台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

818 ブログ818 この子の事を覚えているのは、ふたり。

2013-10-31 15:01:23 | 台湾
去年は、書きませんでした。このことは、忘れた方が良いことも、世の中には、有ります。
みんな忘れます。過去のことは。
けど、私は、生きて居る限り、この子のことは、忘れない。
誰がこの子のことを話しますか?
彼は、とても頭の良い子。賢すぎた。
私に似れば、生命力をもって、生きて居ることだろう。
現在。
 私には、いつまでも六歳。
先日夢をみました。久しぶりです。私には、それで充分。
わたしとあのひとの唯一の想い出。
彼のことを覚えているのは、この世では、二人だと思う。
当たり前です。自分の子供のことは、いつまでも覚えています。
現在は、二人以外は、記憶が無いだけ。
寂しい気もしますが、しょうがありません。

私に似ずハンサムで、優しく、親思いの子供でした。
とても好奇心の強い子で、何でも覚えていました。1度話したお話は、いつまで覚えていて、寝るときにせがみます。もちろん、読んで上げました。当時テレビは、我が家には、有りませんでした。テレビもなく、・・・。生きることに一生懸命でした。
共稼ぎの教師の子供は、大変。忙しい時にいつも病気になり、家内のお袋さんに来て貰いました。どうしてだろう?学期末になると、風邪を引いたり、病気になるのは・・・。テレビ無いので年中、絵本を見ていました。親が忙しいと知って、自分で一人、おとなしく、過ごしていました。気を遣う良い子でした。
 私に似れば、もっと、図々しく、図太くこの世に生きられたのに・・・。
人間には、避けられない寿命というものがあります。
これは、神様、仏様が決めるのでしょうか?
誰もこれに逆らうことは、できません。
私の命を削って、彼に与えることができたら・・・。そう。私の命は、おつり。
彼の命は、私たち二人のかけがいのないものです。
彼の夢は、バイロットになり、お母さん、お父さん、おばあちゃんを海外旅行へ。
 来年も、このブログ。この日があれば、又書きます。

一生忘れません。
また、夢で会いましょう。

817 ブログ817 あなたは、何を信じますか?

2013-10-30 17:39:09 | 台湾
私は、一番信じているのは、奥さん。
彼女のすること、言うことは、信じられます。
まるで神様のようです。
彼女は、絶対嘘を言わない。人を裏切らない。いつも正直に正々堂々と生きて居ます。
どうして、こんな良い人が私の嫁さんなのか? 私の人生の一番の幸運です。
わたしは、全く彼女と全く違った生き方をしています。
 一つだけ似ていることがあります。
それは、あまり、お金には、執着しない生き方をしています。
それは、おかしいでしょう。
あなたは、ギャンブルが大好き。と言うことは、「お金」が一番好きな生き方をしているはずです。
 それは、違います。ギャンブルは、大好きですが・・・。
友達とか奥さん、娘、息子の方が大切。
お金より、友達。人間です。
私が好きなのは、ギャンブルしている刹那。
その感覚が好きなのです。
 これは、ギャンブルした人でないとわかりません。
ギャンブラーの習性。
 その刹那にすべてを賭ける。
この気持ちが耐まらなく好きなのです。
 ただそれだけ。だから、お金がどうのこうの?そんなに大切ではありません。
この気持ちは、ギャンブルやル人でないとわからない感覚です。

 人生には、必ず、「ギャンブル」があります。
それが、自分が好むと好まざると、必ず来ます。
その時に、どの手段。方法を選ぶかは、あなた次第。
 ある意味結婚もギャンブルです。
仕事を変えるのも、環境を変えることは、一つのギャンブル。
ひとは、普通の人は、「ギャンブル」と呼んでいないだけ。
自分の『命』を賭けるような所が必要です。
生きることは、闘いです。
その闘いに勝つか、負けるかは、自分次第。
ひとつ言っておきます。負けたからと言って、人生が悪い結果とは、限りません。
負けるときもあります。勝つ事もあります。
大切なことは、その刹那を楽しむ気持ち。その一瞬に燃え尽きるのです。
 これは、私独特の見方ですから、余り参考にしないでください。
      再見。           

816ブログ816 疑う気持ち。

2013-10-30 17:36:46 | 台湾
どうしていかないのですか?
それは、卓球をしている仲間は、何のために、私に話しかけてきたのか、疑っているからです?
うたがう気持ちは、余り好きではありません。
ギャンブルをやる人は、余り人を信じません。
どうしてですか?
それは、年中ダマされているからです。
ギャンブルは、すべて疑い、自分の信じるものを買うだけ。
あなたは、何を信じますか?
私が信じるのは、自分の感覚。
「フイリーリング」
これは、科学を超えた第6感です。
理屈は、ありません。
 今日しているときも同じ感覚ですか?
それは、違います。人間を見る目を養っていましたから。
信じられる生徒とそうでない生徒は、どこで見破りますか?
それは、秘密。
ヒントは、家庭を見なさい。それさえ見れば、その生徒が信じられるかどうかわかります。それは、金持ちかどうか、そんなの関係有りません。
人間を見るのです。
それさえわかれば簡単です。
 生徒は、その人の元に育てられます。根を見ればすべてわかるものです。
根は、どこにあるのですか?
根は、地中にあります。
花が咲くかどうかも、根を見れば・・・・。
どんな花・木にも「根」があります。
 だから、根が大切。
私は、お金があるかどうかとか、学歴がどうかとか、余り信じません。
東大、京大、早稲田、慶應、立教、どこの大学にいようと、その人の人間性が大切です。
だから、大切なことは、その人が、自分の全人生を賭けて、頑張っているかどうか?
それが大切です。
 だから、その人の人間性は、・・・・、出ます。
教師という仕事は、その「根」を見ることができます。もちろん、知能テストの結果とか成績も十分知っています。けど、それは、人間のごく一部。はっきり言って、その人間の10分の1も表現していない。
 もう一度言います。
人間を見るには、そのひとの「根」を見ることです。 再見。

815 ブログ815 どうして、サクラが懐かしいのだろう?

2013-10-30 14:31:58 | 台湾
外国にいると、妙にサクラが懐かしい。
どうしてか?
サクラの花には、たくさんの想い出があります。
毎年、毎年、違う想い出が・・・。
梅やふじには、そんなに思い入れは、ありません。
なぜなのか?
日本の国花というのもあるかもしれません。それと、サクラの花には、軍隊とか歌とかたくさん想い出があります。それと、咲く季節が三月四月、卒業式・入学式が・・・。
夜桜というのもあります。
 わたしは、昔サクラの木の下で、デートしたこともあります。
サクラの下で、写真もたくさん撮りました。
今も、実家には、残っていると思います。
 私と息子と妻と三人で撮った写真。
わたしは、写真は、余り持ちません。写真より、「心の映像」を信頼しているから。
私が父親になったのは、38年前の明日。
 昔の想い出と「さくら」が妙に会うのです。

 どうして、日本の花がさくらなのかわかります。梅は、台湾の国花。
サクラでないといけないのか?
さくらには、昔から、恋の歌、別れの歌、出会いの歌、様々な意味を日本人は、込めてきました。
 一番は、未練など無く、散る花びら。
この美学こそ、日本人の美学。
はなびら一つ一つに込めてる日本人の思い。
 日本人は、デリケートな民族です。
すこしの変化を感じ取り、それを歌にしたり、詩によんだり、和歌にしたり、すばらしい感性。他の民族に、このような感性有るのでしょうか?
フランス人、ドイツ人、アメリカ人・・・・。どの国にもそういう独特の感性は、有ると思いますが、改めて、
日本人ってすばらしい民族であると思いました。
 その民族であることを誇りに思います。
みなさんも日本人としての誇りを持ち続け生き抜いてください。
再見。

814 ブログ814 私たちの親も子育てに苦労したのか?

2013-10-29 14:48:58 | 台湾
子育ては、時代によって全く違ったもの。
私の家は、六人兄弟。
子供を育てるのが一杯一杯。教育なんてものは、そんなに大事にしていなかった。
子供が元気に働ければいい、それだけ。
勉強しろとも言われたことがない。昭和30年代の話。1950年代~1960年。
まだ食うのに困る時代。
子供が一時間内職して、50円稼いでいた時代。兄貴達は、100円。
ラーメンが20 円から30円。コロッケが五円。卵か一個六円50銭。まだ一円以下の値段がありました。銭という単位が。二個買えと一円安い。もちろん、50銭銅貨は、ありません。紙芝居が五円、十円の時代。まだ、十円貰うと嬉しかった時代。
駄菓子やに十円で駄菓子を買うのが贅沢な時代。
 そんな貧乏の時代には、教育は、二の次。
まずは、お金を稼ぐ事が一番大切。お金のありがたみは、知って居るつもりでしたが・・。
わたしは、末っ子で、姉や兄の様に本当の貧乏は、知りません。
 兄貴達は、中学校でて、働きながら定時制へ行っていました。それが当たり前と思っていました。私には、定時制に行けと言いませんでした。
好きなようにさせてくれました。この自由に生きられたのが一番でした。
だから、私自身は、あまり、正確には、貧乏わかりませんでした。
塾へ行くとかないけど、それで充分。一つだけ嫌なことがありました。それは、中学校の教科書が兄貴のお古。これは、とてもとても恥ずかしかったです。みんなと少しページが違うことや、兄貴の悪戯書がかいてあることもあり、みんなが開いたのに、いつも教科書を開いていました。今は、教科書無償だから。
教科書一冊300円位で、全部買うと、二三千円。それがもったいないと言うので、代々「お古」いま、そう言うことを知って居る人も居ないと思います。
制服は、買ってもらったに思います。
 兄貴達は、小学生四年生か、五年生でみんな新聞配達。みんながやっていました。
ひと月、二千円か、三千円ぐらい。当時公務員の給料が一万は、行っていない時代。
子供が二三千円稼ぐのは、大変なことでした。
 私には、これが当たり前。みんな近所にも貧乏な人がたくさんいました。
その当たり前は、私の周辺だけのようでした。後で、同級生に聞いても、そんなことナイト。へーと驚いたものです。
 だから、人間の感覚というのは、時代や環境で全然違うのだと言うことが良くわかりました。この貧乏のお陰で、兄弟は、みんな働き者になりました。わたしが一番怠け者。
 私らの親は、子育てより、日々の暮らし。毎日、食べさせることに一生懸命来ていたように思います。私らは、その親の苦労、背中を見て育った。
 私は、子育ての苦労を論じることができない人間です。ほとんど奥さんに任せっきり。
彼女のやりたいようにしていただけです。たくさん私のことで苦労を掛けました。
子育ては、私に比べれば、苦労と言えないかもしれません。
ま。そのはなしは、後で。
再見。