本屋で何気なく手にした「猫の神様」(東良美季著・講談社文庫)という本を読み終えました。
独身の男性(著者自身)が2匹の生まれたての猫を拾い、その2匹と生活を共にして、
その2匹が逝くまでの日記仕立ての小説です。(小説とはいえ著者の実体験です)
特に2匹目の「みャ太」という名の猫の闘病記は、飼い主と猫の心理描写、状況描写が
1年前の我が家のお天下さま「ビリ」と私とビリママの状況と重なる部分ばかりで
読み進めるのが辛くなる程でした。
この中で最も印象に残った文章
「そして猫の神様を呪った。
誰の猫だと思ってるんだ、
お前のじゃない、俺の猫だ。
~中略~
そう簡単にお前の元になんかやらないぞ」
1年前の私たちの気持ちを代弁しているような、本当にそんな気分でした。
読後の感想はとしては、今まで味わった事のないもので、感動とか、バカバカしいとか、
面白かった、期待を裏切られたとかの類いの想いは全く無く、ただただ共感しながら、
みャ太、飼い主ガンバレ!という想いだけ、、、そして疲れました。
みャ太が逝って実際には今年で7年弱、今でも著者はパソコンの壁紙に2匹の写真を張り付けて
いるそうです。偶然私も完全にカメラ目線のビリの写真を貼って、パソコンを開く度に
何となく話しかけたりしています。
読み終えて、一年前の今頃のブログを見直してみました。
まさにビリにとっては壮絶な闘病中で、それを見守る私もビリママも疲れきっている時でした。
そうかあの時からもう一年も経つのか~という想いです。
でも全てが昨日のことのように鮮明で、最期をそれほど苦しんだ様子も見せずに眠るように
逝ったビリを看取れた事が私にとっては救いでした。
やっとビリがこれ以上苦しまなくて済む、という想いと失った悲しみが五分五分でした。
いい歳をして、いつまで経ってもビリ離れが出来そうにないです。
私のパソコンの壁紙!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/83/2a4ee4b89765b1afe40b14b4229562b4_s.jpg)
独身の男性(著者自身)が2匹の生まれたての猫を拾い、その2匹と生活を共にして、
その2匹が逝くまでの日記仕立ての小説です。(小説とはいえ著者の実体験です)
特に2匹目の「みャ太」という名の猫の闘病記は、飼い主と猫の心理描写、状況描写が
1年前の我が家のお天下さま「ビリ」と私とビリママの状況と重なる部分ばかりで
読み進めるのが辛くなる程でした。
この中で最も印象に残った文章
「そして猫の神様を呪った。
誰の猫だと思ってるんだ、
お前のじゃない、俺の猫だ。
~中略~
そう簡単にお前の元になんかやらないぞ」
1年前の私たちの気持ちを代弁しているような、本当にそんな気分でした。
読後の感想はとしては、今まで味わった事のないもので、感動とか、バカバカしいとか、
面白かった、期待を裏切られたとかの類いの想いは全く無く、ただただ共感しながら、
みャ太、飼い主ガンバレ!という想いだけ、、、そして疲れました。
みャ太が逝って実際には今年で7年弱、今でも著者はパソコンの壁紙に2匹の写真を張り付けて
いるそうです。偶然私も完全にカメラ目線のビリの写真を貼って、パソコンを開く度に
何となく話しかけたりしています。
読み終えて、一年前の今頃のブログを見直してみました。
まさにビリにとっては壮絶な闘病中で、それを見守る私もビリママも疲れきっている時でした。
そうかあの時からもう一年も経つのか~という想いです。
でも全てが昨日のことのように鮮明で、最期をそれほど苦しんだ様子も見せずに眠るように
逝ったビリを看取れた事が私にとっては救いでした。
やっとビリがこれ以上苦しまなくて済む、という想いと失った悲しみが五分五分でした。
いい歳をして、いつまで経ってもビリ離れが出来そうにないです。
私のパソコンの壁紙!
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