台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ 24 シャボン玉飛んだ。

2012-09-29 23:16:43 | 台湾
 私の家近くに6歳の女の子がいる。とても可愛い女の子。その子と私は、大の仲良し。
彼女と遊ぶことは、私にとって憩い・最も幸せを感じる瞬間。なぜ?
 それは、私が子供返りしている為か?理由は、内緒。私心の中だけ。
彼女と良くお絵かきしたり、シャボン玉を飛ばしながら、私が歌を謡う。
「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ。壊れて消えた。風風ふくな、シャボン玉飛ばそう。」
野口雨情という作詞家は、天才。感心する。
どうして、60歳の私と6歳の彼女が仲良くできるか。だって、彼女『中国語』とても、
上手。聴いているだけで、勉強になる。しかも、私より、何倍か賢い。
何より、笑顔が可愛い。
(先生大丈夫かって、何が。そういう趣味あったの。ない)。
純粋に彼女が可愛いだけ。自分にとって、幼児からでも勉強になることもあるし、・・・・
ま、小さな恋人とこれから呼びます。彼女が16歳の高校生になるまで、台湾居るつもり
温かく、彼女を見守りたい。
 私には、もう一人恋人がいます。彼女は、18歳。師範大学の学生。一日になん回も会話する。そうK3。彼女は、日本人のお嬢様。お姫様。
これも、同じ想い。このお嬢様まだ、まだ、・・・。わからないことも多いが勉強は、
良くできる。18歳で・・・・。ということは、彼女は、日本の高校生時代にすでに
中国語を勉強していた。すごーい。なんで・・・。これから、この子の成長も見守りたい。
彼女は、何年台湾にいるかわかりませんが・・・。
実に、頭のいい、笑顔が素敵な女の子。時間が掛かる。彼女初恋したのか?。
観察していると、実に楽しい。飽きない。
 先生だいじょうぶ?。バカ何勘違いしている。
これも、見守りたいだけ。下心全くありません。ほんと。
ま、信じる人だけ、このブログ読んで欲しい。信じない人は、さよなら。
私は,子供と遊ぶのは、得意だが・・・・。
 若い女の人には、時々あなたは、『失礼な人』と言われた。かつて、高校の同級生の誕生日会でも同じ台詞聞いた。そう、自分には、失礼なところがある。 子供とは、そんな失礼なこと言わないが大人になると「つい、口が滑る」だから、時々は、自分の口にチャックする。わかっているがつい、言ってしまう。
年中、いろいろな人に注意される。
 童心を持ちすぎるのかしれない。子供おとな。大人になりきれないおとな。
これが私の持ち味。自分の個性と信じています。これを失うときは・・・・。
一生、これを持ち続け、このブログを書きたいと思う。
 そして、来月からは、少し、写真を載せます。写真は、撮ってあるが少し、心配。
写真は、文と違って、伝わりやすい。人を撮るとき、配慮が必要。楽しみにしてください。
では、10月以降も、楽しみに読んでください。
                                   再見


ブログ23 人生の応援歌 マイウェイ編

2012-09-29 22:58:43 | 台湾
歌は、大好きです。小さい時から、音痴だったが歌っていた。その中でベスト?。
歌に順位は、ない。その時、その時代の自分の感性に合った歌1番いい。
「マイウエイ」
やがて 私もこの世を 去るだろう。
長い年月 私は 幸せに
この旅路を 今日まで越えてきた。
いつも 私のやり方で (省略)
人を愛して 悩んだこともある
若い頃には 激しい恋いもした。
だけど 私は 一度もしていない 
ただ卑怯なまねだけは
 人間は みな いつかは この世を去るだろう。
誰でも 自由な心で暮らそう。
 私は 私の道を行く
この歌を聴く度に与野東中の英語のS先生を思い出す。実に、誠実にその歌の意味を
つかんで、英語で歌ったのを覚えている。
実に真面目に教師道に励んでいた。正に修行僧の如き人だった。生徒にも好かれ、英語教師として、抜群の力を持っていた。彼とは、生い立ち・現在の悩み等よく話し合った。
そして、現在彼がどうしているかいつの間にか連絡が絶えた。少し寂しい。元気に教師を続けていることと思う。
 私は、人間の根源的な生きる力・『根』は、生い立ちにあると思っている。生い立ちの中でしっかり、根を張ったような生き方をしていれば、途中、嵐や台風・日照り等々困難に遭っても、負けない。ところが、その根が少し病気していると途中、何回か挫折する。
私もめげそうなときも少しあったが自分の根本的なしぶとさ・強かさを信頼していたので
・・・。後体力(健康)・趣味・遊ぶ力などのバランスも大切。何より、夢を持っているかどうか。現実対応だけだと、辛いときめげる。未来を見つめると、現在の位置がつかめる。
 よく、「おいしいトマトを作るには、できるだけ水分を絞って、その植物の根源的な「パワー」を引き出すとよいという話を聞いたことがある。人間も同じ。どこで、絞り、どこで少し楽させるか。もちろん、生きる環境が有ってこその話。
 親が子供を餓死させるような「みじめな・・・」人間がどうかしているような気もする。
もっと、『安心・安全』な学校・世の中にして欲しい。頼むよ。野田総理。もう頼んでも
任期(人気)がありません。今度選挙したら・・・。
政治家よ。安心・安全な輝ける日本社会を作ってほしい。
 政治の話は、少しつまんないか。しょうがない元社会科の教師だから。
 良かったよ。いつも私は、自由に生活していて「しあわせ」です。けど、本当は、日本心配。
                            再見


ブログ 22 台湾人は、たくましい。

2012-09-28 21:15:48 | 台湾
今日、夜市に行ってきました。景美(ジンメイ)と読み、私の住んでいるところの一個手前の駅。台風が近づいていて、あまり人が出ないと予想していたが・・・。雨なかでも、たくさんの人が買い物・食事等々に出ていた。彼らは、必ずと言っていいほど、食べ物屋で『非常に安く・おいしい・肉・お菓子・饅頭もの』を食べながら、歩いている。
 彼らの食欲に驚かされることが多い。まーよく食べる。
それに、時間が少し遅くても平気で食べる。脂っこいものをバクバク食べる。
 今日は、例のJKタクシーグループの三人で出かけ、始めは、10元の饅頭(肉入り)
を二つ食べた。これが、「うまい!!」いつもは、並んでいるのに、今日は、そんなに混んでいなかったらしい。次にステック状のカボチャの揚げたのを食べた。これも、天ぷらのようで「おいしい。」これは、私は、買わず部長のKから貰った。四十五元だった。私は、四・五本食べたが「おいしい」。もうすでに、半分以上お腹膨れてきた。
 ラストは、ラーメンのような『台湾めん』を食べてみたら、これが結構いける。
しつこくなく、あっさりしているが少し、「だし」も効いている。日本のどんぶり程度の大きさ。私のは、『小』部長のは『大』K2のは、『中』。私ので、35元。大盛りで、55元。
私の夕飯が55元で済んだ。これは、台湾に来て、一番安く・しかもそこそこ満足した食事。
 こういった市が夜ほんとんやっている。どこかしこで夜市。そして、どこに行っても
客がたくさん出ている。日本の祭りの縁日が日々立っていると思えばよい。もちろん、観光客だけでない。日常的に台湾の普通の人が、毎日夜市に来て生活している。
 彼らのバイタリティー・食欲には感心する。食べることも、そうだかそこに働いている人があってこそ・・。しかも、土・日は、朝市。毎日朝市をやっているところも多い。
 今、日本は、零細企業・家内工業は、ほとんどなくなってきている。日本も私の生きた時代は、零細なお店でも十分生活が成り立った。しかし、21世紀になって、居残っているのは、特徴のある飲食店・床屋位か。ほとんど、大手資本入る分野は、壊滅的。
 台湾は、そうあってほしくない。マックが栄っているが、ぜひ夜市を残すような政策のもとに経済発展してほしいものだ。そして、何より残してほしいのは、台湾人の『親切・義理
・人情』的もの。日本人の失いてしまいそうなものをいつまでもいつまでも大切に残してほしい。それが台湾の観光大国として、生き残る道だと信じてる。

ブログ20  留学生もいろいろ。みんな、目的違う。

2012-09-25 19:02:00 | 台湾
台湾の天気が急激に変化しています。このほんのちょっと前クーラーの無い生活がないと思っていたら、雨が降り、急激に気温が落ちてきました。
日本の『暑さ寒さも彼岸まで』日本では、もう、彼岸に入っています。だから、もう半袖だけでは、夜クーラーの効いているところ少し寒い感じ。確実に季節は、秋に向かっています。
 このところ、留学生のことを話していませんでしたので、現在の私の私見。かなり、独断的な処がありますので・・。留学生の2割ぐらいいわゆる「オタク」が多い。目的・年齢様々。概して、20代が圧倒的。7~8割。後30代・40代は余り多くないがいる。例えば日本の企業の奥さん・チャレンジ精神を持つオフィス、レディ。60代。あまり、多くないが。50代は、ほとんど見ていない。
 とにかく、みんな忙しい。勉強も、生活も、すべて、語学学習中心に生活の人が多い。
遊びに夢中な人は、大学余り来ないから・・・。
留学生の6割ぐらい女性。なぜ?語学学習は、我慢と辛抱と繰り返し。もちろん、それぞれ工夫して楽しくやっているようだが・・・。留学時間が限られている若い人は、もう、
その時間を少しでも有効にと思って、修行に励んでいます。
 留学生のほとんど親のお金で来ている人が多いが、中には、ここでのアルバイトでの収入でやりくりしている苦学生も若干いる。私が関わるのは、専らこういう人。只励ますだけ。だって、本当に忙しそう。1週間に5~6日もアルバイト入れている。一時間110元ぐらい。日本の料理店。一日5から6時間働くらしい。日本円で二千円位。月に、二十四日働いて約5万位。生活は、できても大学の授業料は、7~8万。3か月に一回。少し無理がある。けど、彼は、がんばっている・・・。未来の夢に向かって・・・。
 一方、全然、金に困らない金持ちも多いことは、事実。車で来たり、マンションを持っていたり、・・・・。社会人を辞めて、自己資金で来ている方も多い。
ま、世の中不公平。親が貧乏だと子供も・・・。大変。けど、私の時代は、・・・。
人間は、いつ苦労した方がいいのか?答えは、私にはわかりません。
いつでも、学びたいという気持ちさえ持ち続ければ何時かは、叶う。人間の大部分
の願いは、叶うのでは、・・・・。
 今、私のつきあい始めている人たちは、それぞれが課題と夢を追っている。実に面白い。
若い(三人ひとりは、18歳・23歳・25歳。)それぞれかなり有能な人たちです。
三人ともKが付く。私のJ。JKタクシーグループ。部長は、K1の少し太めな男。
しっかりしていて、美食家。金持ち。
K2は、様々な理由で台湾に来た。ハンサムな男。
K3、18歳。まだ、子供の部分と大人っぽい部分がはっきりしている可愛い子。
 グループのすることは、しゃべりと食事、時に買い物、散歩。いろいろ。
特別目的もないが、時間が調整できる時だけ会う。
 先日、この若者二人とわたしで久しぶりに『日の出』を見た。結構登りがきつく、汗びっしょり。もう若くないことを実感したが『日の出』のパワーに圧倒された。
三人で記念写真など撮ったりし、青春時代を思い返した。
 そうなんだよ。この台湾の生活は、私にとって、第2の青春。この青春時代を謳歌
せねば・・・。上からお迎えが来てしまうー。 
                                 再見。

ブログ19 1番身近な人間を幸せできなくて・・・・。

2012-09-22 20:08:55 | 台湾
 なぜ、治郎ちゃんは、大切な奥さんを幸せにできなかったのですか?。
ブログには、奥さんのことは、書くな!と言われているが・・・・。
私が子供のまま大人になってしまったから・・・。
今更、何を言っても言い訳・・・。
過去は、大切だが・・・。私にとって、現在と未来、・・・・。
 そう、一言で言えば『因果応報』そうとしか言えない。
 今、日本は、お盆ですね。私の1番1番の悔いは、・・・・。
『息子のこと。』もうすでに、この言葉を入れただけで私の目から、涙が出ています。
もう、私を充分に知っている人は、もう知っている・・・・。
 私には、二人の子供がいました。一人は、現在東京に生活し、年中スポーツと称して、フットサル、マラソンなどして、元気に生活しています。もう一人の息子は、6歳で・・・。
今、生きていれば35歳。29年かまもなく30年経ちます。
 人間とは、とにかく『因果応報』。自分がいい加減な生活していると・・・。どこかで
罰が当たります。私は、神様も、仏様も、キリストも信じませんが・・・。
 人間を突きつめると『因果応報』この言葉は、仏教から出た言葉です・・・・。
 (宗教の話は、置いておいて・・・。)
私は、一生このことは、忘れません。そう、息子、子供のことを心配しない親は、一人もいない。だから、子供が健全に育つ。ところが、稀に・・・。
 ある日、車に乗っている時、急に自分の子供が『お父さん、なんか、片足が、
片手が半分・・・上がらないだけど・・・』「えーー。何それーー?????」
慌てました。妻も私も・・・どうしたらよいのか??。
今日は、土曜日だし・・・。妻は一生懸命医学事典を調べまくりました。彼女なりの
推論をいくつか言いました。私は、重大なことであることは、わかっていましたが・・・
。素人判断しても・・・。翌日、日曜日やっている1番大きい病院へ。車で連れて行きました。『草加の市立病院』へ。そこで、一人の医師がすぐに息子の病気を推測しました。
とにかく、「何らかの頭の病気です。東京医科歯科へすぐに入院させてください。」
それが起こったのは、8月20日前後。だと記憶していますが・・・。やく29年前の記憶。自信ありません。
それから、我が家族の闘病生活が始まりました。検査・検査・検査。とにかく大学病院は、
正確の診断するため・・・。・・・・・。・・・・。
 途中彼は、かなり回復し、もう、半身の麻痺もなくなり、病院中を走り回っていました。ところが、運命・宿命何と言っていいか。
 昭和58年11月7日永眠しました。
発病から3か月の生命。6歳で生涯を閉じました。誕生日を病院で迎えました。
 『いのち』ほど大切なのは、ありません。
私は、『いのち』を重さを充分知りながら、元妻の「いのち」を縮めるようなことばかり
していました。自分の煩悩・快楽・欲求に負けてしまう凡夫。
だから、台湾で少しでも、煩悩に負けない人間を目指して、今、師範大学で『修行僧』
(これは、私なりの表現。中国語を勉強している学生を見ていると、まるでお経を唱えている坊主に見える。)では、再見。 私も、修行に入ります。