台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

228 大学時代の想い出 体育編。

2013-02-28 05:10:24 | 台湾
 大学の体育で、「ボクング」をやったことを思い出しました。1週間に一回。それが結構本格的なレッスン。中大、ボクシング部の連中と同じことを二時間。終わると、もうへトヘト。若いから、できたが、今なら、死ぬほど・・・。ボクングは、手で使う、スポーツだが、一番大切なことは、足。フットワーク。これが大変。足がふらつくとパンチもふらつく。だから、常に縄跳び、ランニング、それからシャドー。これで30分。これが準備体操みたいなもの。それから、先生が、ジャブ、とかパンチの出し方、スナップの効かせ方、など細かいテクニック。
 途中一回休憩。その時俺レベルは、「休息休息一会儿」ところがボクング部の連中は、その時間もトレーニング。
人間って、トレーニング次第でこんなに違うんだ。もちろん中には、「プロ」を目指している人もいるようだから・・・。
そして、半年の最後に二ラウンドのボクシング部員との練習。これがテストと同じ。そのため、テスト前、一ヶ月、私は、毎日、三キロのランニングをしました。大体、ボクシングするまで、「足」がそんなに重要だと知らなかった。縄飛びと三キロ。自分の生活の中で私生活でランニングしたのは、初めてだった。
 そして、本番。もちろん相手は、手加減してくれていたと思う。もちろん、ヘットギアをつけているよ。それでも、相手のパンチをまともに受けると、一瞬ぐらっとくる。何回か、続けて打たられると、もうダメ・・・。どうしても、頭抱えて、守りに入る。そうすると今度は、ボディを打たれる。顔にパンチもきついが、ボディは、もっと苦しいる呼吸が苦しくなり、・・・・。
一ラウンドは、どうにか、耐えたが、二ラウンド目は、もう最初から、ふらふら。全然パンチなんか、出せずに、ひたすら、相手のパンチをよけるのが精一杯。ウーイービングというのは、結構、俺の得意技。それでも、ボクシング部員に掛かれば、逃げ先にパンチが飛んでくる。
大体、体力負け。ニラウンド目は、それでも、どうにか終わった。初めて、三分動く尽くすことの大変さ。ニランウドたった六分。そのたった六分がランニングの30分ぐらいに相当する感じ。ま、たった半年のボクシング経験。結果は、成績は、「優」だった。
 大学の成績で俺がとった6個の「優」の中で一番価値ある「優」
あまり成績等気にしない俺が、がんばった甲斐がある。
 たまに日本で、プロボクング見る。さすが「プロ」と思う。だって、足がふらついている選手、めったに看ない。そりゃ、ノックダウン
寸前の時は、別にして。
 こう言えば、高校時代にも、俺が勝ったグローブで友達と休み時間打ち合ったときがあった。その時は、おれは、少し強かったが。
大学の部員とはレベルと練習量が違う。格闘技の中で、一番ボクシングが好き。あの亀田三兄弟もそれなりに好きだった。
だって、かれら、高校も行かず、ひたすら、世界チャンピオンになるために、幼い頃からトレーニング。
野球のイチローもそうだが、「一流」と呼ばれる人は、準備とトレーニングが全く違う。もちろん、本人の目的意識が違う。
 何でもそうだが、目的意識がはっきりしている人は、それなりに違う。師範大学で30代半ばの青年とたまに話すが彼の勉強に対する姿勢は、
俺なんかと比べると・・・。やっばり、真剣に生きている人を見るのは、気持ちいい。きっと、彼は、成功することだろう。
 もうすぐ、夜が明ける。たまに、日の出を見て。この女々しい気持ちからオサラバして、いつもの俺に戻れるときが来ると信じている。
                                                    再見。



227 今日は、歩いた。

2013-02-27 23:57:26 | 台湾
 ホテルに帰ってきて、風呂に入り、バタンキュー。
今日、一日何キロ歩いたのか、15、6キロ。時間にして、三時間は、間違いなく。
どこで、何していたの?内緒。
考えることもなく、ひたすら歩いた。自分の身体を痛めつけることの方が楽だから。
身体は、健康。こころは、今朝と大して、変わらない。
人間とは、難しい動物。身体が元気でも、心が元気で無いときは、・・・。
何してもおもしろくない。
一つだけ、イイ知らせは、ひとつ、やっと麻雀の日程が決まった。日曜日十二時から。
残る日程に二日。一日は、教え子の直美に会いたい。もういい。あまりたくさんと会わなくても・・・。彼女とあえれば・・・。高校時代の友達は、・・・。
まだ、教え子にも、高校の友達にも連絡していません。何でそんなに大切なことを・・・
自分の気持ちが重たい。電話するのに・・・・。
 何で今、沖縄に居るのか。携帯を持っていないというのもあるかもしれない。
テレホンカードは、あるけど・・・。公衆電話もちろんある。しない理由がわからない。
それは、毎夜この気持ちに襲われて居るから。


 今日は、ここまで。なんか、今日のブログ変。何をして、何考えているか全くわからない。俺だって、こういう明快で無いときもある。
また、いう。そう。「にんげんだから」
今日は。二人に電話します。しかも朝に                       
 すこし、元気が無いブログですいません。そんなの治郎張らしくない。日本に帰って、妄想した?そのこと自体、もう治郎張らしくない。
                               再見。

225 ブログ  ひとは、何のために生きるのか?

2013-02-27 08:21:07 | 台湾
 そんなに難しいことは、考え居ません。
死ぬことができないから、生きています。
 河島英五の歌ではないが「生きてゃいいさ。」
自分の中にある種の空しさを感じながら、今日、今を生きています。
今日一日、この気持ちで生きることが、少し辛い。昨日のブログを引きずって生きています。だから、いつもの私に中々慣れません。
明るく楽天的な治郎張は、今は、少し慣れない.俺だって、そういう気持ちに襲われるときがあります。
「にんげんだから。」
ご飯食べてきます。そしたら、気持ち変わるかもしれない。とりあえず、ここまで。
 ご飯を食べたら、少し生きる意欲が湧いてきました。
私は、いつも元気でなくちゃ。元気のない治郎は、俺らしくない。
ま、何回かこんな気持ちで、日本生活を過ごすと思います。
いつもとトーンが違いますが、私は、間違いなく台湾治郎です。
今日の予定は、適当に観光してきます。どこというあて(目的)もないけど・・・。
大切なことは、わからなければ、聞く。それが一番。
授業中、なんど質問したかったが・・・・。けど、あの先生・・・・。俺にあまり質問させなかった。
「怎麻説?」先生の授業を俺が止めちゃうから黙って、わかったふりして、聞いていました。台湾での師範大学は、我慢の連続。質問できないつらさ。
本当は、先生の言っていること,少しわからないのですけど、もう少し説明してくれますか?と何度言いたかったか。だって、授業は、その場で解決のが一番。自分で後で解決のには、とても時間掛かります。
だって、俺は、口から先生まれた男。詐欺師。
 ブログに戻るけど、死ねないから、生きている。
生きている意味は、死ねないからだよ。
 ま、おそらく、日本にいる間、あまり、明るくないブログなると思います。
あしからず。

                              再見。

ブログ224 神様・仏様どうか、私の家族を守ってください。

2013-02-27 03:01:58 | 台湾
治郎張は、魂を「ギャンブル」に奪われた。
魂を悪魔と取引した。その時点で、治郎の幸せは、失ったんだよ。
お前は、家族から逃げて・・・。悪魔と取引した。
}没有|しあわせは、ない。
それでも学校の先生だったの?こんな簡単なことがわからなくて・・・。
悪魔、サタンと取引した人には、幸せは、絶対ない。
あなたの魂は、もう・・・。
芥川龍之介の小説に「蜘蛛の糸」というのがあるでしょ。あれと同じ。カンダタと同じです。蜘蛛は、救えても、同じ人間は、救えません。
自分のことしか考えていない人は、幸せになれません。
治郎張は、蜘蛛を救ったかもしれないが・・・・。一番大切な人を失い
そんな人にしあわせがおとずれるわけがない。
 それ以上書かなくても・・・・。
もう寝ます。書けば書くほど、自分が惨めになる。このブログ書けば書くほど、
レバタラ・・・。

                             再見



223 日本で思ったこと。

2013-02-27 01:06:04 | 台湾
 久しぶりに風呂に入り、全身暖まる風呂。身体が温かくなり、疲れがとれた。
疲れは、取れたが・・・。寂寞とした空しさ。旅行してみて、初めて「俺は、台湾で幸せをみつけられるか?」答えは、出ていた。私、昔
ブログで「幸せ」の定義したことあります。少し待って、探すから・・・。
私の生活ほとんどギャンブルでウメ埋め尽くされていた。私の中の「血」が騒ぐのがよくわかる。どこかで、ギャンブルの話は、書く思うが。ほとんど、病気の世界。今、その病気が無いだけ『幸せ』。
 私が台湾に来た目的は、幸福な人生を求めて、来ました。
私の考える幸せな人生とは○仕事を持っている。
            ○健康
            ○仲間がいる。
            ○多少の金。
            ○家族の安全・平和
            ○他人に喜ばれる生き甲斐を持っている。
            ○世の中への感謝、奉仕。
今、私がもっいるのは、健康・仲間・多少の金だけかな。自分の未来予想図に向かって、とりあえず、中国語を勉強しています。この約1年は、師範大学に集中。それから、少しずつ、少しずつ
自分なりの『幸せ』を求めて、台湾の中でさまよい、探し、見つけます。
9月12日に書いたブログ。
 もう、私には、しあわせは、こない。なぜ?どうして、家族を守れない人が『幸せになれるの?』
家族があって、幸せがあるでしょ。家族と生活してない人・・・。幸せは・・・・。俺は、無いと思う。もちろん、意見が違う人がいてもOK。
台湾・今一人で旅行。そこに幸せ有ると思うのか、治郎しっかりしろ。一番大切な家族を失った人は、・・・。幸せの定義を七つあげた。その中で一番は、どれですか。
そら、答えが出た。家族でしょう。だから、台湾で治郎張がどんなにがんばっても、「しあわせ」は、ニセモノ。偽りだよ。今、一人で旅行していて、惨め。だって、何食べても、おいしくありません。子供の時、貧乏していたが、何食べても、おいしい。だって、家族で競うように食べる。治郎張は、春日部に住んでいる時が・・・・。一番の幸せ。それを失った人がどうして幸せになれるの?この旅行は、改めて「しあわせって何を考えさせてくれる旅になりそうです。」
                    再見。