
再び鑑真は
「他にだれか行くものはいないか」
だれも答える者はなかった
すると
鑑真は三度口を開いた
「法のためである たとえ渺漫たる蒼海が隔てようと
生命を惜しむべきではあるまい
お前たちが行かないなら私が行くことにしよう」
井上靖の
『天平の甍』で
鑑真さまが
来朝を決意する
感動的な場面です
ご近所のお店
歩いて1分
当山のお隣に
宮の森珈琲店があります
そこで
懐かしいものを発見しました
ガラナです
ガラナは
コカコーラに対抗して
1958年に
北海道で発売
されました
私の年代の方には
おなじみの
飲み物です
ここのガラナは
コーヒー味で
ガラナの味のあとに
コーヒーの香りが残ります
おむすびの祈り
おむすびで
ある女性の命を
救われた
青森岩木山麓の
森のイスキア主宰
佐藤初女さまから
ご本を
お送りいただきました
盛岡の
布教師会からも
講演を依頼されているそうです
ますます
お元気で
ご活躍のご様子です
宗門もお世話になっています
ありがとうございます
お彼岸は
今日で結願
みなさまの
それぞれの想いを
お参り
お祈り
いただいたことと思います
ご参詣
ありがとうございました
直会 なおらい
演奏会が終わり
直会です
お二人は
北京にある
国立音楽院を
卒業されています
シャオ・ロンさんは
13歳から
民族音楽家を養成する
学校で
英才教育を受けられました
入学応募数は
20000人だったそうです
その中から
20人が合格
高校では
12人
大学では
5人に減ったそうです
その中で
琵琶奏者はただ1人
学生時代は
新聞もテレビもない
厳しい寮生活を送られました
ですから
一度も乗ったことがないので
いまだに
自転車には乗れないとのことです
ワン・ミンジュンさんが
音楽院の学生のとき
あのベルリンフィルの
ヘルベルト・フォン・カラヤンさんが
演奏を聴きに来られて
ワンさんの笛の
素晴らしさに
そのテクニックを
絶賛されたのだそうです
現在
世界でご活躍の
お二人の演奏は
とても素晴らしく
聴衆は大感動でした
お二人とも
和食とお蕎麦が
大好きだそうで
直会では
そば懐石で
楽しい一時を過ごしました
すばらしい演奏を
お聞かせいただき
ありがとうございました
謝謝
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