以前の姿へと戻すための工事が、
進められています。
想定外に、時間がかかっているようです。
平場に置かれると、より小さく見えてしまいます。
国内で現存する天守は、12です。
その一つが、この弘前城の天守です。
中へと、入ってきました。
曳家されるために、補強された鉄骨が見えます。
石垣の改修を終えれば、再度曳家されます。
その時までは、この状態なのでしょう。
日本最古の.... - スターアライアンスNote (goo.ne.jp)
しかし、曳家後も状態によっては外されないかもしれません。
この天守も、建築後200年以上経っています。
無粋な鉄骨は無いほうが、いい気がします。
格子窓がありました。
地上に置かれていますので、少し違った感じに見えます。
本来なら、高い位置から見下ろす窓です。
この天守は、幕末に造られています。
三層の天守は、内戦と世界大戦を乗り越えています。
上へと上がっていきます。
残された天守独特の、厳しい勾配の階段です。
裃など正装した衣装で、上れたのでしょうか。
現在では、建築基準法により階段には基準があります。
1層上がってきました。
ここは、弘前藩の居城です。
関ケ原の際には、徳川方に味方をしています。
江戸時代の間、12代続いた津軽家。
その名が、地方に残されています。
もう1層上がります。
1層の1辺が短いので、絞られた上層はより小さく感じます。
武家諸法度により、再築までに200年かかっています。
天守は無くても、城としては機能していたのでしょうか。
城下からは、天守がない風景はどう見えていたのでしょう。
最上階です。
再築して、60年程で廃藩置県になります。
地元の要望が強い街には、お城が現存しています。
第2次大戦も乗り越えた天守は、12しかありません。
ここも、貴重な天守の一つです。
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